ある人生とない人生ならある人生を選びたいし、数多あるうちのひとつにすぎないのに心に翻弄されてばかりで、存在証明は不要でも自分が何をしたいのかは別であり、出る所引く所はわきまえたくて、どれだけ今日に疲れてもまだ見ぬ明日は美しく、それがあればとりあえずオーケーとも思えそうで、結局は今が1番よくて何が悪いのか?

タイトルだけ決めて、本文が何もない下書きの記事。何を書きたかったのかすら思い出せない。
タイトルが先か内容が先かと聞かれると、内容が先の方が多いけど、タイトルを先に決めることもある。

noteを書かなくなったのは、仕事の文句を書かなくなったからが1つの大きな理由だと思う。だからと言って順調かと言われるとそうじゃない。1人会社をやめることになって、「お前がトドメを刺したんだ」とまで言われる。言いがかりも大概にしろよ。

会社に期待するのをやめた。会社を辞めたいと言うわけではない。あれやってくれたらいいのにとか過度に期待してる部分があったから、そうならなくても仕方がないと割り切るようになった。


あとは文句や愚痴を言わないようにした。思ってしまう部分はあるけど、なるべく口に出さないように。別に文句や愚痴を言うのが悪いとは思ってないし、人に話をして楽にならないわけでもない。ただ、「○○してくれない」「○○すればいいのに」というよりは、「〇〇してくれたら良くなる」と考えるようにした。グダグダ言うよりはどうしたら良くなるかを考えて行動に移してるほうが何倍もいい。

それでも文句は言ってしまう。本人に直接言う時は例外にしている。今年一年を何を目標にどう過ごすのかをまとめるExcelのシートがある。とにかく面倒くさい仕様。求められている点数を下回っているのはわかっていても期限までに一度部長に提出。らしくないけど、忙しくてできなかった?と聞かれたので、「忙しいのは言い訳にできないので関係ないですけど、これをどれだけやっても20代だからって役職につけないならやる意味ないんじゃないですか?」と言ってしまったりもした。何もやってないマイナスの意味ではなくて、ここに時間をかけるぐらいなら他のやるべきことに時間を使いたかったからこその発言だった。役職につけないから遊んでるわけでもない。


(ここからは業界特有のものがあるから、よくわからないところもあるかもしれないので、しばらく読み飛ばしてくれて大丈夫です。)


やっぱり俺は、自分の仕事に職人さんとその家族の生活がかかってると思う。1人で背負わないで会社で背負うものだとしても、それを1番近くで感じる立ち位置にいる。職人さんがいなければ金にならない商売をしてると思う。それでいて目の前で困ってたら、助けたいと思うのは当然のはず。自分は世界全体を変えたいとも思わないし、変えれるとも思ってない。だけど、自分の手が届く範囲の世界だけでも良くしたい。会社からすれば、本来会社が得られるはずの利益を外部に垂れ流す悪者。こうやって悪が生まれて、カラフルな3〜6人組に派手な演出とともに殺されるんだろうね。「悪とマズい飯屋は栄えない」とはいえ、マズい飯屋はゼロじゃない。お金はほしいけど、それが一番じゃない。役職について、ちゃんと戦える立ち位置にいきたい。もう会社の中に1ミリもモチベーションがない。「永遠のテーマ・問題だね」って言いながら宙に浮いてることが何個もある。わかるよ、難しいよ。難しいとわかるから最初からやらない。やってみたけどダメだった人もいるかもしれない。ただ今は誰もやろうとしない。それをやろうって言ってるだけ。あとで楽しようぜ。そのためにやることがたくさんある。月に手を伸ばしてる気分。でもその表現も好きだよ。ほとんどないけど、月に手が届きそうな夜があって、そんな日は本当に気分がいい。


やるべきことがわかってるけど、なんかうまくいかない時はこういうストレートな曲が聴きたくなる。なんとなく壁の向こうは想像はつくし、やめれば楽になる。けど、想像するのと実際に見るのは違う。実際に見ることに意味があることもある。最近は下を向いてばかりで、空に星がキレイなことも忘れるような日々。早くクソみたいなことがキラキラ光る星屑に変えて、それをぼんやり眺めていたい。聴いてるとなんとかなりそうに思えるし、「お前から教わったことでもあるんだ」ってところにすごい救われる。

音楽には何回も救われて今があるから、ただの娯楽ではなくなってしまった。理解されなくてもいいけど、否定されるのは嫌いだよ。

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