自分の幸せについて考えてみた。

スポーツ界では、「コートネーム」というものがある。試合の最中に呼びやすいようにする短いニックネームみたいなものだ。だけどそこにはちゃんと由来もある。そういうのに憧れるなぁと思っていたけど、「オリオン」というのがまさにそれだった。馴染みすぎてニックネームだということをつい忘れてしまう。


この一年で自分の幸せについて考え、「自分の幸せはこれだ」と一言で表現できるようにするのが目標だった。結論からいうと、目標は達成できなかった。一言で表すのが難しいというか、新しく「幸せだ」と思えることがなかった。これまで通り幸せだったのだ。それはそれで答えとしてはいいのかもしれないし、幸せに面白いもつまらないもない。自分が納得いかない。ただそれだけのことだ。

かと言って、この1年が無駄になったわけではない。幸せについて考えることで前向きになったり、視野が少しだけ広くなった気がする。自分がどういう時に幸せになることを諦めるかも気づいた。思っているより幸せなことは身近にあるし、幸せなのにそれに気づいていないことばかりだったと思う。友達との予定だったり、履きたい靴があったり、それらに「生かされてる」感覚。それらがなければいつ死んでもいい。「いつ死んでもいい」ということは「生きることを諦めてること」らしい。生かされてる感覚があるということは、どこかで生きることを諦めていたのかもしれない。幸せが埋もれてしまうぐらいの辛いことがたくさんあったら死にたくもなる。仕事柄、他の業界に比べて労災で死ぬ確率が高い業界にいるし、急に死んでしまった時の準備はしておかなければいけない。どこかで、「死んだ時のための準備=いつ死んでもいい」となっていたかもしれない。それに気づけただけでも自分にとっては大きいかもしれない。外見では何も変わっていないように見えるのがちょっと悲しいね。


1年かけてこれだけしか書けなくて、なんだか読んでる人には申し訳ない。自分の中では1つの縛りプレイが終わったような感覚。決して罰ゲームではない。ポケモンセンターを使わずにゲームクリアしてみたり、ロックバスターのみでラスボスまで攻略してみたとか、自分にとってはハードルが高くて、やろうとも思わなかったことだった。来年は1ヶ月ごとにためたりしないで、その瞬間で短く、多く記事を書いていきたい。今年で5〜6個ぐらい途中まで書いて下書きのまま残っている記事がある。途中まで書いて書き終えたり、投稿するのを躊躇ってしまった。内容が暗いというか、あまり気乗りしなくなってしまっていた。綺麗なところだけ見せてお涙頂戴っていうのも良くないだろうから、来年は書きはじめたら下書きに保存したままにしないようにするのが目標。


まとめると、これに近くなる。自分の中にこれほどのポップさもないし、奇しくも生きた心地のしない好きじゃないことが多すぎた時間のことを思い出してしまうような映像だ。だけと歌はまさにその通り。もしも自分が生きている理由が、「他の誰かに生きる勇気や希望を与えること」だったら。それは言い過ぎだとしても周りが少しでもいい方向に進めたら。それはとてもかっこいい。憧れてしまう。


年内はもう何個か書けたらいいなとは思うけど、書けなかったら困るので、最後になってもいいように。今年も1年ありがとうございました。ただただ自己満足で周りにはなんの影響もないであろう稚拙な文章でした。そんなものに時間を使っていただきまして、感謝しかありません。来年になっても文章が上手くなったり、更新ペースが上がったりするわけではありませんが、変わらず自己満足でやっていくつもりです。来年もよろしくお願いします。

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