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KILLAH KUTSの話(壱)

2000年代にヒップホップ/R&BのDJを志していた人なら、一度は必ず目にしたであろうブートレグ・レーベル(?)と言えば、KILLAH KUTSでしょう。業界を大いに肥したプロモバブルの裏側では、現物の確保が難しかったレアなタイトルのKILLAH KUTS盤が、非DJを含むライト層の受け皿になっていた部分もあり、同時期にかなり需要を伸ばしたシリーズでもあります。
他に、分かりやすく対抗馬になってたシリーズがあまり無かったし、敢えて言うならLETHAL WEAPONとかTOP SECRET、MIX FACTOR、X-MIXシリーズとか、そういう簡易的にRE-EDITされた最新曲のブートレグのV.A.はけっこう沢山の種類が出回ってて。
オリジナルのプロモが手に入らない場合は、KILLAH KUTSか、そっちで妥協していた人も当時は多かった気がします。

当時のDJSを大別すると…

ファネル

とある、横浜の…

で、そんなKILLAH KUTSシリーズはバリバリのブートレグゆえ、本国アメリカでも表立って正規の流通には乗ってこないため、仕入れルートがいまいち安定せず、当時すでにバイヤーを務めていた私も少しだけ悩んでおり。
割と、オフィシャルプロモが地方のレコード屋にしては、安定的に確保できていた店ではあったんですけど、それでも欲しい人全てに行き渡らせることが出来ていたか、と言うと当然そんなわけはなく。上記の表で言うところのライト層は、そもそも1枚2000円弱のオフィシャルプロモの価格設定に付いてこないわけですから、そこをフォローするにはプロモを安くするんじゃなくて(そもそも、仕入値が高いんで利幅を削ることになる)、廉価版=ブートレグを確保するのが一番効率的だったんですね。
そんな時、横浜に籍を置くとある業者から(例の、国内ブート業者とはまったく別。奇しくも、同じ横浜でしたけど…)、営業の電話が鳴り、「ニューヨークからオフィシャルプロモの仕入れルートがある」という話をもらって。

彼らは、ニューヨークから一旦、横浜の事務所を経由して、国内のレコード屋に振り分けるというモデルだったんですけど、最初の段階での仕入れロットをもっと大きくするために、国内の販売力のある有力店に営業をかけていた最中で、当時私が務めていた店にも白羽の矢が立ったらしく。
当時は、ミルクボーイのネタじゃないですけど、オフィシャルプロモの仕入れルートなんて「こんなん、なんぼあってもいいですからね〜」状態で。そこそこの内容/レア度でも、それなりの値段で掃かせることが十分出来ていたんで、とりあえずサテライト的な仕入れルートとして押さえておくのに取引を開始して。

ただ。やっぱり、オフィシャルプロモだけだと、仕入数が安定しないんですよね。
当時、私の店が使っていたオフィシャルプロモの仕入れルートはアメリカ直通だったんで、間に業者がいない分、利幅もそこそこあって。玉数もそれなりに確保できていた優良ルートだったんですけど、サテライトルートの方は中間業者も入っているので仕入値がやや高め、その後に国内の他の競合他社とシェアしないといけないのでまとまった数がなかなか仕入れられず。
となると、出荷ロットに満たないこともあったり、便をあまり飛ばすことができないために、入荷頻度が鈍化しちゃうんですね。オフィシャル・リリースのアナウンスが出ちゃうと終わり、みたいな、売り抜くためにはある種、鮮度が非常に重要な商品だったので、うまく使いきれない状況も出てきて。
そこで、現地在住のバイヤーに動いてもらって、KILLAH KUTSシリーズを取り扱ってくれないかと、打診して。当時、KILLAH KUTSの悪名はニューヨーク在住のバイヤー筋では有名だったのか(?)、けっこうスグに対応してくれて、即オーダーが可能な状況になりました。
で。そのサテライトルートで、オフィシャルプロモとKILLAH KUTSシリーズを一緒に仕入れることで出荷のロットを安定させ、オフィシャルプロモのサテライトルートとしても機能させることが出来たんですね。
さっきの表で言えば、ファネル(と言っても、たった二階層だけど)の上澄のライト層と、下層でヘビーユーザーのコア層の両方を広くケアできる型にでき、これは我ながらうまく仕切ったと思います。

その後…

そこから数年間は、安定的に取引が続いていたんですが、ある日のこと。オーダーしたKILLAH KUTSのタイトルが、いつまで経っても入荷しないんですね。
このテのブートレグも、オフィシャル・リリースのアナウンスが出ちゃうと終わりなのはプロモと一緒なんで、あんまり遅いとキャンセル扱いにしてもらわないと、なんて取り決めなんかも作ったような。で、その横浜の業者もKILLAH KUTS側に催促はしてたみたいなんですが、一向に連絡が付かない、とのことで。

で。いよいよ現地のバイヤーがKILLAH KUTSの事務所(?)に乗り込んだら、もぬけの空だったらしく。どうやら、派手にシノギをやり過ぎて、現地で摘発されたみたいで、そこからKILLAH KUTSシリーズは一切リリースされなくなりました...。
もともと、KILLAH KUTSシリーズって、主に日本やヨーロッパ向けにひっそりプレスしてたみたいなんですけど、当時は日本からのオーダーがけっこう膨らんでたと思うんで、調子に乗ってガードが甘くなっちゃったのかな、と。もはや真相は分かりませんが。
現地の正規の流通網にほとんど乗ってなかったのも、ここまで書けば納得してもらえると思うんですけども。

続く...

ただ。KILLAH KUTSは自分らでプレス工場を持ってただか、かなり懇意にしてた工場があったようで。じゃないと、あれだけ大々的にブートレグを作り続けるのは難しいので、論理的に考えてもそうとしか考えられないんですけど、現地のバイヤーからもそう聞いていて。
そこのプレス工場で、当時かなり人気が高かった自主盤も作っていたそうなんですが、それもKILLAH KUTSと一緒に途中で頓挫しちゃって。これは非常に残念でした。ちょっと長くなってきたんで、この話はまた次回。

今日は、こんなところで。

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