まゆみ

中学2年の頃に転校生がやってきた。とても綺麗な顔立ちの子で、そして、とてもぶっとんだ子だった。本土で生まれ育った彼女は、いつも標準語で少しテンション高めに話し、いろんな人の視線を集めていた。
彼女は高校に進学せず中学を卒業して美容師の勉強を始めた。島に戻ってくるときにはファッション誌から抜け出てきたようなお洒落な格好で、「あれさ、まったくMadonnaみたいじゃない?」と熱っぽく語る同級生の女子もいた。

1989年に私も上京したとき、彼女が誘ってくれて、PINK HOUSEのショーについて行ったことがある。当時丸井のハウスマヌカンをしていた彼女は、甘めのフリルたっぷりのペチコートを重ねたワンピースにカーディガンの全身PINK HOUSE。何を着て行ってよいか分からなかった私は、ぶかぶかの古着のオーバーオールにスウェードのコート、ハットを合わせ、デニムバッグからパディントンのぬいぐるみをのぞかせて出かけた。凸凹な感じの二人組が目に留まったのか、スナップを撮られ、装苑という雑誌の記事にちょこんと掲載されて嬉しかった。

そんなふうに時々会っていた彼女と疎遠になったのは、20代の半ば頃、恋愛が原因だった。昔私が付き合っていた彼と彼女が恋人になり、一方的に彼女から勝利宣言のようなことをされたのだった。そのあと長いこともやもやしたけれど、あるとき夢をみて、なにかが吹っ切れた。それきり彼女のことを極力考えないようにして過ごしてきた。

詳しくは書かないけれど、いまはもう彼も彼女もこの世にいない。あの頃に悩みを聞いてくれていた旧友も3年前に亡くなった。私の同級生、いくらなんでも早く旅立ちすぎだろうと思う。

先日、シンガーソングライターのKANさんの訃報が流れた。これまで関心を持たなかった自分を今ごろ悔やむほど、数々の珠玉作が遺されていた。その中に「まゆみ」という曲があった。
”まゆみ 君は時々 つもる悲しみを いったい どこへ流すの…”
KANさんの優しいことばが、ビートルズを想起させる美しいメロディーにのった素敵な歌だ。

地元のイントネーションには決してなじまず、標準語を貫いた彼女。いつでも目いっぱいお洒落をして輪の中心にいた彼女。そういえば、なんだかいつも強がって、あまり相談ごとを人にしていなかったように思う。最後に島で言葉を交わしたとき、「あたしもう宮古永住だよ」と自嘲気味に話した彼女は、最期を東京で迎えた。映画『ベティ・ブルー』の破滅型ヒロインに彼女が自身を重ねるような言動をしていたことを思い出した。

私は、自分だけがひどく悲しいと思っていたけれど、他人が抱えている悲しみには鈍感だったのだろう。新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」のでんでんむしみたいに殻に閉じこもって、彼女もまた持っていたはずの、かなしみには一度も心を向けることがなかった。

まゆみ、あなたは自分と同じ名前の、あの歌を聴いたことがあるかな。
会わなくなってから、どんな人生を過ごしていたのかな。
もう話すことはできないけれど、心の中で呼びかけてみる。
喋ることもなくなって30年ほど経った、こんな夜に。


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