政治とフォトジャーナリズムが作ってきた歴史の裏側――戦争は“フェイクニュース”の温床!? 写真が形作ってきた“偽史”

――加工・改ざん、恣意的な演出や利用など、「真実を写し出す」とされる写真はその半面、“ウソ”の歴史でもある。クリミア戦争に始まり、第二次世界大戦やベトナム戦争、イラク戦争……常に世論を動かしてきたフォトジャーナリズムの中で生まれた“報道写真のウソ”の歴史と、その影響を探っていく。

同書にて、石川氏は自身の写真に対し「演出であるという批判を受けた」経験についても記している。(『報道カメラマン』石川文洋/朝日文庫 P540,541より)

 2018年4月、南北首脳会談直前に北朝鮮で起きた、中国人観光客を乗せたバス事故に際し、金正恩朝鮮労働党委員長は、異例ともいえる慰問を行った。この病院内で撮影された金委員長の写真について、実際よりも血色が良く見えるよう加工されているといった指摘が上がった。こうした写真の加工・改ざんや恣意的な演出、はたまた撮影された写真を別の文脈で利用するといった、写真をめぐる“虚実”については、しばしば議論の俎上に載せられる。

 有名なところでは、かの写真家ロバート・キャパの名を一躍有名にした写真「崩れ落ちる兵士」は、その撮影者や撮影場所についての真贋論争が今なお続いている。ほかにも、旧ソビエト連邦のスターリン政権下では、スターリンと対立したレフ・トロツキーやニコライ・エジョフといった政治家が写っていたはずの写真から消されるような形で改ざんされるなど、その例は枚挙にいとまがない。このように写真は現実を切り取るとともに、時として“ウソ”を写し出す。それでは、ウソの写真は社会にどのような影響をもたらしてきたのか? 写真が作り出してきた“偽史”の歴史をひもといていく。

“写真のウソ”に関して、最も問題視されるのは、真実を伝えるために時代のさまざまな風景を写してきた報道写真だ。中でも、戦争写真には多くの虚実がないまぜとされてきた。そもそも戦争とともにその形を発展させてきたフォトジャーナリズムの始まりは、1855年にまでさかのぼる。クリミア戦争で世界初となる戦場写真を撮影したのは、写真家のロジャー・フェントン。写真馬車と呼ばれる暗室を備えた馬車に、当時まだ大型だったカメラを積んで戦場に赴いた。多大な費用がかかるこの大がかりな撮影は、クリミア戦争で苦戦を強いられていたイギリス政府から、王室を通じて依頼がなされたという。

「当時、高級紙『The Times』が戦争を続ける英国政府に対する批判記事を掲載し、富裕層の間で話題となりました。こうした世論の高まりを苦慮した政府は、王室を通じてフェントンに撮影を依頼。『クリミア遠征が成功しているような写真を撮ってほしい』という内容でした。当然、被写体として“傷ついた兵士”なんていうのはもってのほかで、撮影されたのは、“戦地でテントを張ってワインを楽しむ将校”といった余裕の感じられるものばかり。重要なのは、これらを掲載したのが大衆紙『The Illustrated London News』だったということです。一般大衆は高級紙など読まないため、富裕層以外の多くの国民は自国の戦局を楽観的に受け止め、それ以上、政府批判が広がることもありませんでした」

 そう語るのは、雑誌「AERA」フォトディレクターなどを経て、現在は立正大学にてジャーナリズム論の研究を続ける徳山喜雄教授。報道写真は誕生の瞬間から、すでに演出が行われてきたともいえるエピソードだが、以降も常に写真とその演出という問題はつきまとっていく。

フォトジャーナリズムの隆盛――“写真”という神話の崩壊

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