見出し画像

見えない境界を感じる〜夏越の大祓〜

6月30日は最寄りの神社で執り行われた夏越の大祓に参加してきました。

とってもローカルな神社なので、案内のチラシは事前に見かけていたものの、情報が少なくてどうしていいかわからないので、朝から掃除をしている宮司さんに尋ねてみる。

去年から毎朝出勤前に参拝する習慣がついて、こうして朝から宮司さんと話すことも増えてきました。

受付は無人で、初穂料と一緒に名前と年齢を記入した形代をその場で納め、横に置いてある黄色いお札を持ち帰ることで準備が完了するようです。

お札は家の目線よりも高い所に置くそう。神棚でも可

19時前になり神社へ。夜に神社へ行くことなんてめったにないので少しワクワクする。
灯りのついた境内、こどもたちの賑やかな声がする。神社のすぐ横に幼稚園があるんだけど、そこのこどもたちと親が結構来ているようでした。


なんとこの日は拝殿の中に入れるとのこと。いつも参拝の時にガラス越しに見るだけだったのでテンションが上がる。
恐る恐る入ると、拝殿の中はしっかりと冷房が効いていて心地が良かった。

金ピカのお神輿や、かなり古そうな御神体の鏡。いつもガラス越しに見ていたあれやこれやがすぐ近くにある。

少し高い御神体が祀られる場所、ステージのような高さで袖に宮司さんが控えている。いつもはラフな格好にサンダル姿で境内を掃除している宮司さんも、この日は装束を身に纏ってピシッとしていた。

笑顔で挨拶してくれたが、神事を控えているためかいつもより少し緊張感のようなものも伝わってくる。

・・・

定刻となり、若めの神主さんが大太鼓を叩く。

太鼓は始まりの音。
今日の神事の順序や、詳しいプログラムは知らないけど、太鼓の音が響けば「ああ、始まるんだな」と、その場にいる誰もが感じることができる。日本人のDNAに刻まれているような気さえする。

太鼓の音は「ドゥン」と低く、とてもよく響いて建物中が振動していた。窓ガラスがビリビリと震えていたのが印象的で、このまま叩き続けるとガラスが割れるんじゃないかと心配になるほどだった。


太鼓の音が響いている時はみんな自然と黙る。その場の全てを押さえつけるような音。これから始まる神事に向けて、場の空気が変わっていく。
太鼓の打撃間隔が短くなるに連れて、音が弱くなっていく。

・・・

そこからは礼や作法など、儀式的に進行していく。神主さんたちのお辞儀の深さや、構えている手の高さ、握る拳の親指の位置など、全てに理由があるのだろうが、まだそこまでは理解できない。ただ感じるのは「所作」としての美しさ。
明確な境界は無いものの、すぐ目の前、こちらから見るあちらで執り行われているのは紛れもなく神事だということがその所作から伝わってくる。

・・・

メインである大祓詞は、先日國學院大学の企画展「祓」で全文を目にしていたためか、言葉を意識しながらじっくりと聞くことができた。宮司さんと若い神主さんの音階差のあるハーモニーがとても心地良かった。

國學院大学での企画展「祓」

・・・

神事が終わり、境内でのお焚き上げへ。

夏越の大祓といえば一般的には茅の輪潜り人形流しだろうが、この神社では人形をお焚き上げする。地域の消防団が火の番をしながら、みんなが納めた人形や竹を焚べていく。

火のすぐそばに立ってみると、見えはしないけどここには結界があるんだと理解した。線なんて引かなくても炎は「これ以上は近づくなよ」と、その熱や音で伝えてくる。

大祓神事の時に感じたあちら側とこちら側、そして炎と自身との間に感じた境界。
常世と現世、生と死が見えない境界で隔てられている。渾然一体、その曖昧をなんとなく感じられるのが日本人らしさでもあるのかもしれない。

地域の神社に通うことで見えるその地域性や人との繋がり。
見えない境界を感じ取るように、見えない神様の存在もまた感じ取る。

わからないもの、見えないものはそのまま、見えないままでもいいのかもしれません。

大きくて有名な神社もいいですが、あなたの住む土地の小さな神社が、あなたにとっての大きな気付きをもたらしてくれるかも。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?