巻27第3話 桃園柱穴指出児手招人語 第三

今昔、桃園と云は、今の世尊寺也。本は寺にも無くて有ける時に、西の宮の左の大臣1)なむ住み給ける。

其の時に、寝殿の辰巳の母屋の柱に、木の節の穴開たりけり。夜に成れば、其の木の節の穴より、小さき児の手を差出て人を招く事なむ有ける。

大臣、此れを聞給て、糸奇異(あさまし)く怪び驚て、其の穴の上に経を結付奉たりけれども、尚招ければ、仏を懸奉たりけれども、招く事尚止まざりけり。此く様々すれども、敢て止まらず。二夜三夜を隔て、夜半許に人の皆寝ぬる程に、必ず招く也けり。

而る間、或る人、亦、「試む」と思て、征箭を一筋、其の穴に指入たりければ、其の征箭の有ける限は招く事無かりければ、其の後、征箭の柄をば抜て、征箭の身の限を穴に深く打入れたりければ、其より後は招く事絶にけり。

此れを思ふに、心得ぬ事也。定めて、者の霊などの為る事にこそは有けめ。其れに、征箭の験、当に仏経に増(まさ)り奉て恐むやは。

然れば、其の時の人、皆此れを聞て、此なむ怪しび疑ひけるとなむ語り伝へたるとや。
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さてさて

この怪異談は確か映画陰陽師にも一場面として紹介されていた記憶がある。
おそらく、特に藤原氏一族の私兵と化して、急速にその勢いを増しつつあった武家勢力を象徴するものとして、この“やじり”が経文より仏画よりも霊言あらたかであったという怪異談が記されたものであろうか。
 私はこの巻を読んだ時に、真っ先に、平家物語に記されて有名な、平清盛が日吉社の神輿へ矢を放った、というあの件を思い出した。
 いずれにせよ理解できないのは、こういった怪異現象が、今この時代に起こったものであれば、おそらくその家の住人は即座にどこかへ避難してしまっているだろう。
 たとえやじりで、手が出るのを防いでいたとしても、そんな物件に住み続ける人はまずおるまい。
 思うに、平安の時代は怪異現象はそこかしこに見られ、都人たちはそんな“怪異”なるものと隣り合わせに暮らしていたのであろう。
 別の言い方をすれば、怪異なるものとはお隣さん同士であり、いかに上手に付き合っていくかが肝要であったのではないだろうか。
 源高明は、怪しと思いつつも、幼児の手を取って優しく握りしめていたかも、いやそうであって欲しいと、そんなことを考えた、第三話でした。

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