夢を掴んだ赤い雄牛

エナジードリンク業界で大きな成功を掴んだレッドブル、実は今の様に大きな成功を掴むまでには並々ならぬ努力があったということを知ってる人はそういない。

創業は1978年TCファーマシューティカル・インダストリーにより、「Krating Daeng (グラティン・デーン) 」の名前でタイで開発された。その経営者であるChaleo Yoovidhya (チャリアオ・ユーウィッタヤー) は、元々TCマイシンという会社を設立し、痛み止めの製造・販売を行なっていた。

当初、タイではOsotspa(オソツバ)が代理で販売を行なっていたリポビタンD (大正製薬) が、ほぼタイでの市場を独占していた。そこでTCファーマシューティカルはターゲットを低所得者層に絞り、積極的な売り込みを行なった。しかし、独自開発したM150やリポビタンDを擁するオソサッパー社を上回ることは出来ず、マーケットシェアは10%強に留まっている

1984年にオーストリア人のディートリヒ・マテシッツという一人の実業家が国際的な販売権を獲得。独自の配合で数年をかけて改良を行い、Red Bull「レッドブル」と言う名称で販売を始めた。マテシッツは、ビジネスで日本に来た際に、日本を中心とするアジア諸国で栄養ドリンクが大きな市場を形成している事を知り、欧米でも同種のビジネスが成り立つのではないかと考え、調査を進めている内にKrating Daeng (グラティン・デーン) に出会ったという。また、商品開発に当たっては、特に日本のリポビタンDから大きな影響を受けていると語っており、その成分が参考にされた事を明かしている。

レッドブルエナジードリンクはヨーロッパ地域は元より、北アメリカ地域や、オセアニア、アフリカ、そして、アジアにも進出した。アメリカ・イギリス、日本等では「レッドブル、翼を授ける。 (Red Bull Gives You Wings) 」のキャッチコピーが使われている事でも有名だ

「スポーツスポンサー」
レッドブルはスポーツを通じて積極的な宣伝活動を展開している。2009年には162分野の500人近いスポーツ選手を支援した。エクストリームスポーツやテレビゲーム (海外ではスポーツの一種とされる) のイベントへのスポンサー活動を精力的に行なっており、若年層の支持が非常に大きい。オーナーのマテシッツはモータースポーツの愛好家であり、F1やBMX、motoGP、ダカール・ラリー、NASCAR(ナスカー)などにも広く関わっている。また飛行機コレクターとしても知られており、多数のレストア機のデモ飛行やエアレースのスポンサードを行っている。

今日はここまで



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