The world's smallest violin/木村夏樹の覚え書き/2023.04

2023年4月は木村夏樹に関する大きな動きはなかったが、デレマスのみならずアイマス全体で見ると、いつにないほど大きな動きがあった。今月はそうしたアイマス全体の動きと木村夏樹を合わせて、思うままに書いてみたい。

今月4日に『アイドルマスター SideM GROWING STARS』こと『サイスタ』のサービス終了が発表された。サービス縮小のような予兆もなく、かなり突然の発表であり界隈には大きな衝撃が走った。

ことSideMにとっては『エムマス』と『エムステ』に続いて、三度目のサービス終了であり、そのうえ今後は新作ゲームのリリース予定もなく、IP活用のコンテンツとして続けていくという宣言もあり、曲がりなりにもユーザーが主体的にアイドルと関わるゲーム媒体がないのに、ユーザーをプロデューサーと呼べるのかと議論を呼んでいた。

タイミングも悪かった、アイマス全体を統括してきた坂上陽三の退職直後であり、またアイマス全体で『PROJECT IM@S 3.0』と銘打って新展開を迎える中で突然のサービス終了。これからSideMがどうなるのか、はたまた他のアイマスブランドでさえもサービス終了に怯える不安が広がってしまった。

そんな中でさらに今月14日は「PROJECT IM@S 3.0」の目玉の一つである新プロジェクト『PROJECT vα-liv』ヴィアライブが本格始動した。Live2Dを利用してYou Tubeという動画配信サービスでアイドルではない、アイドル候補生が活動するという、これまでのアイマスと比べてもかなり実験的なプロジェクトだ。

企画コンセプトやアイドル候補生たちの動画を見ると、まだまだ手探り状態の印象を受けた。特にアイドルたちが競い合う投票企画というだけでもギスギスすると言うのに、修正されたとは言え、当初は多重投票が出来たというのはかなり痛い。しかし昨今のVTuber流行を受けての意欲的なプロジェクトであり、今後どれほど配信者と視聴者で信頼関係を築いていけるのか期待はしたい。

つまるところVTuberとは、配信者と視聴者との間でどれだけ信頼関係を築けるか、ここまでは踏み込んでいい、ここまでは設定として暗黙の了解をするというような不文律を築いて、共にバーチャルという幻想を抱きながらも実在性を高めて、本気でごっこ遊びが出来るかにかかっている。それはキャラクターとしてのアイドルと演じる声優で、幻想と実在の間で信頼関係を築いていたアイマスシリーズの根底に通じるものだ。

その実在性を高めるという意味では重要な新展開として、今月の6日からは、デレマスの新アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ U149』が放送開始した。そもそも原作漫画である『 U149』がそれまでの原典であるモバマスはじめとするデレマス全体で、矛盾やブレも含めたアイドルたちのバラバラの遍歴を再編集して、アイドル一人ひとりの人格を確かなものにして実在性を高めて、さらにアイドルたちの物語が連なり一つの物語として漫画に高めてたものだ。

その再編集された漫画を、さらに再編集してアニメ化するために削ぎ落とされたものや解釈違いで、どうあっても賛否両論を呼んでいる。特に漫画版には主要人物である第3芸能課のアイドルたちだけではない、ボイスの有無に関わらず数多くのアイドルたちが登場しているだけに、アニメで登場の割りを食ったアイドルの担当Pからは評判は良くない。だが漫画のエッセンスやアイドルたちの本質を捉えて再編集するアニメ演出そのものは概ね良好に評価されつつある。

さてこうして今月のアイマス全体の動きを見ると、原作であるゲームとプロデューサーの関係性、アイマスというブランドの信頼と、アイドルの実在性を高める試行錯誤の中で不安を呼んでいるというのが実際ではなかろうか。

『PROJECT IM@S 3.0』というアイマス全体で大きな動きを迎える中で、SideMのように突然のサービス終了でアイドルたちの活躍が先行き不透明となり、そしてユーザー主体的に関わるゲームがリリースされないにも関わらずユーザーをプロデューサーと呼ぶ違和感。

そしてまたヴィアライブでは、アイドル候補生たちを投票企画で競わせるうえに、アイドル候補生とプロデューサーという関係性ながらも、動画配信者と視聴者という、完全にユーザーに主体性がなくなって、ますますアイマスにおけるプロデューサーの意義が失われているようでもある。

いくらアイマスのアイドルたちにプロデューサーとして貢献しても、アイドルたちが大事にされない、プロデューサーという名目も有名無名化してしまえば報われない。

こうしたアイドルたちが大事にされていない、プロデューサーとして報われないという風潮の高まりに対して、自分としては何を今更と思う。

アイドルたちが大事にされていない、プロデューサーとして報われないと口にする人々の中には、かつてはアイドルたちが大事にされていない、プロデューサーとして報われないデレアニを無批判に受け入れて称賛していた人がいるのを覚えている。

デレアニではアニメ化にあたり、原典であるモバマスからはアイドルの個性も人格も歪められていた。その最たるものである多田李衣菜は狭量な性格に改変されたうえに、事あるごとに前川みくと喧嘩して、そのうえアスタリスクというユニットを組んで、とどのつまりが「アスタリスクが私にとってのロック」「ぶつかり合うことがロック」と多田李衣菜にとってのロックがアスタリスクのように狭量な価値観で喧嘩してぶつかり合うことだと再編された。

その再編は、デレアニ以前の多田李衣菜にとってのロックと言えば木村夏樹とユニットを組んだロック・ザ・ビートのように、あるいは多田李衣菜がリーダーを務めるフォー・ピースのように、互いの個性を認め合い高め合うことを否定するものだった。そしてそれはプロデューサーとの関係性も踏みにじるものであった。

デレアニのアスタリスクというユニットが作中においてプロデューサーの存在をほとんど抜きにして自己完結的に物語を展開したのとは対象的に、ロック・ザ・ビートはプロデューサーの存在を欠くことが出来ない。

李衣菜「○○さん、ステージに行く前にみんなで円陣組みましょう!○○、掛け声よろしく!」
夏樹「へっ!しょうがねぇな。みんな、行くぜー!Rock!The!Beat!」

https://w.atwiki.jp/imas_cg/pages/781.html

ロック・ザ・ビートというユニットはデレアニ以前のモバマスばかりか、それ以降のデレステにせよ、木村夏樹と多田李衣菜という2人のユニットであるばかりではなく、プロデューサーという存在が主体的に関わってきた。それはデレマス運営も分かっていることのはずだった。それでもデレアニのような信頼を喪う真似を繰り返した。7th大阪ライブのように。
もうこうした同じ轍を踏むことのないようにアニメ版U149には願いたい。

思えば自分にとって、なぜこれほどまで裏切られ信頼を喪ってきたアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツから離れられず、プロデューサーを辞めたといいながらまだそこに座しているのか、それはひとえに木村夏樹のためであり、木村夏樹の実在性のためにある。

デレマスのアイドルにとっての実在性とは、ボイスが実装されているとか、出番があるとか、アニメや漫画のような物語さえも実在性を高めるための装置に過ぎない。

デレマスのアイドルにとっての実在性とは、それはごく当たり前にアイドルがそこにること、木村夏樹がそこにいること、そういう暗黙の了解と信頼があって、初めて幻想のキャラクターに本気になれるごっこ遊びのこと。

今月24日に発表されたシンデレラガール総選挙グループDで、木村夏樹はまたしても結果を出せなかった。

その一方で上位入賞した大石泉はこれでボイス実装が内定された。これで今回の総選挙では、望月聖とライラさんを合わせて3人にボイスが実装されることになる。3人にとっては実在性を高めるまたとない機会となる。

既にボイスが実装されている木村夏樹にとっては総選挙は実在性を担保するものではない、とは言えどやはりやるせない。だからせめてこうして覚え書きを残している。

木村夏樹に関する動きがなくとも、こうして覚え書きを残すことは、自分にとって木村夏樹の実在性を高めるための一種の祈りのようなものであるかもしれない。

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