小中学生の頃の呪縛と自己肯定感


ぼやき

小中学生の頃の私はクラスに親友と呼べるような友達はいなかった
自分の気持ちに素直でいることで嫌われていた
相手に合わせようと自分らしさに蓋をしても好かれなかった

その頃のダブルバインドのような呪縛のせいで嬉しい気持ちにもブレーキをかけて浮かれちゃいけないって思ったり、自分らしいペースっていうのがよくわからない

あと、本筋とは逸れるけど、私は人に好かれることはないと心の奥底では感じているのかもしれないなと自分で思う時がある
この思考が自分の価値を下げている気がして結構切ないんだよな

現在の悩み

私が今絶賛悩んでいるのが、自分のことがよく分からないということ
勉強とかの取り組むペースとか頑張る度合い
自分のキャパとか
何が快で何が不快なのか
どう生きたいのか どこを目指したいのか
何にそんなに悩んでいるのか
何を変えたら、何が変わればもう少し楽に生きれるのか

周囲の人から言われたこと

最近メンタルが落ちてる時に周りの人に相談すると、みんな大抵優しいから頑張りすぎるなとか無理しちゃだめだよって言ってくれる

でも自分としては頑張りすぎている実感はなくて、むしろもう少し頑張りたいと思っていた
気持ちを折られた感じなのかな
あと、普通に混乱
自分では頑張ってないのに頑張りすぎてるってどういうこと⁉︎みたいな

それで最近はペース落としてみようと思って勉強とか家事を一旦放棄して、とにかく休息
スマホor寝る
そしたら体力も気力も下がってきて全然前より頑張れないしでまた悩む

そこでふと振り返って思ったのが、それなりに頑張って生活してた時に誰かに言って欲しかった言葉って「頑張りすぎるな」じゃなくて「頑張ってて偉いね」って言われたかったのかなって

裏を返せば自分でそう思えれば良かったし、素直に自分を褒めることができれば良かったん
だけど、偉いとかすごいってなんか横柄で良くないものっていう呪縛が素直に自分で自分を褒めることを邪魔する

更に裏を返せば幼少期に自分の親にそういった言葉をかけて欲しかったのではないだろうか

昔の記憶を
掘り起こしてしまった

ああ〜今思い出した
自分の幼少期は
親にねえ見て!褒めて!すごいでしょ!
ってあんまり素直に言えなかったから、その満たされない承認欲求をクラスの人に自慢を言ったり優越的な高飛車な態度をとってしまっていたのではないだろうか
だから嫌われたしクラスの人とも上手くいってなかった

そういうのが小学校の時にあって、考えなしにそういう態度とか話題はよくないんだなって
分かって中学で相手の顔色うかがって適当に
相手に合わせて自分軸のない関わり方してたら、いつのまにか自分の周りには誰もいなくなってた

いろんな呪縛が絡み合って今の自分が出来上がってるんだな

いわゆるインナーチャイルドみたいな切なさを抱えた小さい自分が心の中にいるみたい

終わり方が迷走

最近の悩みと自分の終わってる自己肯定感を分析してたら色んな過去のやらかしも悲しかったことも思い出したけど、これからはなんとか自分を褒める方向でやっていこうかな

勢いで書いたから駄文中の駄文だわ

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