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「ダニング=クルーガー効果」とポーカー

やっと、2本目の記事を書く気になった。

なんとなく、noteのポーカーに関する記事をいろいろ拝見していて、自分はどういう記事を書き、どうアウトプットしていけば自分のため、また他人のためになるだろうと考えた。

話はポーカーとは逸れるが私が、ポーカーを始める7年前はサッカー観戦に夢中だった。Jリーグが好きで北は北海道、南は九州まで全国津々浦々日本中のスタジアムに行ったし、実際にJリーグの仕事もしていた。

言い出したら切りないが、サッカーに関して言えばそれなりに語れる知識はあると自負していた自分だったが、どうしても語れない根本的なことがあった。それは、戦術と戦略、大きく言えばオン・ザ・ピッチ(ピッチ内)のことである。
オフ・ザ・ピッチ(ピッチ外)のことであれば、どこどこのスタジアムはこういう作りでサポーターがこういう集客やイベントをやっている。また、あのクラブはこういう経営で飛躍的に成長している。あのクラブのマスコットの特徴は・・・

など、正直、ベースはサッカーじゃなくてもいいのでは?という知識は10年以上現場に足を運んで得た知識。でも、どうしても語ることのできないのは、結局のところ、ピッチ内での出来事だ。よく、選手批判、監督批判などスポーツでは目にすることだが、そんな批判している人間よりも選手は競技に取り組んでいるし、監督やコーチの指導者は知識がある。

だからこそ、自分はそういった面では触れないように語ることにしている。
まさに、当事者には失礼極まりないからである。

と、前置きが長くなったところで、本題のポーカーの話に移ろうと思う。

ポーカーに関していうと、上記で述べた通り、自分含め多くの人間がプレイヤーなのだから当事者である。もちろん、海を渡った先にいる一流のプレイヤーとは違い、差はあるかもしれないが、サッカーでピッチ内のことをオン・ザ・ピッチというようにポーカーでいうオン・ザ・テーブルの話ができる権利がある。

ただ、どうにもサッカーで戦術云々の話を避けていた自分にとって、ハンドがこういう状況で、相手プレイヤーがこんなプレイヤーでボードがこうだった時にどういうプレーが正しいかという時折ネット界隈で見るまさに、1点のシチュエーションに深堀して議論するようなことが苦手である。
・・・というか、避けてしまっている。

正直、そんな議論や持論を述べたところでまったく同じシチュエーションはそう簡単に次に起きないし、仮にその全く同じシチュエーションが起きたとして、その時の心理状況云々で議論して出した仮の正しい行動を行えるかは不明である。

ということはポーカーにおいて、1ハンドごとなどの解説をしたところであまり意味はないし、私が述べたところでほかの人の役に立たないだろう。

じゃあ、何がいいのかと考えてるときに一言で表す言葉は

「オフ・ザ・テーブル」

なのである。

ポーカーの席につくまでの心理状況やポーカーに向き合う日頃の行いなどそういったことを書いていったほうがまあ、ウケはいいだろうと。


ということで、記念すべき第1回目は「ダニング=クルーガー効果」である。

近年の日本国内のポーカーブームと、SNSの発展により、多くのポーカープレイヤーがポーカーを語る環境が整っている。

ただ、自分の実力に過信しすぎて、陰で叩かれる者、高額なレートに挑戦していき、バンクロールが破産して身を亡ぼす者。

SNSに映る光景は明るく見えるものの見えないところではそういった人間も少なからずいる。そういった人間が出てくるのは、「ダニング=クルーガー効果」によるものではないかと私は思う。

ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、英: Dunning–Kruger effect)とは、能力や専門性や経験の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある、という認知バイアスについての仮説である。

Wikipedia

まさに、ポーカーにおいて、初心者が最も陥る現象である。
例えば、スマホのアプリでルールを覚えて簡単じゃんと勘違い、初歩の初歩のころにたまたま大きなポットが取れたり、アミューズメントの少人数のハウストーナメントで優勝したり、自分の実力を過信してしまう要素は多くある。

そこで、一回冷静になり、座学なり、他人のアドバイスを受ければまぁ、いいものをその過信した状態から、「俺、強いんじゃね?」とか、「才能あるわ」とか、「世界目指すわ」など、言い出したときには他人のアドバイスなど聞く耳持たず早かれ遅かれオンラインポーカーで資金は底をつくか、海外のカジノでサイドギャンブルに流れポーカーなんかに真摯に向き合うことはないだろう。

ダニング=クルーガー効果

この図にもある通り、自分のことを過大評価し、一回現実を知り、そこからまた這い上がればいいので悪いことではない。むしろ、途中でポーカーとは関わらなくなることが、結局のところポーカー=ギャンブルとしてしか捉えられなくなったということである。まぁ、所詮ギャンブルなのだからポーカーという沼からは簡単には抜け出せないが・・・。

また、自分を過大評価して、挑戦することは自分を過小評価して、何も行動できないよりは悪いことではない。

自分自身のポーカーの実力を判断するのは難しい。今は、オンラインやアプリでいろいろなツールはあるかもしれないが、自分の実力と見誤るレートに挑戦すると簡単に崩れてしまうポーカーの綱渡り、うまく渡るのは自分次第なのである。

古代中国の思想家孔子は 「真の知識は、自分の無知さを知ることである」と語っており、改めてポーカーにおいて、自分の実力を知るのがポーカー強者への道になるのではないだろうか。

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