キーワードは「黄昏時」「スマホ」「時間の歪」――秘された神道と黙示録のシンボル『君の名は。』は宗教学的に秀作か?

――あれよという間に、興行収入は200億円超えも射程に入ってきた、アニメ映画『君の名は。』。ジブリ作品を除く日本アニメ映画としては史上最高のヒットとなっている。同作では、ヒロインが巫女であることから、多分に宗教的要素が含まれているが、識者たちはどのように解釈するのだろうか?

(左上より時計回りに)三葉は高校生でありながら巫女として神職に従事/2つの世界をつなぐスマホ/2人が出会うことになる「黄昏時」/三葉によって編まれた組紐。

 男女の入れ替わり劇から始まる“究極のすれ違いラブストーリー”でもある『君の名は。』の魅力は+、物語以外にも、作画や楽曲など各方面から語られている。だが、本企画であえて注目したいのは、『君の名は。』の宗教性だ。本作には、ヒロインの少女・三葉が、実家の神社の巫女をしているという以外にも、さまざまな宗教的キーワードが散りばめられている。それだけではなく、物語全体が宗教的なドラマツルギーによって構成されていると言ってもいい。本稿はネタバレを含むことをお断りしつつ、3人の識者にご登場いただき、宗教学的知見から読み解いていきたい。

*     *     *

“田舎に住む女子高生の三葉、神社の家の娘であることや、父が町長であることを嫌って憂鬱な日々を送り、都会に憧れていた。巫女として祭で舞を踊って、神事で奉納する口噛み酒──米を噛んだあとに出し、発酵させるお酒──を作ったり、また家では組紐作りもする生活だ。ある日、三葉は目が覚めると東京に住む瀧という男子高校になっていた。一方、瀧は自分が三葉になっており、ふたりはお互いがたびたび入れ替わっていることに気づくのだった。そんなある日、三葉の体に入った瀧は、祖母と妹と共に神社のご神体に酒を奉納に行く。”

 その途中で祖母の一葉はこんなことを言う。

「土地の氏神さまのことをな、古い言葉で産霊って呼ぶんやさ。この言葉には、いくつもの深いふかーい意味がある」

 映画公開とほぼ同時に発売された小説版に依拠すれば、それに続く一葉のセリフは次のようになっている。

「糸を繋げることもムスビ、人を繋げることもムスビ、時間が流れることもムスビ、ぜんぶ、同じ言葉を使う。それは神さまの呼び名であり、神さまの力や。ワシらの作る組紐も、神さまの技、時間の流れそのものを顕しとる」

 一葉に連れられて三葉と妹の四葉が奉納するのは、2人が口に含むことで発酵させた「口噛み酒」である。そして神体のある窪地の底は、「隠り世」、すなわちあの世であると一葉は説明する。

 この場所と、口噛み酒は、映画の終盤で重要な要素となる。そして、クライマックスの展開の伏線となるもうひとつのキーワードは「黄昏時」だ。三葉の高校の古文教師──彼女は、新海誠の2013年監督作品『言の葉の庭』のヒロインでもあるのだが──が、その意味について説明するシーンがある。すなわち、「黄昏時」の語源は「誰そ彼」であり、黄昏時とは、人の輪郭がぼやけて、彼が誰かわからなくなる時間のことを表す。それは人ならざるものに出会うかもしれない時間のことであり、もっと古くは「かれたそ時」とか「かはたれ時」と言われていた、と。

 このような言葉に彩られた『君の名は。』の世界を、宗教学的にはどう読み解くことができるだろうか? 宗教学の第一人者である島薗進氏はこう話す。

「この映画の中には神道の用語が散りばめられていて、民俗学にもつながるような描かれ方をしています。そこで描かれている神道の世界は、現在日本にあるものというよりは、文明化される以前の、古代的な日本をイメージしているように見受けられます」

 島薗氏は、作中のキーワードのひとつである「産霊」についても解説する。

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