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『世界のMIFUNE・俳優:三船敏郎』

英語圏では、=The Wolf=、=The Shogun=と呼ばれ、世界的な映画俳優:三船敏郎(1920年4.01〜1997年12.24) ミフネを超える日本人俳優はいまだにいない。スクリーン上に現れるミフネの気迫・存在感・重量感・どれを取っても世界第一級である。撮影当時のリハーサルや本番での秘話をいろいろうかがったことがある。もちろん筆者は生まれていなが..... 。(54年)七人の侍での衣装合わせは真夏だった。リハーサルは冬までつづき、本番は真冬、ミフネはふんどし一つで鎧を着ただけ、野武士役の俳優も失敗したなぁ、とぼやく。御殿場と成城学園東宝撮影所の行ったり来たりは面倒だった。(57年)蜘蛛巣城では霧を作るのにスタッフが苦労してた。どうせなら霧がでる季節に撮影すればいいだろう。そしたら後ろに監督がいて、霧がでるのはあと半年さきだよ。それまで待たされたらまた大変だから黙ったよ。

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御殿場で城を作るのに城の門の左右を土で盛り上げるんだけど、とても人力では無理だから、現場の制作担当者の根津 博さんが米軍の戦車部隊に頼んでブルドーザーで土を盛り上げて作らせたんだ。どのぐらい金がかかったか聞いたら、『ただで頼んだよ』と言って、『黒澤映画はカネがかかるからなぁ〜』蜘蛛巣城でのラストシーンでは弓矢でハリネズミのようになる。ミフネは、あの監督は本当に危ない事をさせやがる、本物の弓道の師範を呼んでまともに弓矢を撃ってくるんだ、命がちぢまるよ。ピアノ線を張って飛んでくる矢は問題ないが、本物はやっぱり怖かったよ。七人の侍ではエキストラの女優さんの背中にまともに弓矢が当たったんだ。58年の作品『 隠し砦の三悪人』はジョージ・ルーカスがSFスターウォーズで完全リメイク。ミフネはオビ・ワン・ケノービ役のオファーを断ってしまう。一部ではダース・ベーダーと言っているが誤りである。

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(62年) 椿三十郎・写真右は加山雄三。 ロケの食事は麺類を好んで食べた。みんないそがしいから、これが早くて腹がふくれる。 (61年) 用心棒から、殺陣の動きにラグビー選手がボールに群がる流れを取り入れてみた。殺陣師の久世さんが考案したんだ。斬りまくってなだれ込んで行くシーンを何度も練習した。ボールを追いかける感じた。本番では死体役のエキストラが足りず、東宝社員が死体役をやってくれた。(63年) 『天国と地獄』では撮影所で新幹線の車内セットで何度もリハーサル、本番では新幹線を貸し切って一発勝負の撮影だった。汗だくだよ、だってセットはガタガタ揺れないだろ?(65年) 『赤ひげ』髭がのびてそろそろ本番に入ってもいいんだけど、いつまで経っても本番やらないんだ。とにかく黒澤はリハーサルを何度もやる。いい加減、頭にきて、文句言ったら他がまだできていないからもう少しだなぁ。ミフネは「やめた、こんなの」撮影所を飛び出して自宅へ帰ってしまった。せっかくのびた髭も剃ってしまった。しばらくして東宝の若手社員が自宅を訪ねてきて、「監督が呼んでますよ、あれ?髭どうしたんですか?」んん〜ん、ちょっとな、またすぐのびるよ、気まずそうに顎をなでた。

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(ロケに持ち歩いたLouis Vuitton.のカバン、生前当時のまま残されている)『レッド・サン』(71年)ではアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンと共演。ミフネは、アラン・ドロンという男は本当に神経質な俳優だった。カメラの位置が違う、ここはアップだなんだ、よく言ってた。気軽に話しかけてくるんだけど、俺はフランス語わかんないから頷くだけだった。チャールズ・ブロンソンはよく笑う男だった、それでいて口数の少ない、スクリーで観るそのままの男だった。日本にはまだサムライがいると本気で思ってたらしい。ロケ地はハエや蚊がいてイヤだったな。アメリカのスタッフやフランスのスタッフが虫に刺されたり、すり傷をすると、うちのスタッフが日本から持ってきた救急箱を出して、キンカンやオロナインをぬってやってた。ミフネ救急隊員と言って喜んでくれて、よく笑ってたよ。

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三船プロに、俳優:夏木陽介が所属していたときの話しで、ミフネが夏木に、明日、アメリカのハリウッドから、アメ玉のバーゲンっていう女優が来るらしいんだ、俺は時間がないから、君、相手してやってくれないか、「えっ?飴玉のバーゲン?」んん。「誰ですか?それ?」んん、キャンディス・バーゲンとか言ってた女優だなあ。「はあ〜!!ええっ〜!!」驚く。

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ミフネは口癖のように言った。黒澤組という映画づくりのチームは世界でもナンバーワンだ、一人一人が主役なんだ。黙ってても100 % 仕事をこなすんだ。一人が手を抜いたら、そこからダラダラ仕事がうまく行かなくなる。組織ってそんなもんだよ。俺がここまでこれたのも黒澤組というチームのおかげだよ。本当に活気があった。できもしないゴタクばかりならべてる奴は結局なにもできないで終わるよ。黒澤映画の凄いところは、みんながその道のプロの職人だった。いまそんなチームがどこにいる?どこにもいないよ。いなくなったよ。幼稚になったよ。だから日本映画はおもしろくないんだ。2020年、俳優・三船敏郎、生誕100周年を迎える。上記の写真は2017年に開催されたデビュー70周年記念展の一部である。取材撮影は実行委員会スタッフの許可のもとに行われた。(報道関係者資料→https://www.tokyu-dept.co.jp/corporate/press/whats_new/2017_1011.pdf)

三船プロダクション公式サイト→http://www.mifuneproductions.co.jp

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