読めば安定型愛着スタイルに適応出来そうな本があった

※愛着障害の話は出てきません、医学に基づく話(医学定義)では無く、心療内科のカウンセリングレベル(障害ではなく愛着スタイル)の話で一貫しています。

※また全体的に私は軽度(自分の問題に気付いて、その原因も大体予想がついている状態で、事実認知の療法がある程度行えている)です。障害ではないが重度(原因がそもそも不明、人間関係の構築に実害が出ているのだけわかる状態)の方はカウンセリングに行きましょう

先に挨拶、当方は愛着スタイルに問題がある(人とのコミニュケーションに難を持ちやすい)っぽい人間です。
そう思う理由は経験から基づく自己判断と、「安定型、不安型、回避型、どれも12以上でスコア高いんですけどこれ私どれなんすかね?w」とオンラインカウンセリングを受けて投げた際に「貴方は~社会への適応能力が高いから安定型を学んでいるだけで、根本は不安型と回避型の傾向が高いんじゃないかな!w」と返されたからです。

抱える問題は何かって言うと、まぁ一番だるっこい恐れ・回避型に近くて
・助けてくれそうな一人の人間に固執する。
・その癖、言動の信頼感がまるでない。
・追いかけているばかりの状態が一番気が楽。
みたいな状態が、こと恋愛において異様に出てきます。
友人関係、会社での人間関係では特にそんな状態にはなりません。
(友人であることを疑うってなに?ですし、後者に関してはそもそも明確な利害関係で成り立っているのでそういった所に信頼を置いている)

これが原因となって好意を寄せられた場合は不信で続かない、好意を寄せた場合は地の果てまで追いかけまわしてしまうみたいな地獄みたいな状況に陥りました。
正直、問題が問題であっても実害が無ければ治す必要もないかなと感じている方ではあるのですが、これが所以で明確に迷惑をかけた方が社会に出てからいてしまったので、顔面蒼白になりながら私は今この問題に向き合っています。

でそんな中、愛着スタイルにまつわる本を読んでいたのですが、根本治療法として主にあるのはざっと「安全基地を手に入れろ」とかでした。(対応法としてはざっと認知の歪みに気を付けましょうねです、ここ本当に適当な概要なので気になる方は本を読んでほしいです)
詳細は以下本。
不安型愛着スタイル~他人の顔色に支配される人々 (光文社新書) | 岡田 尊司 |本 | 通販 | Amazon
回避性愛着障害 (光文社新書) | 岡田尊司 |本 | 通販 | Amazon
愛着障害の克服 (光文社新書) | 岡田尊司 |本 | 通販 | Amazon
Amazon.co.jp: 愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書) eBook : 岡田 尊司: 本

まぁ感想としては一言で、
そもそも安全基地を自分以外で手に入れるようならこんな状況なってねぇんだわ笑 です。
理想と現実との折り合いがまた克服に~とかも記述あったのですが、私は恋愛においてこの問題が生じていてその基地としての役割を恋人に求めたとしても「いやなんでそんな基地になろうとしてくれてるんだ?」の不信感がある訳ですね。それを好意所以だよと述べられても「私に何を求めているの?」の思考につながりプレッシャーでつぶれます。

そうなるのも根本の自己受容が出来ていない(=無条件で他人に受け入れられる存在であるという認知)からなのですが、そんな言葉を文字で見かけたって「これからは宇宙に住む時代が来るから酸素ボンベを買おう!」ぐらいの理解不能な論理なんですよね。
無だと分かるけど肯定ってなんだ?って話で。もっと言うと私は無条件で他人が他人(=私)を肯定するメリットが分からなかったです。
友人関係やそれこそ私が恋人に抱く感情としては何か利を強く感じて関係構築をしている訳ではないと感じているもののじゃあどうして関係を構築をしているのか?といった所の明確な言語化が出来ておらず、自身の中で生じた理論を他人に置き換えて適用できなかったんですよね。

長い前置きでしたが、そんなメリットを言語化していた本が以下になります。
Amazon.co.jp: 「甘え」の心理 愛に出会う時、愛を失う時。 PHP文庫 eBook : 加藤 諦三: 本

ざっと自己用のまとめになると
「人は無条件に愛される存在である、ここでいう愛とは『言動に対して絶対的な許容を行う=相手に対して自己的な献身を与える』という定義ではない。献身を求めている時点で他者への信頼が行えていない=心が不健康だという証拠。では『献身を求めない無条件の愛』とは何かというと『世間の優劣(様々な価値基準で自分より優れた人間が大量に存在するという事)を十分よく承知したうえで、関係なくその相手の存在が自身の満足につながる』という事である。」

上の概念、膝叩いたレベルで腑に落ちました。
優劣は確かに自身の人間関係を振り返っても別に気にしていない、尚且つ自身が心地いいと思うからこそその他者との関係を構築している。
とどのつまり自己満足を他人は追及しており、その自己満足の延長線上に自分という存在がいる事は決してあり得ない話ではないという事。
多分これが安定型の愛着スタイルの根本なんじゃないのかなと思いました。
自己満足を目指す=自己を尊重している=正しい自己愛に満ちている
だと思うんですよね、自己愛所以に他者への愛や献身を求めているのが依存型とかだと思うんですけど、自己愛が自己で全て完結しているのが広く健康だと捉えられる愛着スタイル。

まぁ一例だとは思いつつ、個人的に読んでて凄く納得感が強い本でした。
また、そうであるならば他者への好意を疑うのもなまじおかしな話(勝手に自己満していることに対して疑問を抱いたって、好きであるという他説明のしようがない為)だとも思えましたね……

メンタル良い時は気を付けて、悪くなったら本読み返そうと思えるレベルの良本でした。同じように苦しんでる人へ届いてほしいな~。一例だけれど。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?