今まで夢を何個叶えてきた?

「今まで夢を何個叶えてきた?」というこれほど前向きな質問はない。叶えてもらったというか、周りの力のおかげで夢に似たようなものを叶えたことはあったと思う。自分で叶えたくて叶えたそういうものは未だかつてない。それよりは夢を持てないでいるというほうが正しいかもしれない。夢を信じきる能力もなければ、叶える能力もないということに、はやめに気づいてしまったからだ。

だからと言って何もしていないわけではない。夢とまではいかなくてもやりたいことがあったり、目標はあった。だけど、壁の多い人生ではある。楽には生きていけない。本当は気づいている。その壁を超えたところで、ほしいものは手に入らない。得られるものは0じゃなくても、頑張りや、かけてきた時間とは到底釣り合わない。ほとんどは虚しさだ。壁を超えた先の景色はどうだった?前と変わった?本当にほしかったものはこれだったのだろうか。壁から逃げれば、またその壁はやってくる。「次こそは」とか「今は意味がなくてもあとからついてくるから」とか自分に言い聞かせて、自分を騙しながら前に進んでいても本当は気づいてる。その次がやってきたことはあったか?後から来るはずの意味は今どこにいる?負け癖がついてる上に成功を知らない。前に進むのをやめたらどうだろう。喉の奥から泥の味がしてくる。啜りたくもなかったのに。また嫌なことを思い出す。人が楽しくしてるところも見たくないし、悲しそうにしているのも見たくない。とにかく自分の外の世界と関わりたくない。自分の体をよく見てみろ。体にデカい穴をあけて、しかも1個や2個じゃない。そしてどれも血が出ていなくても1個も塞がってないじゃないか。そこにまた穴を空けて、後何個空けるつもりなんだ。どっちみち今は血だらけで人前に立てる姿じゃねぇな。ふとまた痛みを思い出すんだろ、血が止まった穴から。もう痛みはないはずなのに。穴が塞がらないのは、前に進むことでしかその穴は塞げない。代わりのものは穴に馴染まないし、すぐに壊れる。穴が塞がってないのを見るに、進んでいるのが本当に前なのかも信用ならない。何も見えてない。自分の中で矛盾している。前に進まなきゃ何も変わらないのに、前に進みたくなくなっている。それはそうだ。穴を塞ぐために前に進んでるのに別のところに穴が空いて、それも塞がらない。もっと綺麗に、もっと上手く生きたいのに、どんどん見た目が悪くなる。そんなんじゃ自分を騙しきれない。行くも地獄、行かぬも地獄なら死んでしまってもいいじゃないか。「生きてさえいればなんとかなる」なんて曖昧すぎて死んではいけない理由になるとは到底思えない。生きてるだけ辛い時間が長くなるだけだ。

そんな自分を引き止めるのは、自分が好きだった、自分が信じてきた音楽じゃないか。自分のために鳴っているわけじゃない。だけど誰も気づかなくても、どんな時でも自分を見つけてくれるように、穴が空いた瞬間には信じられなくても、耳を塞いでいても諦めずに鳴り続ける。穴を塞いでくれたり、血を止めてくれたりはしないけど、ただひたすら足を止めないように、時には背中を押して、時には手を引く。手を伸ばせばそこにある。「揺らす」ことはあっても、足が止まってばかりで「転がす」ことを忘れてしまうから「ロールはどうした?」って言われてしまうし、思うような結果が得られないことばかりなのにそれでも続けるから「月に手を伸ばす」という表現にもなってしまう。出会わなければよかった。今回が初めてじゃないから困る。勝手に手を引いておいて、進んでるのが前じゃなかったらお前のせいだからな。だけど、最後に「間違ってなかった」と言えればいい。どんな道で行こうが、どんだけ時間がかかろうが。それが言いたいから進むのをやめないんじゃないんだろうか。今すぐそう言いたいから焦る気持ちがあって、今ほしいのに手に入らないから嫌になるんじゃないのか。本当にどうして出会ってしまったんだ。

普段の自分も、こういう自分もどちらも自分。どっちが本当で、どっちかが嘘ではない。光が強ければ影も濃くなるし、暗ければ暗いほど感じる光も眩しい。ただ暗い自分は見せたくないから、普段は蓋をして人目につかないところに置いておいてるんだけど、目の前で開いてしまったらしい。蓋を作り直すか、置き場所を考え直そう。

血は止まらないし、足元の砂と血が混じってぐちゃぐちゃになってしまっているが、次に進まなければいけない。オリオンのバックヤードツアーはこれぐらいにして、砂ぐらいは片付けよう。さぁどうしたものか。とりあえず自分の外の世界に触れてみようか。きっかけは自分の中にはないし。気乗りはしないけど。体に穴は空けても、仕事には穴は空けられない。とても夢を持てるような状態じゃないけど、徐々に新しい何かを見つけていきたい。


たまたまTwitterを開いたら、友人がツイートしていた記事を見つけた。偶然にも同い年らしい。こういうジャンルには疎いけど、言ってることはその通りだと思う。

仕事になればスイッチが入ることもわかったし、スイッチが入ってしまえば色々と「つくる」ことはできる。問題はそれ以外の時間。noteは自分で「つくる」というよりは整理してる感じで、どちらかというと受け身だから少し違う。飽きるまではやるけど。能動的に何を「つくりたい」?と聞かれたら何をしようか。コロナ禍もあって家でできることがいい。何も制約がなければバスケがしたい。コロナ以外にも雪で野外のコートはこの時期使えない。バスケしていれば色んな自分が1つになって心地いい。だから左右で違う色のバッシュを履いて落ち着く。それ以外だと何をしたいだろう。できる・できないを別にしてパルクールは体動くうちにやってみたい気はするし、平野歩夢みたいに「横乗りいいな」って言ってみたかったりもする。なんだ、意外と外に出たがってるじゃないか。勉強はやる気がしないし、読書は飽きそうだし、ゲームは「つくる」とは違うかな。やそれともやることがなかったら、また光が差すまで踊る?社会に貢献したいとかそんな大層なことは思ってないけど、能動的に何かをしてみたい。血と砂を片づけながらゆっくり考えてみてもいいかもしれない。


(これも期間限定らしい。)


どこで何をしようかな。

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