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続けたもん勝ち KEYTALK 「DANCEJILLION」

ライブ漬けの間隙を縫うようにリリースされた8枚目のアルバムは、KEYTALKが続けてきた一つの結晶でもあったように思います。
CDジャケットを見れば一目瞭然。
でかでかと「祭」の文字が中央にあり、よくよく見てみるとその文字は「無限大のダンス」を表現した造語でありアルバムタイトルの「ダンスジリオン」から構成されています。

お祭りバンド、踊れるバンド。
2010年代からロックシーンを引っ張ってきたKEYTALKには、いつからかこんな代名詞がついて回っています。
ジャケットでは「祭」の字がミラーボールのような輝きを放っている「DANCEJILLION」は、まさしくその呼び名に最大限の返事で応えるようなアルバムでした。

12曲45分程度のアルバムを通して聴いてみると、なるほど確かに今までのKEYTALK像どおりの曲に満ちていました。
お祭りっぽい音は炭酸のような爽快感との掛け合わせで一気に夏っぽくなりますし、暑苦しいほどの熱は日が短くなってもなお裸足で歩くには熱いほど焦がれています。

濃いという言葉ではもはや表しきれないほどに濃厚な1ヶ月は、過ぎ去った今思い返すとたった1ヶ月ちょっと前のことなのに刹那の夢のようでした。
6月頭に始まった、全国26箇所のライブハウスツアーが8月25日の浜松公演にて終了したと思ったら8月末には「DANCEJILLION」のリリースツアーが大都市圏+沖縄にて開催。
ライブハウスツアーからリリースツアーまではちょうど1週間しか間がなく、予習もままならないまま始まったリリースツアーはたった1ヶ月の間に完結しました。
あっという間のリリースとツアーでした。

目まぐるしいほどの急流の中で始まったツアーはまた、いくつもの意味で印象深いライブツアーでした。
アルバムツアーですから当然アルバム曲がメインで奏でられるのだろうという定石的な予想は見事に外れ、初日の横浜では12曲中半分もの曲が未披露のまま終わりました。
ほとんど封印されていた既存曲は想定外の復活を遂げ、昔と最新の曲が「生と死」を合言葉に鎖で繋がれました。
個人的な思い出としても、このツアーには格別の思いがあります。
初日の横浜に始まり大阪、札幌、そして羽田と全4会場、西や北へと移動を重ねました。
短期間のリリースツアーにこれほど着いていくというのは初めての経験です。
いつもならセミファイナルになりがちな東京公演にのみ行ってそれで満足していましたが、今回は単純にいつもの4倍もの思い出が「祭」の白ジャケットには込められています。
これまでのように1会場では飽き足らなくなったのは、KEYTALKとの向き合い方が以前とはかなり違うものになったからにほかなりません。
一言でいえば、より密着するようになった。
バンドの中では一番好き、くらいの感覚でいたKEYTALKが、3月の武道館公演を境に人生の深いところに入り込むようになりました。
好きになったのは7年ほど前からですが、この1年の間にかれらに送る目線はそれまでと全く違うものであることは確実でした。
印象深かったのはもう一つあります。
最前列で4人を初めて見られたことです。
札幌公演の整理番号で3番を引き当て、さらには前の番号の2人が来なかったためZepp Sapporoの鍵開けをするという、間違いなくもう二度とこない幸運までついてきました。
もちろん曲に対する思い入れもこれまでのアルバム以上にあります。

とはいえ、この記事を書いているのは10月も下旬。
本来であればもっと前に書き終わっているはずだったのですが、色々な事情が重なり、こんなに遅くまでずれこんでしまいました。
長かった夏はもう終わり、野音での初ワンマンライブが足元まで迫ってきています。
印象深かったとはいえど細かな情景は薄れつつあるので、今ここに書き残すことができるのは「DANCEJILLION」のレビューではなかろうかということで、全12曲の感想みたいなものを書き進めていこうと思います。

1.ハコワレサマー

宇宙空間のような音の「oh oh oh」から、アルバムは幕を開けます。
リード曲らしくスタートダッシュにふさわしい曲。
個人的に、良いなと思う曲は音色が絵となって頭に浮かんできがちな気がしているのですが、「ハコワレサマー」も景色というか模様が次々と浮かんできます。
スネアの音によって薄黄色の光の輪が広がる様は歌詞にも出てくる「ハレーション」っぽいですし、MVで採用されている9%のお酒「ハコワレサワー」のきつい炭酸とアルコールの感じもなんとなく伝わってきます。
「サマー」が曲名に堂々と座り、4つ打ちのビート。
まさしくKEYTALKの専売特許です。
さらにはサビで振り付け付きという力の入れようです。
振りを入れたのはアイドルの曲を多数手掛けるコレオグラファー・竹中夏海先生。
バンドのMVでガッツリ振付師が出てくるなんて聞いたことがありません。
武正をはじめとしたメンバーによる振り付けレクチャーもあり、ツアーを重ねるごとにファンにも振り付けが浸透していきました。
MONSTER DANCEやMATSURI BAYASHIにかわる新たなダンスナンバーが芽吹こうとしています。

2.狂騒パラノーマル

再び音を通したビジュアルイメージですが、昼夜関係なくうごめいているおばけの姿が見えるのがこの曲です。
モスキート音を再現したような音まで聴こえてくる気もします
これまでがそうでなかったというわけではないのですが、闇夜のようなサウンドは直感的なかっこよさがあり、それだけでなく抱えている秘め事をひた隠しにするような控えめさもあり、KEYTALKにしては新しいタイプの曲ではないでしょうか。
武道館の2週間後にリリースされ、初お披露目はライブハウスツアー。
岡山で初めて生で聴いた時、サビでの巨匠の「ああ(迫る物の怪にバイバイ)」に強烈な色気を感じました。
この「ああ」は、「九天の花」でも聴くことができます。
ライブハウスツアーのときは音源より遅めに聴こえましたが、リリースツアーではむしろ走り気味でした。

3. Puzzle 

今までにない新しいタイプというくくりでは、ピアノの旋律が目立つこのバラードも当てはまるかもしれません。
傷が着いてすきま風が入り込んでくる心を、いつの間にかピースを無くしてしまったパズルになぞらえたところはいかにも王道のバラードという感じがしますが、彼らの音楽はロックバンドであることを離れません。
割り切れない心の葛藤は、スネアにゆっくりと振り下ろされるスティックに現れ、後から追いついてくる竿隊の音には去っていく者への諦めの悪さが詰め込まれています。

ギターの音はポロポロと涙を流しているかのよう。
あえてそういう表現をしますが、中性的な義勝のクリアな声質と、骨ばって男っぽい巨匠の声とがくっついては離れを繰り返す様子は、最もわかりやすく歌詞を写実しているのかもしれません。
MVに映る4人はありがちなドラマの登場人物になりかわるわけでもなく、まだ名を上げる前のインディーズ初期を想起させるような狭い室内で音を確かめ合うようにセッションしています。
オーディションで選ばれた主役キャストと同じ画面に映ることはなく、(こういう映し方には別の意味も含まれていると思います)いつもとは違う物静かな表情をしながらも主役の演じるストーリーには接しない、全く別の世界を生きているようにも見えました。
わざわざそれなりの期間をかけてオーディションを組んだわけですからもっとドラマチックに演出するものかと思っていましたが、聴こえてくる音もMVに映る光景もKEYTALKの一部からは離れていません。
そこかしこにバンドサウンドの香りが木の匂いとともに漂ってくる。
悲恋でありながらもペシミスティックさは抑えられ、むしろおしゃれさすらあるバラードです。

4. MAKUAKE

KEYTALKとは何かと問われれば、ダンスの他に「夏」も挙げられるのではないでしょうか。
イントロ。薄紫に黒の混じった空間に足元から光が灯ります。
オレンジのぼわっとした光が灯籠の明かりであることに気づく頃には足取りは緩やかになり、目の前にはいくつもの灯籠からなる光の筋ができていました。
同じような予感を頼りにしてきた人も多いのでしょう、いつもより歩幅の短くなった足取りでぞろぞろと人が集まっていきます。
巨匠の歌いだし「Hiになって夏踊る~」までの楽器隊のロングトーンには、そうして集まってきた人たちの期待が込められているかのよう。
音はなっているけれども新しい音が一切加わっていないこの時間は、楽しみの前に訪れる僅かな引き潮に似ていました。
季節は夏の締めくくりに向かう頃、日没時間は日を追うごとに目に見えて早まっています。
日中は暑く残暑であることは間違いありませんが、ときに風が吹けば涼しさを肌に覚えることもあります。
あとは下り坂のように秋冬へと向かっていくだけです。
数週間前までならまだ明るかった空は同じ時間でもすっかり暮れていて、あんなに暑かった夏がどこか恋しくなってきてもいました。
MAKUAKE」は、終わりに近づく夏に打ち上がる、最後の花火のように聴こえます。
巨匠が歌い出し白熱灯が灯るまでの約30秒間は、細い筋が空を垂直に駆け上がっていく火種であり、一息に加速をつけてサビに向かっていく流れは今まさに空に描かれた絵画でした。
音源としてはアルバムが初出でしたが、ファンの耳に触れるのはその時が初めてではありませんでした。
その前のライブハウスツアーで、メンバー登場時の出囃子としてイントロから頭のワンフレーズが使われていたのです。
何も知らされないまま2回目以降参戦のファンの方に導かれて一拍目に合わせてクラップを鳴らし、巨匠の歌いだしに合わせてクラップのテンポを早める。
誰がやりだしたのか、そういう流れがネタバレ厳禁(とされている)ツアーのお決まりになりました。
アルバム発売をツアーの先に控えていることはすでに知らされていました。
タイトルもわからないこの出囃子は、おそらくそれに収録される新曲なのだろうと類推はできます。
ツアーのためだけに作られた音源だったり、アルバムにすら収録されず未発表のまま放置される可能性も考えられないことはありませんが、当時はライブに並行して必死でレコーディングを進めているころだったでしょうし、アルバムに入れもしない曲をわざわざ作ってライブハウスだけで流すなんてことはどうも考えにくい。
現実的にその線は薄いです。
状況証拠以上に加えて自分の中で確信的だったのは、正体不明でありながらも確かなKEYTALKの肌触りを数十秒のメロディーに感じたことでした。
まぶしいぐらいにぎらつき、不器用ながらもかっこよさを求めるKEYTALKの延長線上にこの曲を見たのです。
レザージャケットを着てハイカットのブーツを履くスマートなかっこよさではなく、庶民的で身近な香りのするかっこよさです。
以前に4人のことを失礼ながらも「少し年上の兄ちゃん」感がしてそこが好きなのだと書いたのですが、キャラクターのみならず音にもにじみ出ています。
「MAKUAKE」とも知らない未知の曲は、その典型とも言えるサウンドに聴こえました。
「俺らが今一番見せられる一番かっこいい曲をやります」
ライブハウスツアーのセットリストは日ごとや月ごとに大きく変わりましたが、最後の「夕映えの街、今」は数少ない固定曲でした。
ダイブが始まるその前、巨匠はいつもこんなふうに曲の入り口を開いていました。
人気曲なのはわかりますが、もう10年以上前のインディーズ曲。そろそろかっこよさの更新が来ても良いころなはずです。
「MAKUAKE」が日の目を見た今、筆頭になりうるのはこの曲ではないでしょうか。

5. 君とサマー

「MAKUAKE」で夏の終わりかと思いきや、季節は恐ろしい速さで逆走し始めました。
ここからパーティー気分の夏が始まるのだと大声で宣言している曲が「君とサマー」です。
「MAKUAKE」にも曲名通り開幕の予感はあるのですが、「君とサマー」はもっと能天気な、これもまさしくKEYTALKだよねと思わせる華やかさがあります。
すっ転んだって 立ち上がれ」なんていうフレーズは、身近な兄ちゃん感が彼ら自身に泣ければ響かないでしょう。
サビのクラップあり、リズムを思わずとってしまうドラムの動きありと、親しみやすさではやはり抜群。
サビに入るとファンは手を右から左に、いわゆるワイパーの動きをとりはじめるのですが、メンバーは誰もそんなことを言っていないはずなのに初披露の武道館公演からすっかり完成されていました。
武道館で思い出しましたが、武道館公演に先駆けてリリースされたこの曲、MVは2月の真冬の屋外で撮影されました。
武正の実家から近い場所で、半袖短パンの上に水遊びをしています。
夏の終わりのアルバムやアルバムツアーからは、夏を終わらせまいとする抵抗が見えましたが、よく考えてみると今年のKEYTALKは真冬から夏が始まっていました。
すっかりライブで定着した最近は、2サビ前を歌い終わった義勝がリズムに合わせて「レッツゴー」みたいに景気づけるなんていうアレンジも加わりました。

6. ワッショイ!

KEYTALKらしさといえば、もう一つありました。どことなくトラディショナルで懐かしい感覚。
曲のテンションは違えど「MURASAKI」のブレンドを思わせる「ワッショイ!」は、伝統的な日本のお祭りを煮込んで共通項を取り出したような、祭りの中心にいるかのような曲です。
拍子木を打ち合わせたようなサンプラーからは檜の香りが漂ってくるようですし、ライブで巨匠が頑固おやじみたいな口調で歌いだすともうだんじりの気配しかありません。
最後はド派手な花火が打ち上がって終幕。
アルバムツアーではアンコール1曲目に披露されていました。
明転し、サングラスをかけた巨匠と八木氏がタオルを巻いてイキりスタイルでお立ち台に足をかけ、少し間を開けて義勝が「どうも、湘南乃風です」という流れもお決まりです。
KEYTALKで初めてのタオル曲です。
とはいってもものすごくアッパーでハイテンションな曲というわけではなく、地に足が着いたようなところがあるのは年輪による変化なのかもしれません。
象徴的なのが、KEYTALKの現在のイメージを作り上げたあの曲と同じ「踊れや騒げや」というフレーズが「わっしょい」にもそっくり入っているのですが、10年前とは響きが違いました。
ワッショイと言いながらも落ち着きが見られるのです。

7.夜の蝶

2022年の50箇所ライブハウスツアーの象徴とも言えるこの曲、久々のEP「KTEP4」のリード曲でした。
ライブ終わり、メンバーから手渡しでCDを受け取った時の思い出や、まだ終わりそうになかったコロナのことなど色々思い出します。
歩みは地道でゆっくりだったかもしれませんが、2022年があったから今年の爆発に繋がったはずです。
八木氏の荒野行動によって東海圏などでのツアー
が延期となりましたが、延びたがゆえにコロナ緩和時期と重なって多少の声出しも良い雰囲気となり、これだけは怪我の功名でした。
EPの時はさほど感じませんでしたが、アルバムを通して聴くと配置の妙に気付かされます。
江戸っ子感たっぷりの「ワッショイ!」の後だからか、より和風に聴こえるのです。
これを聴くと雅というか粋というか、着物や足袋とは無縁の生活をしていても身体から切り離せない遺伝情報みたいなものが動き出す感覚があります。
転がるようなバスドラに対して義勝の高音には浮遊感があり、曲に込められた俗世っぽさも伝わってきます。
1番と2番で展開やリズムが異なり、間奏のところはいかにも難解そうなアンサンブル。
レコーディングでは巨匠が苦戦していました。
手数も多いのですが、それもまた雑多な人ごみの中にいるようで曲調に合っています。

8. Supernova

「一番ぶっ飛んだ曲やります」
巨匠がいつもこう言って始まっていました。
Supernova」、確かに一通り聴いた中で印象には一番残る曲かもしれません。
起動スイッチを押すと助走もなくメロディは突っ走っていきます。
小さな爆発を繰り返しながら空間を飛び跳ねていく様は超新星の輝きのように一瞬。
それでいて、無軌道な感じがしないのも面白いところです。
武正作のこの曲は、過去の武正曲の世界観を取り込んで作られました。
赤いサイコロのMAYAKASHI」に「KARAKURI夢ドキュメント」。
少しネジが外れたところのある曲ですが、よくよく聴いてみるとこの2曲のフレーズや歌詞が「Supernova」に取り込まれていることに気付きます。
初めて触れたのにどうもそんな感じがしなかったのは、聴きなじみのあるフレーズが散りばめられていたからでした。
「DANCEJILLION」はメンバーも振り返るように「集大成」や「KEYTALKそのもの」という表現をしてもいいのではないかというほどに納得感が大きいのですが、過去作を一つにまとめてスピンオフ的な物語を作り出した「Supernova」も集大成を感じさせる作品の一つです。

9.九天の花

2021年のタイアップ曲であり、音源はそれ以降眠り続けていました。
2年前のアルバム「ACTION!」に入るのかと思いきや見送られ、その後も配信リリースのタイミングを失ったのかなかなか公開されず、このアルバムでようやく聴くことが出来ました。
闇に切り込んでいくようなギター、月夜の感がある2番頭。
なし崩し的にサビになだれ込み、巨匠と義勝の歌声は絶妙に混ざって消えていきます。
サビに入ると、タイアップに合わせた古風な言葉とメロディーが融け合っているのが手に取るように分かります。
「九天の花」、とりわけ巨匠の色気が存分に発揮されている曲だと思います。
注目したいのが歌詞の言い回しというか発音。
狂おしくて」の「おし」、「颯爽と」の「そう」、さらには「揺られて」の「れて」など、意図してなのか文字の切れ目をぼかして1つのふわっとした言葉のように発声しています。そのせいなのか、あるいはオリエンタルなシンセの音によるものか、和風でありながらも異国感も覚えるという、不思議な感覚にとらわれます。
そして「ああ」の歌い方。
喉の奥から絞り出すような歌声は、サビで複数回訪れるのですがどれをとっても違った味わいです。
苦しそうに聴こえるときもあれば、天に達したような響きもあり、その多様さに耳が惹きつけられます。
このアルバムのテーマはいくつか挙げられると思いますが、「狂騒パラノーマル」といい、巨匠の「ああ」のバリエーションも一つなのではないでしょうか。
確かレコーディングの日に義勝の喉が不調で、大部分が巨匠が歌って完成したと読んだ気がするのですが、義勝バージョンも聴いてみたくなります。
本当にかっこいい曲だと思います。
ツアーで聴けるはずと楽しみにしていたのですが、結局一回も披露されませんでした。
野音で初披露なのでしょうか。
期待せずにはいられません。
個人的には、初見の感覚に反してアルバムの中で一番聴いた曲になりました。

10. 未来の音

武道館公演で初披露となった曲です。
作り始めたのは年明けとのことだったので、意外と最近の曲のようでした。
花道の突端で歌う巨匠の姿を見上げた武道館の光景は忘れられません。
右耳に聴こえてくるのは暖かいスープのようなギターの音色。
ファンに向けてこれからも見守ってほしいと締めくくるものの、聴いているこちらもなぜか見つめられているような気になる、鏡写しのような曲だと思います。
「Puzzle」に引き続きバラード2曲目ですが、このアルバムはバラードを聴かせるために曲順を組んだのかなと思うくらい絶妙な配置だと思います。
そういえばこの曲も武道館以降ご無沙汰でした。

11. MY LIFE

裏拍をとって自信満々に歩きたくなるようなリズムに、海外の童謡のような牧歌的な明るさ。
鳥のさえずりも聞こえるようです。
どうせ死んでしまうなら、身体が動かなくなるその時まで笑って食べてやりたいことをやってやろうという、今まさに「ゴ会」で全国を飛び回っている武正の死生観、人生観が反映された曲です。

12. Shall we dance?

アルバムのラスト、12曲目として聴くと、彼らからのメッセージを強く感じました。
俺たちは今までこうやってライブをしてきた、だから踊ろうぜというメッセージです。
今までの曲や歌詞が出来る限り押し込められた歌詞や、展開がパッと変わるメロディ。
限りある一曲の間にどこまで要素を入れられるかという挑戦のようなこの曲は、メジャーデビューから10年以上かけてKEYTALKが歩んできた足跡のレプリカでもあり、これから歩んでいく先にある座標でもあると思います。

裏表紙一面にアルバム告知が掲載された「MUSICA」8月号のインタビューで、巨匠が最後にこんな言葉を残しました。

「とりあえずメジャー15周年を目標にして、音楽は続けたもん勝ちだなと思ってます」

続けること。
漫然と契約を延ばし続けて惰性でステージに上がることではなく、自分たちはここまでやってきたのだぞという確かな自信とともに、求める音楽を鳴らし続ける積極的な「継続」のニュアンスが感じ取れます。

7枚目のアルバム「Action!」を2021年に出してからここに至るまでのKEYTALKは、なにか抑えられていたものが解放されたかのようにライブに明け暮れていました。
2022年には数カ月で全国50箇所のライブハウスを巡るツアーに、翌3月の武道館公演、そして6月から8月にかけては再びライブハウスツアー。
フェスや対バンに呼ばれればスケジュールよりも「行きたいか」どうかの欲求を優先し、その結果あちこちを飛び回る超ハードな日程になりました。
「普通はこんなペースでライブ入れないと思うんだけどね。」と義勝が口にしていたように、そこまでのハイペースはさすがに「おかしい」と言わざるを得ません。
とはいえ、それがかれらのスタイルでもあります。
どの分野でも難しいとされる”続けること”を、ライブの継続という形で証明してみせたのが、ここ2年あまりの結果でした。
誰から請われてというわけでもないはずです。
他でもなく、KEYTALKという個の内側から燃えてくる衝動がそうさせているのでしょう。

自分なりに追いかけてきたこれまでを振り返りながらアルバムのラストに位置づけられた「shall we dance?」を聴くと、ライブでかかったときの楽しさもさることながらどこか納得感に包まれます。
この納得感は、時に勝手なパブリックイメージに苦しみ、時にあえてその道を踏み外そうとするなど葛藤してきたKEYTALKのキャリアでないと生まれないはずです。
単純な勝ち負けの世界ではないかもしれませんが、「続けたもん勝ち」を高らかに宣言してみせたのがこのアルバムだったのではないでしょうか。
手に取り曲を流してみたとき、作り手側でないにも関わらずやりきったような充実感がありました。

最後に4公演回ったリリースツアーの思い出を少し書いてみようかと思います。

ラストの沖縄公演以外でセットリストに固定されていた曲に、アルバム「Rainbow」に収録された「FLOWER」があります。
死生観を陽気に歌った「MY LIFE」のあとに披露されていました。
義勝いわくこの2曲ははからずも「生と死」の共通点があり、続けて演奏したかったとのこと。

生で聴くのは恐らくはじめてくらいの曲でしたが、4回行ったツアーで4回とも聴きながら涙が流れてきました。
印象的だったのは初日の横浜公演で、原曲とは少し違う手を強く握って肩を大きく揺さぶるような歌声に感じ入ったのを思い出します。


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