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ずうっと貧乏だった。

ずうっと貧乏だった。
わたしの小さい時から続いている。
親はブルーカラーの労働者、秋田の田舎から上京して町工場に勤め、
油まみれになりながら、働けど暮らしはなかなか楽にはならなかった。

新米の季節になると田舎から送られて来る古米。
もう売り物にならない古米を
わたし達家族はありがたくいただく。

古米を米袋から開けて、米とコクゾウ虫とを選別してから。
新聞紙を広げて選別した思い出は今でも覚えている。

そんなお米だから米粒ぐらいの小石が入っていることもある。
知らずに食べて『ガリッ』と奥歯で噛み締めて仕舞う感覚は
たとえようもない違和感だった。


父の好物はバターライス
茶碗にもった炊き立てのご飯の上にバターのカケラを少しのせ、
醤油をたらして混ぜて食べる。
ちっともおしゃれじゃないけれど、これがたまらなく美味しかった。

サッポロ一番みそラーメンもよかった。
小鍋に袋麺を汁がなくなるまでクタクタに煮込む
ふやけた麺はスープを吸って濃い味付けになっている。

単体では味が濃すぎて食べられないが、
これをご飯にのせて食べるとちょうどいい。
米もラーメンも味わえるからなおさらいい。

家族5人で一袋の袋麺を分け合って食べた思い出はわたしのソールフード。
今でも思い出してつくることがあるが…決して美味しいとは言えない。

「母さん、美味しくないって言っていたのに、またつくっている。」と
何度も息子に怒られるが、時々無性に食べたくなる。
今も貧乏だがあの時よりも裕福だ。
つい懐かしさにひたってみたくなるのだろう。

NHKの教育番組の
21世紀の資本論の解説番組の中で
貧乏からの脱出方法は『教育・自立・貯金』だと言っていた。
その他の難しいことは全て忘れた。これだけは覚えていた。

だから子ども達には負の連鎖を断ち切ろうと
『教育・自立・貯金』を伝え、わたしは出来る限り働いている。
貧乏を言い訳にしたくなかった…貧乏から脱出したかった…貧乏であることに疲れた。

長男は、いわゆる座学が苦手、その子には『やりたい』と言ったことを
思う存分やらせてあげた、それも『教育』だと思った。
お笑いをやりたい子は、やはりお笑いの何たるかを学ばなければお笑い界に入っていけない。
息子は音楽することを選んだ。因みに思うような収入は未だ得られていないが、素直ないい子だ。


三男は水泳をやりたいと言った。思う存分水泳をやらせ選手まで上り詰めた
そして、自分の限界を感じて選手を引退した。まだ中二だった。
親からしたら、ここまでやってきてもったいないと思った。
けれど彼の夢はオリンピック選手になることだった。
彼にはオリンピック選手に手が届くだけの身体的能力がなかった…背が低くいのだ。これは遺伝子レベルだからしょうがない。
本人なりに一生懸命考えて出した結論だから、立派だと思う。

次男は大学に行きたいと言ったので、塾に行かせた。
高額な塾代にびっくりした、大学受験勉強の塾代に年単位で100万近く
飛んでいった。
無事に大学に合格することが出来たけれど、塾代に使い果たして貯金はもうない。入学費用まで回らない、息子には「心配するな」と言い、
借金をするかと思っていたところ
非課税世帯だったので学費がタダになった…知らなかったから、飛んで喜んだ。『神様、ありがとう』感謝で涙がとまらなかった。

『自立』『貯金』することは、息子達の努力に任せよう。

そして親は子どもの足を引っ張らないようにしなければ、
今更ながらに、家計の何たるかを学んでいる。

そして母のように貧乏だったことを思い出して懐かしんで欲しい。
そして人に優しくして欲しい。自分もそうしてもらったことを思い出して。






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