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浅く息をしているね


今日のビブリオマンシー

感受性

「子供たちとの対話」 J・クリシュナムルティ

昨日の投稿でわたしは世紀の大発見をしたかのように、「ただそうだと受け入れる」ことについて書き記していた。

今朝、あっこから「“息が浅くなっているね。”でもなく“浅く息をしているね。”だよ。」とメッセージが届いた。

確かに〜っ!
「~なっている」という表現も責めてるわ。

ということで今日は、「こんなふうにわかった!と早合点するわたしへのメッセージをください。」と祈り、ビブリオマンシーをした。

ピンときたのが「感受性」というワード。

感受性かぁ。
どういうことやろ?
と、考えながらnoteを書き始めた。

「息が浅くなっているね。」と書いていると、胸のあたりが苦しくなる。きゅーっとなって、さらに跳ね除けたくなるような気持ち悪さを感じる。ゾワゾワするというのが近いかな。

頭で理解しようとしているから、勘違いや思い込みが発生するのかも。

感受性の言葉の意味を調べると、「外部からの刺激を感じ取るまたは、受け入れる能力のこと。」と出てくる。
相手が伝えていることが刺激だとしたら、それを感じ取るまたは、受け入れる、ということか。

いやぁー。
考えてるわ、わたし。
そして耳で聞くことにエネルギー使ってる。

「息が浅くなっているね。」と「浅く息をしているね。」とそれぞれに言いながら感じてみると、前者は窮屈さを感じて、後者は「浅く息をしている」という状態が思い浮かぶ。

前者は「深く呼吸しなきゃ!」という思考が浮かび、後者はただそうだと知り、どうしたいのか感じる余白があるように感じる。

行動して、思考し、感じる。
というパターンが強く働くわたしにとって、「言葉(行動)から変える」ことで、思考や感じることも変化していきやすいのだろう。


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