Youngblood/木村夏樹の覚え書き/2023.02

去年の今頃の自分に、ブランフェス限定[My Life, My Sounds]から一年ちょっとで、木村夏樹の5枚目のSSRが来る。それがまたしても髪を下ろしたモデルで、しかもバレンタインに合わせた実装だと言ったところで、言葉を失うだろう。

そんな言葉を失うような事態があったのだ。

[緋色のラブ・ソング]まさか木村夏樹のSSR5枚目が、これほど早く来るとは思わなかった。それもバレンタイン限定SSRとは、全くの予想外だった。

赤いドレスをまとい、髪を下ろしたモデルで毛先にカールまで巻いて、今までのSSRと比べても華かやで、艶やかですらある。特に横顔がほんとに女性的で、MVで見ると、ふとした瞬間にドキリとさせられてしまうほどだ。その声色もいつもと違うが、その容姿も合わさり、どこか安野希世乃さんの雰囲気を感じる。今の木村夏樹は、安野希世乃さんあってこそなのだなと改めて思う。

しかし何より自分が[緋色のラブ・ソング]で注目したいのは、このSSRコミュで木村夏樹が、木村夏樹らしさを言葉にしたことだ。

昨年1月のブランフェス限[My Life, My Sounds]では、これまでのアイドルとして活動しながらも密かに抱いていた、ロックとアイドルの剥離の不安、それをロックの聖地であるメンフィスを訪れたことで心境に変化が生じて、不安を吐露して、アイドルとしての自分に自信を持つことで、髪を下ろしてステージ立つことを厭わなくなった。

さらにまた昨年11月にはデレぽの質問で、木村夏樹にとってロックとは「木村夏樹そのもの」と、おそらく初めて木村夏樹が自身のロックの定義を明確に言葉にした。

[My Life, My Sounds]でロックとアイドルに賭ける自分に自信を持って、さらにデレぽで自身にとってのロックを言葉にすることでより深め、そしてこれまでを踏まえた[緋色のラブ・ソング]において、オンリーワンのロックアイドルとして、表現そのものとしての木村夏樹が一つの形に昇華された。

木村夏樹のこれまでの活動がおぼろげながらも一本の線で結ばれて、ようやく一人の人格ある存在として立ち上がったようだ。

そうした想いを形にするために、バレンタインという気持ちを伝えるには絶好の機会で、プロデューサーへの感謝という形で表した。

名采配と言えるんじゃないか、バレンタインという特別感あるイベントで、Pラブ勢としての木村夏樹のオタクをも満足させながら、あくまで木村夏樹を相棒として捉えてるプロデューサーに向けても信頼をより深めると受け止められる。

そしてプロデューサーとしては、これまで何度も積み上げては崩されるような活動を続けてきた木村夏樹が、芯を食った活動に乏しく人格の掘り下げが進まなかった木村夏樹が、これほど物語性のある活動を積み重ねたことを喜ぶべきなのだろう。

しかしそれでも思うとことが無いわけではない、つくづく[緋色のラブ・ソング]はモデルといい声といい、今の木村夏樹は安野希世乃さんあってこそなのだなと思う、年を追うごとに木村夏樹が安野希世乃さんの影響を受けているとすら感じる。

だからこそ思う、中の人に引っ張られ過ぎではないか、それがいいことなのか。木村夏樹はあくまでも木村夏樹であって安野希世乃さんではないはずだ。表現者としてオンリーワンのアイドル木村夏樹が、安野希世乃さんに引っ張られることがいいことなのか。

さらにまた思う、ブランフェス限からの活動が一本の線でつながっているとしても、それ以前の木村夏樹の過去、アイドルとして幅の狭い活動ばかり重ねてきたこと、ロック・ザ・ビートという木村夏樹にって軸であるはずのユニット活動との繋がりなど、これまでの木村夏樹と一本の線でつながっていると言えるのだろうか。

そうこう思うちにサービス終了を来月に控えたモバマスでは、最後のイベント『ラスト・シンデレラヒストリー』の4話が公開されて、アイドル全員が登場するライブが開幕して、木村夏樹も登場した。情熱的で衝動的な木村夏樹らしい出番だった。

しかし自分が注目したいのは、このイベントの意義だ。『ラスト・シンデレラヒストリー』は事務所の引っ越しという体でモバマスのサービス終了をメタ的に描いているが、さらにまた突っ込んで、モバマスの終了と共にプロデューサーを引退する人をメタ的に演出するように、劇中のプロデューサーもアイドルのプロデュースから離れる噂を匂わせている。

そこでアイドルたちがプロデューサーを引き留めようと、プロデュースしたいと思わせるために、精一杯のライブを魅せる。それがこのイベントの意義だ。そのライブ出演者としてピックアップされたの一人が木村夏樹だった。

だがしかし、とっくに自分はプロデューサーを辞めている。プロデューサーを辞めた自分には、どこか空寒い演出にうつった。それでも、それでよかったのだと思う。

ここ最近のアイドルマスターシンデレラガールズの動きを見る中で、改めて思う、自分はアイドルマスターシンデレラガールズのプロデューサーを辞めた事で、間違いなく適切な距離を保っている。

モバマスが終わる前に、木村夏樹はデレステでようやく一本の線で繋がる物語を始められたことをプロデューサーであったなら喜び、運営を信用するべきなのだろうが、これまでの運営の数々の所業を思えば、運営を信じてはいけない期待してはいけない、運営に絆されてはいけないと、プロデューサーを辞めた事で距離を保てる。

プロデューサーを辞めた事で、プロデューサーとして報われることもない、アイドルから何かを受け取ることもないが、アイドルに対してもフラットな気持ちでいられる、そういうものだと他人事でいられる。

プロデューサーを辞めた事で、プロデューサーとして義務を果たすために痩せ我慢することもない。来月に開催されるシンデレラガール総選挙「Stage for Cinderella」グループDでも、木村夏樹が投票対象ではあるが、プロデューサーとして必死で表をかき集めるような義務を果たすつもりはない。

俺がプロデューサーに戻る時があるとしたら、アイドルマスターシンデレラガールズの運営を信用できるようになった時、それは190人以上いるアイドル一人ひとりの物語が始まった時だろう。

今月の覚え書きを終えて思うのは、これはある意味で決意表明だった。プロデューサーを辞めたなりに、プロデューサーでも何でも無いただの自分なりにも矜持はあるのだと言葉にして形にすることで、何かを示すことが出来たのだと思いたい。

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