18歳

自分の根っこを見つける回。最後。是非前回、前々回を読んでから読んでほしい。

前回までの自分。自ら泥水をすするような生活。好きになりそうだった学祭を嫌いになる。裏卒業式ライブの成功と大学受験を両立を目指す。


3年生になった。なぜか自分はまわりが看護系の大学や専門学校を目指すクラスに入っていた。まわりは最後の高体連に向けて練習に励んでいる中、学校祭に向けて練習をしていた。

一応写真部の部長ということで、新1年生の勧誘をしなければならなかった。なんだかんだで20人弱ぐらい入った。なんだかんだでまとめてしまったが、勧誘活動がどうだったかはほとんど覚えていない。

自分の新しい担任の先生と面談があった。高校卒業後の進路について話をするのかと思ったら、「なんかあったらすぐに相談してよ。」と言われた。自分が両親の元を離れて、祖母と2人で生活していたから、複雑な家庭事情があるのかと勘違いしたらしい。そんなことはなかったが、そこまで考えてくれる担任の先生でよかったと思った。その次は「バスケはもうやらないの?もったいない」と言われた。少し心がズキっとした。やりたい気持ちは正直あったからだ。だけど、写真部をやめてバスケ部に入り直す勇気がなかった。進路についても聞かれたが、大学卒業までドラムができればよかったから、特に大学に行くこと以外は決めてなかった。強いて言えば小樽に戻れたらいいな、ぐらいにしか考えてなかった。

3年生最初の体育は、選択制だった。自分はバスケを選んだ。その体育の授業中、骨折をした。試合中、コートの外に出ようとしたボールを追っかけて、勢いが余って激突した。保健室で冷やしても痛みが引かなかったから、病院に行った。すると、「普通こんなところ折れないんだけも、どうしたの?」と医者に言われた。骨折してるとは思わなかったから、骨折と知って痛みが増した。左足の腓骨の骨折。

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幸い、綺麗に折れたため、1ヶ月半ほどギプスをして安静にしていれば治るような骨折だった。学校祭に間に合わないんじゃないかとドキドキしていたが、左足だったからそれほど影響がなく練習もできた。困ったことは、通学だ。祖母と2人暮らしで車がなかった。毎回タクシーで行くこともできなかった。5分かかるところを25分かけて、松葉杖をついて学校に通った。通学前に病院に行く日以外はそうやって通った。

自分が骨折した時、クラス内に怪我人が4人ぐらいいた。自分で5人目だった。何か呪われているような気がすると、担任の先生が厄払いに行ってお守りまで買ってきた。先生には悪いけど、かなり笑ってしまった。

骨折のせいで避難訓練に参加できなかった。避難訓練がある5時間目が始まる前に保健室で待機となった。避難訓練後の校長先生の話を聞かなくてよくなった。保健室の先生も先生で、「そろそろベルがなるぞ〜…鳴った!そろそろ校庭に逃げよっと♪」ぐらいの感じで、先生が本番さながらにやらなくていいのか、と思った。


骨折も治り、3年生最初のテストを終えた。またあの季節がやってくる。本当になくなってしまえばいいのに。学校祭だ。だけど、今年はいつもと違った。写真部の顧問の先生が、「この学校の学校祭は初めてだから、部長が写真部の準備に専念できるようにしてほしい」と担任の先生に申し入れがあった。そのおかげで、クラスでは担当するものはなく、空いてたらどこかの手伝いをすることになった。ステージの出し物で少しやることはあったものの、ほとんど写真部の展示室や写真販売の準備をしていた。去年あれだけのことがあったから、壁新聞も手伝った。有志ステージの練習にも行きやすかった。いい方向に予想外の方向へ進んだ。

そしてあっという間に学校祭当日をむかえた。今年は部長だったから、写真部の教室から出ることはほとんどなかった。だけど、学校祭の雰囲気を感じるのを最小限に抑えられていたから、どうということはなかった。

そして有志ステージ。事前のくじ引きでトップバッターに。去年とは違って、演奏中の記憶が残ってるぐらいには余裕があったし、以前よりも楽しめた。有志ステージの司会は立候補制で、大体は3年生の男子1人、女子1人の2人でやる。大抵は楽器やダンスができないスクールカースト上位の奴らがやる。司会の女子が、去年「黒子やってくれない?」と言ってきたアイツだった。何もなければ何もなかった。だけど、

司会男「今の演奏どうだった?」

司会女「かっこよかったです!〇〇君はどう?」

司会男「かっこよかったですね〜」

司会女「…それでは次に行きましょう!」

かっこいいで片付けられた。それが気に食わなかった。去年あったことは別にして、本当に気に食わなかった。2人しか座れないイスに座っているという優越感に浸って、本来の仕事を果たしていない。普段は関わりがないから、話すネタもない。そんなのが司会で盛り上がる会場って一体どんな会場なんだ。普段音楽も聴かないで、自分の評価がかっこいいだけだなんて。かっこいいとすら思っていないのに、かっこいいとしか言えない。どんな司会なんだ。とにかく捻くれていた。

有志ステージが終わった後は、裏卒(裏卒業式ライブ)のことを考えていた。2年生は2バンド出ていた。順番決めで来ていた2バンドのそれぞれの代表に裏卒があることを伝えて、連絡先を聞いておいた。自分たちが卒業したあとはこの2人に任せようとSと話をしていた。


学校祭が終わった後は放課後は学校に残って19時ぐらいまで勉強をしていた。家にはドラムの誘惑がある。裏卒もあるし、練習をしなきゃいけないと、勉強をせずにドラムをしてしまうからだ。この辺りからNKと仲良くなっていた。NKは1年生の時にSGと、2年生の時にTYとTKと同じクラスだった。自分とはクラスが別だったし、2年生の時から認識はあったが、話したことはなかった。放課後に教室に残っていた自分が気になって話かけてくれた。この学校で今まで自分をちゃんと認識してくれる人は少なかったから、勉強を邪魔されてはいたけど嬉しかった。何の話をしたかは覚えてないけど、ほとんど毎日話をしていた。

写真部の引退は9月だった。写真展が8月にあるからた。夏休みの直前、写真部の顧問の先生に呼ばれた。「写真展の説明会についてきてほしい。わからないことがあったら助けてほしい」とのことだ。正直、先生の知ってることと大差はないと思っていたが、午後から学校を抜け出すという魅力に惹かれて行くことにした。説明会の後はコンビニでアイスを買ってくれた。学校祭が終わってからは補講ということで、受験対策の特別授業をやっていた。その日の課題をやり忘れたことを先生に言うと、少し遠回りをしてくれて、補講が終わった後学校に戻ってくるようにしてくれた。1番写真部でよかったと思える瞬間だった。写真展が終わった9月には新しい部長を選んで引き継ぎをした。その後輩には直接「次の部長だよ」とは言わなかったが、そのつもりで4月からは色々と教えたり、学校祭の準備を手伝ってもらっていた。引き継ぎはそんなに難しいものではなかった。自分とは違って、写真を撮ることに熱意があったから心配はなかったし、むしろ申し訳ないぐらいだった。

夏休みには約束通り、先輩が呼んでくれて、裏卒の計画の進捗やわからないことを聞いた。Sと共にスタバに呼ばれた。夏休みが長く、スタバにも普段から訪れる大学生に憧れた瞬間だった。ただ、スタバの雰囲気は好きじゃなかった。自由時間が多くある大学生活でドラムができるとしたら、これほど嬉しいことはないだろうと思った。

夏休みがあけてからはほとんど受験勉強か裏卒の練習のどちらかだった。体育祭もあったが、最後に優勝できなくて残念ぐらいにしか感じなかったし、それ以外は大きなイベントはなかった。だけど、有志ステージのおかげで以前よりはクラス内に自分の居場所はあった。「写真部の部長で、ドラムをやってるやつ」ぐらいの認識はあったと思うし、それなりに仲良くやっていた。

11月後半、TYから、「裏卒でやる曲なんだけど、声出ない(キーが合わないという意味で)から変えたい。」と連絡があった。次の日の昼休みに相談することにした。TK、TY、Wが同じクラスだったから、Sとその教室に行った。自分は受験勉強もあったから夏休みのうちに4曲をほとんどできるぐらいまでにしていたけど、声が出ないなら仕方がないと思っていた。TYが歌えるという条件で曲を探すことにした。TYにやりたい曲はないのかと聞くと、「ボカロをやりたいが、周りはそんなに知らないから盛り上がらないと思う。みんなが知ってる曲がいいと思う」と言った。有志ステージで、他のバンドがみんなが知っているような曲をやっていた時に、見ていた人の反応が良かったことを気にしているみたいだった。自分はみんなが知っている曲がよくわかっていなかったから、このTYにそれに当てはまる曲はないのかと聞いても一曲も出てこない。他のメンバーも色々提案をするが、みんな知らないかもしれない。もしくは声が出ないで却下になる。自分はそんなことだったら自分たちのやりたい曲をやればいいと言った。周りのことなんか気にしなくていいと思った。自分を認識してくれてる人だったらどんな曲をやろうが良く見えると思っていたし、カースト上位の人たちに合わせる義理はないと思っていたからだ。TYは盛り上がりを気にしていた。

裏卒は、裏卒の計画をした人がいるバンドがトリになる風潮があった。だから、自分たちがトリだという、一種のプレッシャーがあったのかもしれない。それでも、自分のやりたいことをやるのがロックだと思っていた。だけど、4曲決めるのに1週間も2週間も経っても曲が決まらないことにイライラを隠せなくなっていた。そして、「こんなんでこんなに時間かけるなら裏卒に出なくてもいい。俺らの他にトリをやりたいバンドはたくさんあるだろうし、俺らの演奏時間を他のバンドに振り分けたほうがよっぽどいい。」と吐き捨てて、教室を出てしまった。これほど声に出して怒ったことはなかった。耐えきれなくなっていたし、他のバンドにも申し訳なかった。その夜、TYから謝罪のLINEが来た。そこで、TYとWは無理やりバンドをやっていたことを知った。「去年の学校祭は楽しかった。だけど裏卒あたりからコピーが辛くなってきてて、今年の学校祭と裏卒には出たくなかった。」とLINEが続いていた。自分とSが楽しそうに練習をしたり、一生懸命裏卒の計画をしているのを見て、言い出せなかったらしい。それなら裏卒は計画だけはしっかりやるから出るのはやめようと提案したら、Wは「やると言ったから裏卒はやり切る」と言ってくれた。TYはしぶしぶ了承した感じだった。Wがやると言わなかったらやるとは言わなかったと思う。TKはどっちでもよかったらしい。そのどっちでもよかったというのが自分は気に食わなかった。個人的にはあまり良く思っていなかった。ここからバンドに亀裂が入り、バンド以外ではあまり話さなくなってしまった。

1月の終わりのこと。スクールオブロックを聴きながら受験勉強をしていた。2月にthe pillowsのトリビュートアルバムが発売されることを知った。Base Ball BearがFunny Bunnyを、UNISON SQUARE GARDENがFool on the planetをカバーするらしい。

UNISON SQUARE GARDEN「Fool on the planet - Single」
https://music.apple.com/jp/album/fool-on-the-planet-single/820217340


好きなバンド2つが参加するトリビュートを作るthe pillowsは、なんてバンドなんだろうと驚いた。その日の放送では、the pillowsのこの世の果てまでが流れていた。

これもまたいい曲だった。放送が終わった後、UNISON SQUARE GARDENがカバーした曲の元はどんなものなんだろうと、調べた。

Base Ball Bearのエレサマ以来の衝撃だった。こんな曲が世の中にあるのか。なんとなくここまでの高校生活の悩みを吹き飛ばすような歌詞だと思った。ここからthe pillowsを聴くようになっていった。

そして受験勉強が終わった。第一志望の大学には行けなかったけど、大学には進学できた。対して勉強もせず、裏卒だドラムだとやっていたから、結果には納得していた。卒業式の1週間前、「卒業式の後のホームルームで曲を演奏したい」とクラスメイトから誘いを受けた。その人はピアノが弾けた。自分はカホンを持っていた。2年生の誕生日の時、珍しく母親から欲しいものはあるか?と聞かれた。特にほしいものはなかったけど、なんとなくカホンを持っておこうと思い、買ってもらっていた。しばらくはカホンに座って勉強をしていた。もう1人はアダルトことSH。3人で家に集まって練習をした。ありえない話だけど、何の曲をやったのか覚えていない。ゆずの曲だったと思う。

そして卒業式。卒業しても会いたい人は大体北海道にいたから、会おうと思えば会える距離だったから、特に悲しいとかはなかった。むしろ高校生活が終わる楽しみが勝っていた。卒業式が終わった後の最後のホームルーム。1人ひとことずつ話す。特に何も考えていなかったから、前に出た時に思ったことを言おうと思った。自分の番が来た。「実は学校祭が嫌いだった。準備期間の雰囲気から、とにかく全部が気持ち悪かった」と口から出た。クラスには親御さんも数人いたけど、その人たちも含めてすごい雰囲気になってしまった。自分の親が来てなくてよかった。その空気を察知して、「その学校祭が楽しめるぐらい最高のクラスだった」と最後に大嘘をついてしまった。そしてゆずの曲を演奏してその日を終えた。担任の先生からもらったメッセージカードには、「学校では目立たなかったけど、学校の外で活発な姿を見れてよかったです。」と書かれていた。多分相当悩んだんだと思う。

今年の裏卒は、ライブハウスをおさえられなかった関係で、卒業式から数日経ってから裏卒だった。卒業式が終わった次の日からスタジオに入って練習をした。裏卒もスムーズに進んだ。自分たちの演奏もあっという間だった。曲は、エルレがコピーしたFunny Bunnyとこの3曲をやった。

特別緊張とかもなく、何事もなく終えた。打ち上げには後輩2人を一風堂に連れて行った。先輩も来てくれて、先輩とSと自分で、後輩2人に引き継ぎをした。


こうして高校生活を終えた。WとTYとはこれ以降連絡を取っていない。Wに関しては「もう会わないだろうけど」と前置きをして、感謝のLINEを送ってくれた。TKはこの前久々にバスケしたところだ。WはたまにTwitterで自分のツイートをお気に入りしてくれる。この後輩とは大学1年生の夏休みに、自分がしてくれたように、Sと一緒に会いに行った。後輩は困っていなかったから、ただ遊んだだけになってしまった。大学1年生の3月の裏卒を見に行って、打ち上げまで参加してしまったから、大学2年生になっても裏卒には顔を出した。大学3年生の時も知り合いはいなかったけど、大学から近かったから、なんとなく情報を仕入れて見に行った。それ以降は裏卒は開催されてないらしい。有志ステージに出るバンドが1つしかなかったそうだ。自分がもらったバトンを後輩に渡して、それが続いていくのがどこか気持ちがよかった。だから、自分が知っているところで途切れてしまったのは寂しかった。

大学生になってからは、憧れの軽音サークルに入った。髪色が黒の人が少ない、結構ヤバそうなサークルにほとんど勢いで入ってしまった。でもそんなことはなかった。自分の居場所があって、自分の好きなものは否定されない。素敵なサークルだった。サークル生活最後には、Fool on the planetもやることができた。大学1年生の追いコンでELLEGARDENのスターフィッシュを聞いた時から、絶対にこの曲を最後にやると決めていた。

高校3年生の自分には想像もできなかっただろう。スクールカーストから開放されて、今まで誰も興味のなかったものだったのに、周りにはそれを知っている人がいて、好きな人がいる。ありがたいことに先輩にも同期にも後輩にもよくしてもらった。Fool on the planetを周りは知らなくても、自分だけが知っていて、自分さえ好きだったらよかったはずだった。だけど知ってる人がいて。こんな幸せな時間は他になかったかもしれない。

大学の学校祭だって、好きになれなかった。けど、サークルで借りてる教室から出なければ何の苦もなかった。貼り絵もあった。今までの学校祭の嫌な思い出を振り切りたかった。だから積極的にやったけど、それさえも楽しかった。おまけに今までの学校祭のことを笑ってもらえてよかった。


高校生活を通して、自分の根っこというか、自分を作る要素みたいなのは、なんとなく見えた気がする。

「人生には必要のない痛みはある」と聞くこともあるかもしれないが、自分はそうは思わなくなった。学校祭であんな思いをしなくても生きてはいける。むしろ、そのほうが都合がいいかもしれない。だけど、同じ経験をした人にしかその辛さは100%理解はできないと思う。時には30%の理解じゃ足りない時もある。自分が手を差し出してほしかった瞬間があったから、他人に手を差し出す瞬間や方法をわかったりもした。優しい人は、誰よりも辛い経験をした人なんだと思っている(自分がそうだと言いたいわけじゃない)。いくら頑張ってもダメな時はダメだし、努力したからといって必ず結果が出るとも限らない。だから上手くいかない時に投げ出すわけではない。当時の自分が学校祭の準備を続けたのは、学校祭を終わらせて、「こんなことあったけど、やりきったぞ」と自分に自信を持たせたかったんだと思う。だから、その後は辛いと感じることが以前より少なくなった。諦めの悪さは前々から持っていたけど、こういうやりきることは高校生活で身についたものだと思う。

同時に他人に助けを求めるのが下手になったと思う。どうせ声を出しても認知されていない自分のことなんか見向きもしない。そう思いはじめてからは意地でも自分だけでなんとかしようとしてしまった。そのせいで、ネガティブに思うことはなくなったけど、無意識のうちに誰かに手伝ってもらおうというよりは、自分でなんとかしようとしてしまうようになった。

1番これがわかって変わったことがあった。確か3年生の時だったと思う。スクールオブロックのBase Ball Bearのコーナーで、「自分は自分の人生の主役を生きているか?」という質問を視聴者と電話を繋いで聞いてみるという企画があった。自分は自分の人生の主役を生きているという感覚はなかった。そもそも生きているというより、生かされているという感覚だった。だけど、このコーナーが終わった後には自分の人生を生きていると言えるようになった。

映画の主人公の後ろを通り過ぎる人。それが自分なんだと思った。でも自分の自分を生きている。通りすぎるだけの人。1秒も映っていないかもしれない。映画には描かれないだけで、その人には名前があって、その人の物語がある。それに気づけた。スポットライトは当たらないし、映画にしたら面白くもなんともない人生だけど、自分にも自分の物語がある。映画と違うのは、映画の収益だったり、周りの評価とかを気にしなくていい。自分が主人公で、自分の好きに物語を決めていける(コントロールできるものとできないものがあるけど)。スポットライトに当たりにもいける。でも自分からは当たりに行きたくない。学校祭で人にあんな思いをさせるぐらいなら、スポットライトは当たらなくていい。自分を気にかけてくれた人が自分の物語を気に入ってくれればそれでいい。だから来るものは拒まないし、去るものも追わないようになった。

大きな根っこの部分はこの辺だと思う。あとは書き忘れや小さい根っこの部分を少し書く。

・アダルトことSHは高校1年生と3年生で同じクラスだった。

・大将ことITは3年間1度も同じクラスにはなったことはなかった。だけど音楽や体育の授業では3年間同じで、名前と顔が一致する程度だった。仲良くなったのは大学入ってからだった。

・Iは大学が同じだった。入学してすぐはよく話かけられたけど、Iに友達ができてからは話かけられなくなった。目も合わせなければ、完全に知らない人になった。そんなIは公務員をやってるはず。気に食わん。

・学校祭の壁新聞は、自分が卒業した次の年から廃止になった。無駄な痛みじゃないか。タイミングの悪い。

・スリーピースバンドが好きなのは、「え?お前有志ステージ出てたの?ボーカルで全然見えなかったわ」と言われたことがあるから。ボーカルが目の前にいないスリーピースの立ち位置に憧れていた。

・SGとNと、3年生の同じクラスの人とは今も遊ぶ。つい昨日電話をしていて、「お前って結構顔に出るタイプだよね。バンドで揉めてる時の顔すごかったぞ」って言われた。

・2年生の修学旅行でアニメイト本店?に行くことになった。個人行動は認められていなかったから、アニメイトに行くことになったけど、誰よりもアニメイト顔だったから、意地でも店舗の中に入らず、外で45分ぐらい待っていた。その代わりに東京のお茶ノ水の楽器街に行く約束をしていたのに、気づいたら他の人はマクドナルドに行っていた。

・the pillows 30周年記念作成映画内で、この世の果てまでが流れて号泣した。

・ここまで3年間書いてきて、彼女が1度も出てきていないのは、全くそういうのがなかったから。でもBase Ball Bearの歌詞に出てくるような、「自分の想像力を、水溜りをよけるように飛び越えてしまう女の子」には憧れがあったし、今もある。具体的にと言われるとすごく説明が難しい。

・大学に入って最初にやったライブでコピーしたのはUNISON SQUARE GARDENとBase Ball BearとYUKI。UNISON SQUARE GARDENで無敵と、Base Ball Bearで大将と一緒にやった。最後のライブも無敵と大将だった。


あとよく聞かれる質問が、「結局the pillowsとUNISON SQUARE GARDENとBase Ball Bearのどれが1番好きなの?」である。これは非常に難しい。結論から言うと、1番はない。Base Ball Bearは自分に寄り添っくれて、the pillowsは自分の声が自分に聞こえるようにしてくれて、助けてくれる。UNISON SQUARE GARDENは助けてくれない。UNISON SQUARE GARDENはいつも勝手に鳴り続けているから、聴きたくないときは聴かないようにするし、聴きたいときは確実に自分の心を揺さぶる。どれも大事。UNISON SQUARE GARDENだけ都合のいいようになってしまって申し訳ない…でもUNISON SQUARE GARDENは自分の1番好きなバンドの1番好きな曲を、数ある曲の中から選んでカバーするバンドなのだ。曲もはじめも「サンキュー、バスターズ!」と言ってから曲がはじまる。バスターズとは、the pillowsのファンの名称のこと。粋だ。数年後には、the pillowsの曲を10曲ぐらい合わせたような曲、「RUNNERS HIGH REPRISE」を発売する。激アツだった。

UNISON SQUARE GARDEN「10% roll, 10% romance - Single」
https://music.apple.com/jp/album/10-roll-10-romance-single/1264477070

これがベースの曲。

これは好きにならざるを得ない。


もう一つよく聞かれるのは、「もうバンドやらないの?」という質問。今は体が思うように動くうちにバスケをやりたい。もちろんきっかけがあったら、ドラムを再開してもいいけど、今はバスケをやりたい気持ちでいっぱいだ。

これにて根っこを探す会は終了。お付き合いいただいてありがとうございました。


次回からはいつも通りに戻ります。もっとペースを上げたい。今回はこれを書きながら勝手に暗い気分になって手が止まってしまったりしたけど、次はそんなことはないと思いたい。

強調したいのは、ここまで書いてきたことは克服したもであること。傷跡はあるけど痛みはない。触れちゃダメだとかそういうのはない。もう完全に終わったことだ。

それでは。







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