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10年後の自分のために起点をはっきりさせておこう

昔の自分からの手紙

私は今年、齢35。
アスリートでいえば大ベテラン、というところまで人生を歩んできて、自分の成果について疑問を抱き、進むべき道を迷っていました。これまで自分が理想とするような態度で人に向き合えていたのかなど、モヤモヤが続いていました。

最近特に仲良くさせてもらっている友人と、昔の「mixi」を見てみようという話になり。(30代くらいの人はあったあったと膝を打つのではないでしょうか)
自分ではうまくログインできなかったものの、こんな「日記」を書いていたよとちょうど大学卒業当時の「昔の私」が送られてきました。ざっと11年前。

抜粋します。

一番大事なことは、 
「考え続ける、見つめなおす、素直になる」
ということではないか、ということです。
『考え続けることは、諦めないことと同義で
見つめなおすことは、自分の奥底の弱い部分と向き合うこと
素直になることは、それらを受け入れること』
常にできる必要は無いけれど、行き詰ったとここそ必要なもの。しんどいけれど、やらないといけないこと。
そうすることで、きっと自分のやるべきことが見えるはず。
これからも
そんな感じで、仕事していきたいなー
なんか人の役に立つ仕事ができればいいなー 
笑って自信もってみんなに再会できるといいな。
なんつってさ。

正直、びっくりしました。学生なりのつたない文章以上に、
いまの自分が大切にしないといけないことを、過去の自分から突きつけられた感じだったからです。

お前は諦めず考え続けたのか、弱い部分と向き合ってきたのか。
そして、受け入れてきたのか。
人にも自分にも常に真剣に向き合い、優しくできたのか。

考え方はずっと変わっていないと思います。でも今の自分はできていなかったなと感じています。
これも自分の信条に反するのですが、最近は自分がしたことが人からも返ってくるはずだと期待して、一喜一憂したりもしていました。

仕事は報道の現場で12年目。
それなりにできるようになってきたからこそ、
あのニュースは自分だけができることだったのか、代替可能なんじゃなのかとか斜に構えたり、自分が求めているレベルで物事に迫れていたのか、とか、いっちょ前に悩んでみたり。

社会人なりに場をまとめるのが上手くなって、昔は自然にできていたと思うのですが、素直にぶつかって傷つく自分はどこへいったのだろうなんて。

別のノートにも自分の想いが書いてありました。

素直な気持ちを素直に伝える(勇気をちょいだしして) だとか、
諦めず、粘り強く、誠実に、目の前のことを、できるまでやる 

私の強みと弱みを端的に表している

小さな頃から「諦める」ことが美徳と感じていた私は、言っても無駄だと思ったことは言わないし、コンフリクトが起きそうなことは言わないタイプでした。でも、一旦黙って我慢しているようでも、ずっと機会を伺っている執念ぶかさのようなものがあって、全然諦めていなかったのかもしれません。さらに気まぐれに素直な自分が顔を出し、感情を爆発させるのだからタチが悪いものです。

でも自分を認めてあげても良いこともある

ここまで書いたことと矛盾しているかもしれないけど、その時々の自分はやっぱり目の前の人や自分の感情と向き合って格闘し続けてきたと思うからです。(ストラグルという単語が好き)
報道の仕事でいうと、事件事故の被害者の方にも、震災の被災者の方にも、研究者にも、政治家にも、アスリートにも、企業の方にも、農家の方にも、病気の方にも。

やっぱり100点ではなかったと思います。でもその時はベストを尽くしたと今は思えます。(ほんまかな)

ひるがえって、昔のノートを見返すと。
その時々で立てた目標を少しずつ達成している自分を見つけられます。
思えば遠くに来たもんだという感じです。

中間的な総括を

だからこそ、昔の自分にいま試されていると思っています。
中間的な総括を昔の自分にも伝えたいし、
今、起点をはっきりさせることで、次の自分にも道標を記しておいてあげたいと思います。

自分へ

●諦めそうになることもあるけど諦めの悪さはまあまあ良いところ。
●弱い自分から目をそらしがちだから、特に波風立つ意見を言う時、人から嫌われそうな時、ここは意見を言っていく方がいい。(八方美人にならないこと)
●素直になって受け入れることがうまくできなくなる時もあるけど、起点に気づくと、自分のやるべきことやれてきたことが整理できる。

よくへこたれるけど、周りの人にうまく支えてもらって、何度でも立ち直れる

とにかく粘り強く

私は失敗したことは覚えていません。記憶力がよくないこと以外にも理由があります。
成功するまでやるからです。
粘り強いと言うより諦めが悪いのです。昔は諦めてばっかりだったくせに。

正直めんどくさい人間だなと感じます。
周りには飄々と見せているくせに、暑苦しい思いを抱え。
(水鳥が足をバタバタさせてるイメージです)
人に共感を求め、共感がなければ毎回がっかりし。
意固地なくせに人間関係に傷つきたくなくて、甘えたがり。
人が妥協することも全く妥協できず。かと思えば抜けてるところばかりで。
うじうじするくせに進み出したら一直線で。記憶力は欠けている。

**

でも人が好き**

周りの人を幸せにしたい思いだけ一人前です。
社会を良くしたい。みんなが多様な人が自分らしく生きられる社会に。

今の長期的な目標は

●ひとりひとりの多様性が尊重され、生き生きと生きる社会。
●つまらない偏見に縛られないそれぞれが誠実に個人に対応できる社会。
●心身ともに健康で文化的、環境に配慮した持続可能な社会。
●家族や周りの人を本当の意味で大切にできる社会      
を作ることです。

次にやりたいこと

そしてやろうとしていることをこれから記します。

私は、今までは大手メディアの仕事としてマスに発信をしてきました。
ストーリーの作り方や取材のいろはは学んだと思いますが、組織に属している事への甘えか、私の考え方や経験に価値がどれだけあるのか、自信がなかったと思います。

でも、10年以上の多くのジャンルの取材経験、貴重な機会をいただいたインタビュー、何が起こるかわからない世の中とそのニュース制作、国内外とにかくいろんな場所に行くことができたグローバルな体験。そのすべてを私というフィルターを通して発信できることがあるかもしれない。最近はそう思っています。その一つの軸になるかもしれないと思っているのが、「自転車」です。

身軽で自由な自転車

もともと、自転車には移動手段としてよく乗っていました。
しかし、週末にロングライドするようないわゆる「ガチ」のロードバイク以外の価値観に触れて衝撃を受けたのはこのわずか半年間です。

非日常と日常、オンロードとアウトドアをつなぐ、スポーツ自転車に心引かれました。
いい自転車は部品交換によって何より長く使えます。
さらに人とのコミュニティーや物を大事にすること、食や環境など私たちが大事にすべきこととも密接に結びついていくとも思います。

こうした価値観に35年間もどうして出会えなかったのか。
実はここにもっとこうした自転車を広めていくチャンスがあるのではないかと思います。

いわゆる仲間内で価値を広げていく発信力はこうした、クロモリロードやグラベルバイクというものは持っていると思います。(細かなジャンルは今回、おいておきます)
でも、全く興味のない層はともかく、自転車に多少興味のあるライトユーザーにまでかみ砕いて届いているでしょうか。
これがかっこいいから、調子いいからという業界的な言葉遣いでは、決して届かないのではないものがあります。
だって、人生で、クロモリの太いタイヤが入る自転車に出会ったことが無い人の方が多いんですよ。
自転車でキャンプ行ったことある人の方が少ないでしょ。ママチャリを壊れたら捨てたら何が悪いのって感じでしょ。
それって勿体無いし、口下手すぎます。
そこのお手伝いをして価値を伝えることが今の私ならできるのではないかと思っています。


学生の時に書いた全文はこちら。

あと少し一緒にいたいし
あと少し努力したい
あと少しだけあと少しだけ。
ついに大学卒業しました。
思えばいろんなことがあった5年でした。
いろんな人に支えられ、ここまでくることができました。
お世話になった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
特に、サークルでは最後の最後に最高の思い出をいただき、後輩がかわいくてかわいくて仕方がなくなってしまいました。
本当にどうして、こんなに自分から壁を取っ払う努力ができなかったのだろうという後悔が残るところではあります。絡みづらくてごめんなさい。
4月からは研修が始まり、職業柄もあって、あまりこういうところに書くことはできないのではないかと思います。プライベートなことであれば、ぜひ書きたいのですが、仕事が絡んでしまうとまずいので。
なので
少しつれづれと大学生活を振り返ってみたいと思って今書いています。
以下は、主に4年次の休学と就活、そのような話になります。暇つぶし程度にどうぞ。
1年目はテニスの一年、2年目もテニスの一年、3年目はテニスとゼミ、
4年目はテニスと旅行、5年目はテニスとカテキョ。
5年間を振り返ると
結局、テニスとの関わりはとぎれることはなく、5年間団体戦に出続けました。
それだけ、団体で戦うということの魅力にはまってしまっていたのでしょう。
しかし
僕の大学生活の転機はやはり、4年次の休学にありました。
あの決断があるから今があるし、あの決断を許してくれる環境に幸運にもあったからこそ、出会えた人たちがいたとも思います。
3年生の冬、同期みんなが就活しているころ、なんとなく働くことに実感が持てずに、4年生で休学することにしました。
その間に、院生として勉強するか、資格をするか、それとも働くのか、とかいろんなことを考えました。自分という人間も見つめなおすことができました。そして、バイトして、東南アジアや中米にも行って、おまけにテニスまでバリバリやってしまいました。
強調しますが、幸運なのは、それを許してくれた両親や応援してくれた周りがいたということ。
間違いの無いことです。
さて、そんなこんなでやりたい放題やった休学時ですが、東京を離れている間に、ある想いに至ることになります。
「あーこれだけ、遊ばしてもらったら満足したなー。働こうかな、なんか人のために(社会のために?)なる仕事がしたいなー」
結局、大学生活に満足したこと、そしてやるべきことをやる大切さというのが分かったことで、就活につながったわけです。
就活では、初めて行った企業説明会で、『記者』になろうと思いました。
現場で実際に自分が体験する姿勢、社会的な影響力を持つ仕事内容、何より人に信頼されるような人間力を求め続けるという記者の資質に惹かれたからです。自分がやるしかない、という直感めいたものも感じました。
やるべきことがはっきりすると、努力することはしんどいけれど割合たやすいものです。
結果的には、寝坊という自分の欠点で大失敗をした以外は、満足できる就活ができました。
自分がこの何年かで、経験的につかんだのは
一番大事なことは、 
「考え続ける、見つめなおす、素直になる」
ということではないか、ということです。
『考え続けることは、諦めないことと同義で
見つめなおすことは、自分の奥底の弱い部分と向き合うこと
素直になることは、それらを受け入れること』
常にできる必要は無いけれど、行き詰ったとここそ必要なもの。しんどいけれど、やらないといけないこと。
そうすることで、きっと自分のやるべきことが見えるはず。
これからも
そんな感じで、仕事していきたいなー
なんか人の役に立つ仕事ができればいいなー 
笑って自信もってみんなに再会できるといいな。
なんつってさ。
長文駄文失礼しました。


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