チェンソーマンについて、その3

この間、職場の先輩からジャンププラスのアプリをオススメされた。
それで、推しの子をとりあえず全話読んだ。面白かった。けどやっぱり一回読むだけだと内容の理解が浅くて何か書きたいとまでは思えない。
その後チェンソーマンを検索したら、単行本の14巻の続きの話まで出ていたので読んだ。
めちゃくちゃ面白かったので、感想を書くことにした。もはや考察ですらなく単なる感想。続き書かないとか書いたけど、前言撤回。2日間レンタルなので、その期間に備忘録的にセリフを書き込みたかったのもある。
さて、14巻の終わりからのあらすじ。
デンジとアサは水族館での一件から絆を深めていた。けれども、デンジは一緒に暮らしている妹のような存在であるナユタに、アサとはもう関わらないよう約束させられる。ナユタは一部のヒロインであるマキマさんが転生した支配の悪魔。デンジはアサではなく、ナユタの意思を尊重する。
ナユタに記憶を操作され、デンジに約束をすっぽかされたと思い込むアサは、人との関わり方に悩む。誰かを求めて裏切られるならば、一人でいたほうが幸福ではないか。
そんな中、新たな悪魔がアサを襲撃する。それは落下の悪魔。人間の持つ心の傷を表面化させ、地獄へと落とす力を持っていた。アサは過去に母親を失いながら助けた猫を、信頼していた施設の寮長に殺された過去を思い出す。
以下、アサのセリフ。
「私の頭ん中見れば分かるでしょ…?
私はずっと何が怖いのか…」
「他人が信用できないのに一人じゃ寂しくて…
たまに人に近づくの…」
「そしたらいっつも悪いことが起きて…
傷ついて…
また一人になって…!」
「一人でいるのも他人といるのも……
どっちも怖いの…!」
一旦アサから離れ、アサを地獄に落とすための準備をする落下の悪魔。そこにチェンソーマンが現れる。チェンソーマンも落下の悪魔の力で、過去に自分が殺したも同然な、アキやパワーの存在が脳裏によぎる。
以下、チェンソーマンのセリフ。
「くらえ〜〜〜〜〜!!」
「精神攻撃系の敵にゃあにゃ〜!
脳ミソ斬りながら戦うようにしてんだヨーン!!」
チェンソーで自らの脳ミソを斬りながら戦うも、あえなく敗れるチェンソーマン。
落下の悪魔はアサを狙う。アサは死を受け入れ、抵抗をやめる。
そこに復活したチェンソーマンが現れ、落下していくアサを受け止める。
「ワタシっもう落ちていいのっ!!」
「生きてたらヤなことばっかでしょ!?
馬鹿にされて勝手に期待して裏切られて…
そうでしょ!?」
「楽しいこと考えろ!犬!猫!犬!犬!猫!」
「猫!猫!アイス!アイスクリーム!」
「お前の気持ちわかるよ!!
マジで超わかるのオレ!!」
「分かるわけないでしょ!?
私より酷い目あってる人いないから!!」
「スゲ〜いい日が続くなって思って油断してっと…!
いきなり糞みたいな事が起こって全て台無しになっちまうんだよな!?」
「悪い事ばっかじゃねえってわかってるけど…
毎日毎日前にあった悪いことず〜っと思い出して
人生どんどん最悪が糞のハンバーガーみてえに積み重なっていくんだよな?」
「どうやって乗り越えたの…チェンソーマンは…」
「乗り越えてねーよ!! チェンソーマンは!!」
「ただ俺は…
これから糞ハンバーガー食ってもいいくらい楽しみにしてることがあっから生きてんの!」
「何それ…」
「エッチ! セックスしてみたいんだよ!!」
「きもっ!!」
ということで、このシーンが本当に素晴らしい。色々言いたいことがありすぎて、絞り込めないくらい。もちろん、セリフ抜粋では魅力の1%も伝えきれていない。このやり取りの間の二人の表情、コマ割り、構図、ホントに名シーンだと思う。
そして、まあ、最後の下ネタももはやチェンソーマンの定番ネタと言えるので、何も言うことはない。チェンソーマンはバカなのだ。
読者の胸を打つのは、チェンソーマンがアサの気持ちを理解しているところだと思う。これまでに書いてきたように、デンジは酷い目にあった。そして、彼自身が言うように、彼はそれを乗り越えていない。過去のトラウマを乗り越えたり、無にしたりすることはできない。むしろそれを抱えながらでも自分のやりたいことをやるのだ、という非常にポジティブなメッセージを彼は語る。そして、第一部では自分で考えることを放棄していた彼は、自分の意思でアサを助け、アサの苦しみを理解する。
つまり、チェンソーマンは「ただのバカ」から「人の苦しみを理解するバカ」になった。
そして、アサはチェンソーマンがデンジであることを知らない。チェンソーマンがアサを助けたとしても、彼には何の得にもならない。そもそもデンジはアサともう関わりを持つことができないはずなのだ。だから、チェンソーマンとしてしかデンジはアサを助けることができない。
「エッチがしたい」はずのチェンソーマンは「エッチなこと」と何の関係もなくアサを助ける。デンジは、いつも通り自分の言葉とは裏腹な行動を知らぬ間にとっている。デンジはアサが好きだから助けたのだ、と私は思う。
このように、チェンソーマンは「みんなのヒーロー」から「誰かのためのヒーロー」となりつつある。そして、自分の行動が自分に返ってくることは、目に見える形ではありえない。それが胸を打つ。この言語化できない感覚が、覆面ヒーローモノの醍醐味なんだろうな、と思う。
チェンソーマンのようなくだらないやつがいるなら、自分も生きていて良いのだと思えた、とアサは語る。けれど、これも言葉でしかない。アサもたぶんチェンソーマンの思いを、言葉にしきることができなくても理解している。その思いが「こんなくだらないやつ」という言葉に込められている。
「良いシーン」を脱臼させるかのような下ネタこそが、この言葉にならない思いを際立たせている。「良いシーン」を飾る素晴らしい言葉がここにくれば、それは完成されたものになるだろう。けれども、その言葉以上のものは作品には宿らない。あえてにせよ、無意識的にせよ、下品な言葉を使うことで、言葉以上のものが宿る。第一部で、デンジは本当に自分の欲望についてしか考えていなかった。だからこそ、このシーンでは言葉以上のものが際立つ。たぶん。
擁護しすぎるチェンソーマン信者みたいになってしまった。でもそんなに読みはズレて無いと思う。
早くじっくり読みたい。単行本が待ち遠しい。

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