メロコアのライブ会場はロートルばかり!? 爺パンクスの墓場に……ハイスタの文化的功罪

――今秋、ハイスタの新譜「ANOTHER STARTING LINE」発売のニュースが飛び込んできた。しかし、彼らの全盛期にあたる16年前とは、音楽業界の状況はずいぶんと変わってしまった。街にはダンスミュージックがあふれ、バンド活動の要であったCDのセールスは落ち込む一方。若い世代には、そもそもハイスタやメロコアの存在さえピンとこない状況だ。彼らが牽引していたメロコアは、過去のものとなってしまったのか? ハイスタの功罪を探ることで、ブーム沈静化後の音楽カルチャーのあり方を見ていこう。

 2016年10月、90年代後半に一世を風靡した日本のパンク・バンド、Hi-STANDARD(以下、ハイスタ)が、約16年ぶりとなる新譜を発表した。しかも、事前プロモーション一切なし、発売から3週間は通販も配信もなしという、時代に逆行するような販売戦略を用いて、である。

 難波章浩(Vo&Ba)、横山健(Gt&Cho)、恒岡章(Dr)の3人から成る、かつての大人気バンドのゲリラ的新作発表に、ハイスタの活動期に多感な時期を送った30〜40代は沸いた。しかし逆にいうと、それ以外の層からは、白けた視線も少なからずあった。かつて若者を熱狂させたハイスタは、ノスタルジーの彼方へと旅立ってしまったのか?

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突然の新曲発売に、喜んだのもつかの間。「コレじゃない」という感想もわりと聞かれた。

 ハイスタの登場によって、90年代後半を席巻したメロコア・ブーム。「メロコア」とは、メロディック・ハードコアの略称であり、アップテンポでパンキッシュな演奏に、叙情的な旋律が乗る音楽性で知られる。

 大ヒットしたハイスタの1stフルアルバム『GROWING UP』がリリースされたのは95年のこと。それと時を同じくして、メロコアやその延長線上にあるバンドが多数登場、さらに雨後のたけのこのごとく現れた無数のハイスタ・フォロワーたちも加わり、一大シーンが形成されていった。

 そして、このブームを象徴するイベントが、ハイスタが中心になって開催されたパンク・ロック・フェス「AIR JAM」だ。後年、当時メロコア周辺の音楽を聴いていた層を「AIR JAM世代」などと呼び習わすように、97、98、00年と継続的に開催された同イベントは、当時のユースカルチャーに大きなインパクトを与えた。だが、00年の回で一区切りとなり、さらに、これをもってハイスタも活動休止を宣言する。この時期を境に、メロコアブームは急速に収束へと向かう。

 とはいえ、過熱したムーブメントが沈静化するのは自然な現象である。そもそもの、活動の中心がインディーズで、かつ英詞であったハイスタが、あれだけ売れたこと自体が異例だったともいえる。長らくパンク/ハードコアの現場を見続けてきた編集者・大久保潤氏は、当時の盛り上がりをこう分析する。

「あの頃は、パンク・ミュージックとファッションなどのストリート・カルチャーの距離が近く、雑誌などでの露出も大きかった。音楽単独だったら、ここまでのムーブメントにはならなかったのでは」

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