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『ブロー・ザ・マン・ダウン~女たちの協定~』(2019)   良い意味で批評家ウケするであろう『ファーゴ』×『ゆれる人魚』

Blow the Man Down(そいつをぶっ倒せ、といった意味)は19世紀頃から歌われてきたイギリスの船乗りの労働歌。唄を歌っている漁師のおじさん役は俳優ではなく音楽家らしい。
アメリカでも劇場公開はされず、アマゾン・オリジナル作品として米日同時リリースとなった。二人組の女性監督のうち、ダニエル・クルディが撮影助監督出身のためか、カメラ・ワークも一々面白いし、本国アメリカの映画評論家も、まだ誰も指摘していないようだが、間違いなくキューブリックの影響を受けている。そして、お約束のヒッチコックへのオマージュ。

どことなく『デスパレートな妻たち』と、そのサスペンス版とも言われる北欧ドラマ『ブラック・ウィドウズ』、あるいは『ビッグ・リトル・ライズ』などを思い起こされるストーリーで、メイン州イースター・コーヴという架空の町が舞台となっており、メイン州ハープスウェルで撮影されたようだ。

姉妹の姉プリシラ役のソフィー・ロウ(イギリス生まれのオーストラリア人)はサーシャ・ローナンとダコタ・ジョンスンを足して割ったような不思議な雰囲気だ。妹メアリー・ベス役モーガン・セイラーは、『HOMELAND』のニコラス・ブロディの娘役で知られている。アレクシス役のスコットランドの個性派女優ゲイル・ランキンはシボーン・フィネラン(ダウントン・アビーのオブライエン役で知られるイギリス女優)に顔が似ている。予算さえあれば姉役にサーシャ・ローナン、妹役にはミア・ゴスかイライザ・スカンレンあたりをキャスティングしたかったんじゃないだろうかと思うが、結果としては、そこまでの有名どころを使わなくて正解だったろう。

さてアメリカでも一般公開されたばかりなので(日本と同日)、深い考察はまだ発表されていないし、英語版のwikipediaにも書いていなことだが、実はこの話のミソは、姉妹と地元の女性達が皆、コノリー、デヴリン、マグアイア、ギャラガー、バークといったアイルランド系の姓であることなのだ。タイトルもなんとなくゲール文字っぽい書体を使っている。舞台はアメリカ北東部だが、アイリッシュあるいはゲール的な物語なのである。
若い警官はブレナンで、これもアイルランド系の姓だ。年長の警官コレッティはイタリア系だろう。カソリックが多い地域だとも読み取れるが、だいたいアメリカの警官は伝統的にアイルランド系やイタリア系が多いとされている。ちなみにゴウスキーはポーランド系かユダヤ系と思われる。娼館で働く女性達は他の地域や外国から流れてきた余所者である。

姉プリシラが後半、アイルランド西海岸沖のアラン諸島発祥のトラディッショナルなアラン・ジャンパー(いわゆるフィッシャーマンセーター)を着ているのが印象的であった。いくつかのシーンで姉妹と地元の女性達はアイルランド伝承の人魚であるメロウの子孫である事が暗示されているのだ。西洋の人魚伝説のルーツであると思われるギリシア神話のセイレーンには歌にまつわる伝説が多い。また西洋の伝説や物語に登場する人魚は、マーメイドに代表される若く美しい女性であることが多く、人魚の女性が人間に伴侶を求める異類婚姻譚も少なくない。アイルランドの人魚であるメロウも人間の男性と結婚して子孫を残すことがあるという。しかし人魚の物語が幸せな結末で終わる事はほとんど無く、アンデルセンの『人魚姫』はその代表であろう。ポーランド映画『ゆれる人魚』と本作品の類似性も感じられる。

『白い肌の異常な夜』に代表される、因習的で閉鎖的な地域社会やコミュニティーの暗部を描いたサウザン・ゴシックを、アメリカ北東部ニュー・イングランド地方の漁師町に舞台を移した、コーエン兄弟的なサスペンス・ダーク・コメディとして完成度が高く評価できる。また、粗暴な男を殺してしまい、女たちが死体の処理に窮するというストーリーは、ボワロー=ナルスジャックの『悪魔のような女』に代表される古典的サスペンスの定番である。

また、第一次世界大戦後のハンガリーで実際に発生した事件で、300人近くの男性たちを毒殺した「ナジレヴのエンジェル・メーカース」と呼ばれる女性達を思い起こした。カソリックの多いハンガリーの、ナジレヴという村の産婆が違法な中絶のために女性達に砒素を渡していたのだが、女性達は邪魔な夫を始末するために砒素を使いだしたのである。当時のハンガリーの女性は親の決めた相手と10代で結婚させられ、夫がアル中でドメスティック・ヴァイオレンを受けても、カソリックで離婚もできなかったのだ。

最近の流行りである群像劇にはせずに、町の住人たちのそれぞれの人生や人間模様を深堀して描いているわけではない。地元の女性達にも父親や夫がいただろうが、まったく描かれておらず、母系社会なのだ。地方の小さな町のカソリックのアイルランド系の女性たちの共同体の話という、普通の解釈でも充分に楽しめるだろう。しかし、深読みする余地がいくらでも残されている分、リメイク版の『サスペリア』との類似性があるようにも思えるし、アイルランドの人魚伝説をモチーフにしたホラー/ダーク・ファンタジーと解釈することで、より一層、怖い物語として楽しめるのだ。

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ところで、翻訳は岩辺いずみ氏との表記が最後にあった。アマゾン・オリジナル作品でも、このように明記されるようになったことは進歩である。

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