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呪術廻戦が示すコミュニケーションの不完全性【254話】


はじめに


 本記事では呪術廻戦における筆者の解釈を好きなように書き散らした記事である。ネタバレに注意。


1.死への冷めた目線


 呪術廻戦では時折、人と人との触れ合い、つまりはコミュニケーションに関してかなりドライな価値観が見え隠れしている。

 その最たる例が死者と生者の触れ合いである。


呪術廻戦/芥見下々 集英社


 夜蛾正道の突然変異呪骸やオガミ婆の降霊術など、既に死んだ者が何らかの形で現世に姿を現すことがある。しかしそれらが本人そのものであるかと言えばそうでなく、一貫して情報が同じだけの何かと表現している。

 つまるところ、呪術において死者が本当に現世に帰って来ることは無く、仮にそう見えたとしてもそれは似た何かでしかない。そこから読み取れるのは死者と生者の大きな断絶である。

 この断絶を端的に言い現わしているのが、記事執筆時点で最新話である254話の日下部のモノローグである。

 最新話なので画像は控えるが要約すると、死人を思って動く時、生者である側は死人が言いそうなことを考えるしかない、という価値観である。

 当たり前だが死人と生者は会話が出来ない。呪骸や降霊術を用いたとしてもそれは所詮情報が同じ何かでしかなく、死人本人と会話が出来るわけではない。

 呪骸、降霊術の設定を通して伝えてきた呪術における「死」の価値観が表れたモノローグである。


2.生者と生者のコミュニケーションとその断絶


 さて、呪術における「死」の価値観を通して死者と生者の断絶を説明してきたが、この両者の断絶というのは何も死者と生者だけに起こることではない。生者と生者にも起こることなのだ。

 同じく最新話である254話の内容であるが、冥冥、七海、五条の三人が日下部に対して「優しい」という評価を下す場面がある。

 一見、これまでの日下部の行動から「優しさ」を見出すことは難しいように思える。文句を言いながらも結局は渋谷の最終局面に参加し、学長への恩や大人としての責任から新宿での決戦にも参加しているが、基本的には自己保身が前提にある男である。

 日下部無しでは生存が危うい妹とタケルの存在を鑑みれば、自己保身に走る態度は納得出来るものの、万人が「優しい」という表現に納得出来るかは微妙である。

 しかしここで考えて欲しいのがこの’「優しい」という評価を下した三人のことである。

 冥冥は価値観を金に振り切った人間であり、そんな人間から見れば恩や縁を無視出来ない様子は十分に「優しく」映るだろう。

 五条は自らが身を置く現状の呪術界や御三家の在り方に嫌悪を抱いており、それらを最底辺とみなせば日下部は十分に「優しい」と表現出来る。彼の特異な価値観も影響しているだろう。

 七海についてだが、七海は自分を一度呪術界から逃げた人間だと捉えている。


呪術廻戦/芥見下々 集英社


 そんな一度は呪術界から逃げた七海からすれば、逃げたいと言いながらも呪術師として呪術界に居続け(恐らく)ている日下部にある種の尊敬を抱いていてもおかしくはない。自らを一度は逃げた男と卑下するような負い目がある故の他者に対する「優しい」という評価なのである。

 何が言いたいかと言うと、彼ら三人は彼らなりの経験や価値観、視点からそういった評価を下しているにすぎないのだ。そこには読者として物語を外から見ている我々の視点との断絶があり、日下部自身の自己評価との断絶もあるだろう。

 つまり254話では死者と生者の断絶を示しながらも、同じようなことは生者同士でも起こるというのを端的に示しているのだ。

 この断絶こそが生者と生者の断絶、もっと言えばどれだけ会話を交わし相手のことを知ろうとも、結局は自分ではない他人でありその全てを知ることは出来ず、相手を自己というバイアスを通して見るしかないというコミュニケーションの不完全性である。

 そんな不完全性をラスボスである宿儺はハッキリと口にしている。未単行本化が範囲なので画像は控えるが、宿儺は自らに挑んできた者たちの言葉を所詮は後付けの遺言であると評しており、真偽も定かでないと語っている。

 これこそ上記で示したコミュニケーションの不完全性そのものであり、宿儺はどんな相手であれ結局は自分以外の他人であるとコミュニケーションそのものに失望し、その言葉を心から信じることを放棄し、他者との関係をハナから断絶している。

 故に呪術におけるコミュニケーションの価値観、その不完全性、生者と生者の断絶そのものの象徴として宿儺はラスボスなのであり、そのカウンターとなったのが、魂を同居していたことで一時的とはいえ他人ではなくなり、それによってコミュニケーションの断絶が解消されてしまった自分そのもの=虎杖なのである。


蛇足

 
 何時にもまして散逸的である。自己と他者の断絶は五条と夏油、また236話からも読み取れると考えている。
 
 呪術は登場人物の推測が平気で間違っているという例が少なくないなど、そのキャラクターがそのキャラクター独自の思考と視点で動いているという当たり前ではあるが忘れがちな点がかなり強い。読む際には注意が必要である。


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