見出し画像

Restart a life.

<2017年にmediumに投稿した日記をアーカイブ目的で転載したものです>

2017年3月17日。今日は自分にとって大きな節目の日。

遡ること5年と少し。2012年のバレンタインデーに前触れなく急性骨髄性白血病(AML)と診断され緊急入院、翌日から寛解導入法と呼ばれる化学療法=抗がん剤投与が始まりました。

AMLというのは不思議で、同じがんでも大腸がんや肺がんなどの固形がんとは異なり、タイプによっては完治する確率も一定以上ある一方で、治療しないと確実に死に至る病でもあります。そして発病した時点で全身がんなのでいわゆるステージという概念はなく(敢えて言うならステージ4)病状の進行も急激なため、治療は時間との闘い、そして白血病特有の強力な抗がん剤の大量投与にどれだけ身体が耐えられるかの勝負でもあります。

当初、青天の霹靂の診断に絶望の谷に突き落とされながら死を覚悟した自分でしたが、当時次女を妊娠中であった妻(牧子)が、明るく気丈に、そして献身的に支えてくれたお陰で、過酷な治療にも立ち向かうことができました。長女(当時4歳)の存在も大きかった。

そして治療開始から約1ヶ月後の2012年3月17日、幸運にも寛解(骨髄中に存在する白血病細胞が全体の5%以下の状態)に至ることができました。その後、約5ヶ月間に渡り地固め療法(繰り返し抗がん剤を投与して白血病細胞を死滅させる治療)は続きましたが、医学的にはこの寛解導入法が成功した時点がひとつの区切りとされ、そこからまずは5年間再発なく過ごせることが、完治への大きな道標となります。

つまり、今日はその5年経過の記念日。

ありがたいことに現時点まで再発なく過ごせています。治療時に20キロ落ちた体重も順調に回復増加、その結果、お腹周りはすごいことになっていますが、その他は至って健康。日々楽しく&美味しく過ごすことができています。

その節&その後、ご心配をおかけした家族親族、友人知人の皆さまにはひとまずご安心をいただければと思い、今回ここに報告させていただきます。
ほんとうにありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

◾️ 追記 その1
今日この日を迎えて、妻とこの日を迎えたかったと思わずにはいられません。

生きてこの日を迎えられるだけでも幸運なことだとはわかっているのですが、正直、彼女がいなければ、あの絶望と過酷な治療は乗り越えられなかったし、彼女がいたからこそ人生を取り戻す気力と未来への楽観が持てたと確信しています。だからこそ、私の退院後まもなく彼女の肺がんがステージ4で発覚したこと、闘病の甲斐なく2014年6月に亡くなってしまったことが、悔やまれて仕方がありません。

もしかして自分の病気が彼女に過剰なストレスをかけ、病気の一因となったのではないか…病気を治すため、あるいは彼女が心地よく過ごせるため、もっと何かできたんじゃないか…彼女が自分に対して尽くしてくれたように、自分は彼女に尽くし切ることができたのか…云々。

これからもずっと、そういう不安・後悔の念を持ち続けながら、それでも彼女の分まで生き抜いて、忘れ形見のふたりの娘の幸せを見届けようと決意する、寛解5年経過の日です。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

⬆ 2012年8月、私の治療終了お祝いに根津のイタリアンにて。

◾️ 追記 その2
親友でもあった亡妻のことは今でも大好きで、彼女との結婚生活には良い思い出しかありません(もともと悪いことは忘れる性格でもあります)。なので、機会があれば、そして彼女のように素敵な女性と過ごせる機会があれば、もう一度結婚したいと思っていました。

この辺はそれぞれご意見があるかも。私の場合は妻との結婚生活がすごく楽しかったので(夜の「なか卯」でめちゃくちゃ詰められて泣いたこととかも覚えてるけど、それもいい思い出)そういう幸せを再体験/追体験したいという気持ちが強かった。新しい結婚で妻との記憶を上書きするなんて気はなく、むしろそちらも強まるというか。説明は難しいけれど。夫婦という形式を望むことについては、もちろん娘ふたりを男手一つで育てる不安もなかったと言えば嘘になるけど「娘たちの母親」というよりはむしろ、彼女たちの成長はもちろん、人生・生活のいろいろなことを共有したり相談したりできる「パートナー」が欲しいと常々感じてた。


…ということで。

今回ご縁があって京都在住の女性と再婚したことをここに報告いたします。

彼女(ややこしいので以後、ワイフと呼称します)は現在、実家の甘味処を継いで切り盛りする素敵な女性で、彼女が東京の外資系企業で働いていた時代に震災復興支援活動を通じて知りあいました。亡妻とワイフは直接の知り合いではありませんが(きっと気があったと思う)共通の友人が何人かいる間柄でもあり、亡妻のことをとても尊重してくれる優しい人物です。怒るとすげえ怖いけど。

何より娘たちがワイフをとても慕っていること、彼女たちに男性の私とは違う接し方をしてくれることにとても感謝しています。とはいえ突然8歳と4歳の女児の継母になったわけで、今後も様々な困難があると思いますが、それを決心してくれたワイフのためにもお互いに助け合って暮らしていきたいと思っています。

そして、今日この特別な日を娘たちと一緒に喜べる相手ができたことの僥倖を噛み締めたいと思います。

さて。そんなわけで約2年半(その前も含めると実質3年半)のシングルファーザー生活も終了、再び4人家族となりました。

先の正月は新年のご挨拶もせず、今回自身の寛解5年経過報告のついで、という体裁にて誠に申し訳ありませんが、どうぞ今後ともワイフ、娘たち共々よろしくお付き合いいただけますよう心からお願い申し上げます。

⬆ 婚姻&養子縁組届提出記念に絶品お寿司をいただきました

⬆ 結婚の記念に友人カメラマンに撮影してもらいました(府立植物園にて)

生活そのものはそれほど変わらず、当面、家事育児は私が主担当で継続することになりますが、あらかじめわかっていれば比較的柔軟に託児調整などできますので、上洛の際はどうぞお気軽にお声がけいただければ幸いです!


◾️ 追記 その3
ついでなので最近(2017年3月現在)何をやっているのか、など少し。

1:仕事など
普段は株式会社つね家に所属し、その京都支社(と言っても成員は私だけですが)で、事業企画・サービス設計、コンサル、営業などを担当しています。かなりの自己裁量で自由に(放置プレイ)やらせてもらっていて、経営メンバーのふたりはもちろん茅場町本社の同僚たちにも感謝です。今年は自社サービスもスタートしますし、面白い報告ができるのではないかと思っています。

谷根千コミュニティ&がんサバイバー繋がりで知り合った女性起業家2人のサポートもしています。株式会社ライフサカスという小さなベンチャーで、UMUというメディアを皮切りに「不妊治療をサポートするしくみ」を構築しようと腐心しているところです。

がんと言えば、自身の「サバイバーであり、かつ配偶者の闘病をサポートした元シングルファーザー」という経験を活かして、配偶者ががんになってしまったヒトを対象にしたピアサポートSNSを起ち上げました。今後どうなるかわかりませんが(誰か手伝って欲しい)、これに限らず「がんと家族」に関することはライフワークにしていきたいと考えています。TEDx Cancerもなんとか開催したい。

サポートといえば、震災直後に起ち上げた復興支援の社団法人であるプロジェクト結にも、微力ながら関わり続けています。自身の生活環境の変化などもあって充分寄与できているとは言い難いですが、諸活動の現地移管などが着実に進んでいる様子を頼もしく見守っています。

その他、以前と変わらずいろいろ面白い相談をいただくことも多く(ほんとありがたいです)東京、大阪、名古屋、九州と細切れに飛び回っておりますが、特に東京は多いときで月2〜3回ほど泊まりで出張していますので、タイミングがあえばお気軽に声をかけてください。

2:私生活など
前述の通り再婚しました。ただ、日々の生活事態にはそれほど劇的な変化なく、作る食事と洗濯物の量が増えた、という感じです。18時前に仕事を一旦終えて幼稚園&児童館のお迎えをして夕食を作り、19時30分頃のワイフの帰宅を待ってみんなで食事。その後、ワイフに子どもたちをお風呂に入れてもらっている間に洗い物をして洗濯物を畳む、という毎日はそれなりに充実していますし、お店の閑散期であればそれらをワイフにまるっとお願いして飲みに出かけることもできるようになったので、家事育児のストレスは確実に減ったと言え思います。

飲みといえば、次女を幼稚園に転園させたことで地元のパパ友・ママ友たちと新しい関係を築くことができたことは、昨年一番の収穫でした。呑ん兵衛&食いしん坊が多く、彼らから入手する隠れ名店情報はもちろん、鮎釣りイベント、鹿や猪など猟果を囲んでの鍋・BBQなど、東京ではもちろんですが、京都でも普通に暮らしていては体験できないことを様々楽しませてもらっており、娘たちも「京都、楽しいね!」と言ってくれるようになって非常に感謝しています。キャンプ好きが多くグッズの情報交換も盛んなので、ついポチってしまう回数が増えつつあるのが目下の懸念。いずれにせよ、これからも(谷根千時代のような)良い関係性を築いていければと思っています。

娘たちは、おかげさまで元気です。学校&幼稚園、楽しんでいるみたいで京都弁もだいぶと流暢になってきました。毎週土曜日の吉本新喜劇鑑賞でボケツッコミも要領を得つつあるようです。長女(4月から3年生)は習い事は剣道のみ。最近少し難しい年頃に突入しかけている感じで、その反動か私は次女が可愛くて仕方がなく(いや、ほんと好かれることに天性の才能があるような気がしています)余計に長女がへそを曲げるという悪循環発生中。そういう意味でも、このタイミングで新しいお母さんができたことはよかったんじゃないかと思っています。

その他、嵯峨の田園でお酒造りに参加(田植え稲刈り酒蔵見学など)したり、四季折々の伝統行事に参加したり、西陣で着物をオーダーしたり、京都での人生をのんびりと過ごしています。それもこれも支えてくれる家族・友人の存在あればこそ。感謝の毎日です。

暖かくなったら最近ご無沙汰のハーレーに跨って、北陸にでも行きたいなと思っています(子どもを預けられるようになったのでツーリングもできる!)ので、ご興味のある方は合流しましょう!ではでは!

⬆ 2017年3月、嵯峨の広沢池そばにて。バイクが燃えているわけではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?