うつ病について

ぼやき

 1年前くらい前にうつ病と診断されて休学とか入院は無くなんとか薬物療法で人間社会を生きております

発症の経緯

 事の発端は部活を引退して大学受験に専念しないといけない時期
 勉強しないとって分かってるけど全然できなかくて受験生は◯時間勉強!とか言われてたから、できてない自分を責めて、どんどんナーバスになった
 そんな時口の中にでっかい口内炎が2、3個できてご飯がスープしか受け付けなくてエネルギーが取れなくなると精神的にも身体的にも弱ってた

 正直この口内炎事件とその周辺の時期が人生で一番辛かったかもしれない
 階段を降りる毎に、ああここから落ちてでっかい怪我にならないかな最悪死ねれば本望だなとか、メンタル系の病気をネットで調べて自己診断してはもっと状態悪くないと病気といえないのかな じゃあ今とてつもなく苦しいこの状況はなんなのって思ってた

 この時のストレスのおかげで若白髪がすごい生えるようになった

通院開始から現在

 まあなんだかんだそこから数年なんとか生きてたけど調子いい時とメンタルがやられた時の振れ幅がデカすぎてやっと受診して通院開始した感じ
 2ヶ月に1回くらいの通院で医師に話を聞いてもらって、薬の量と種類を調整してもらうだけだからほんとにこれで良くなってるのだろうかと心配になる時もある

振れ幅は昔より減ったけど

  良い    普通    悪い
昔  |←←←←←←→→→→→|
今        |←←→→|

 良いの方が減ったから勉強とか家事とか、やるぞ!頑張る!っていう気力が起こらなくて前より全然頑張れなくなったなと少し凹む
 今も変わらずセルフネグレクト気味だし、いつ人間として上手く生きれるようになるのだろうかと日々頭を悩ませながらなんとか過ごしてる

診断名は免罪符

 診断名が付くと私としては免罪符になる気がして、許されたような気持ちとラベリングされる安心感がある
 昔から身体だけは健康体で花粉症もアレルギーとかもなかったから、ラベリングされた何かを持ってる人が羨ましかった

 ただ名前が付いたからといって私の何かが変わる訳ではないし、うつ病だからといってできないことが全て許される訳でもないのは重々承知

人生の取説を考える

 頭の中にあることをダラダラと書いてきたけど自分のため誰かのために意味のある文章とするならば、今まで生きてきて得られた教訓を書き残しておこうと思う

べき思考は良くないかも

 向上心があるのはいいことだけど苦しめられるよね 自分もこの思考が手強い
 グレーゾーンが許せるようになると思考が成熟したかなってなりそう
 

起こってないことを
心配する必要はないみたい

 確実に起こりうる未来に対して備えあれば憂いなしだけど、「もし〜なったらどうしよう」「もしまた失敗してダメになったらどうしよう」はまだ起こってないし、備えてないし、憂えてるだけだし
 だったらネガティブな思考は一旦停止させて
おこう

過去は過去

 過去の出来事・経験を基に物事の判断とか意思決定をしてると思うけど、「今」の意思決定において過去のしがらみとか失敗の経験が邪魔しているのであれば、過去と今は何の関係も繋がりもない!と割り切って自分に言い聞かせる
 今本当にやりたいこと必要なことを考えやすくなると思う

環境の影響は大きい
すべて自分のせいではないみたい

 私は昔からクラスの人との折り合いは悪いが部活の人とはめちゃめちゃ良い関係が築けていた
 だから上手くいかないのは全て自分のコミュ力とか人間性が悪いことが原因という訳ではなく、その集団と自分の相性がただ悪かっただけだと割り切れば、自分を必要以上に傷付けることもないかもしれない

終わりのぼやき

 ストレス社会の現代だから様々生きづらさはあるし、その中でも生きるのをそう簡単にはやめられない まさに生き地獄
 そんな生き地獄だけど生きてると稀に良いこともあって、まだ捨てたもんじゃないなって思える時もある
 また発見があればどんどん付け足して人生の取説増やしていきたいね


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