京都にとって天皇は“神”なのか? 奈良・京都と天皇を結ぶ宗教的見地を紐解く

――日本の歴史をひも解くと、実にその半分以上の期間、天皇は京都に居を構えていたことになる。今では数多くの寺社とともに国際観光都市として名を馳せる京都において、天皇とはいかなる存在だったのだろうか? 日本史、そして宗教的な見地から見ていこう。

江戸幕府の将軍が京都に来た際の宿泊所として使われた二条城。(写真/永野一晃)

 京都と奈良──。この2つの古都は、かつて平安京と平城京という、天皇と時の政権を戴く、日本の都であった。ともに2000を優に越すともいわれる神社やお寺を有するこの2つの古都は、神道や仏教各宗派のさまざまな宗教に彩られた都市でもある。

 現在、京都と奈良を多くの人が訪れるのも、こうした寺社の魅力ゆえだろう。また、その寺社について語る上で、宗教的背景を欠かすことはできない。さらに“かつて天皇がいたが、今はいない”という「天皇の不在」というキーワードから京都と奈良を見ていくとき、宗教的建造物に彩られた観光都市という両都市の特徴が、また違った色彩をもって見えてくる。

 今回の京都特集において本稿では、主に京都を天皇と宗教というキーワードで読み解きながら、同時に奈良とも対比させることで、その見取り図を明らかにしていきたい。

 さて、2016年6月、JR東海は、リニア中央新幹線の中間駅を奈良市付近とする計画を発表した。リニア中央新幹線は2027年に東京から名古屋まで開業。さらに2045年までに新大阪まで開業という遠大な計画だが、京都の政財界は、その途中駅として京都を経由するように強く求めてきた。特に、京都府の山田啓二知事は、「リニア新幹線は京都を通るルートを」と再三アピールしている。

 だが、JR側の説明によると、このルートでは線路のカーブがきつくなりすぎ、速度が出せなくなるという。このリニア中央新幹線の経由駅をめぐって、京都と奈良の牽制が続いていたが、奈良に軍配があがり、京都では危機感を募らせている人もいるという。新しい交通手段が素通りされるのでは、京都が衰退してしまうのではないかというのだ。

 いずれにせよ2045年は先の話で現実味がないが、リニア新幹線が止まらないからといって、京都が本当に衰退してしまうかというと、杞憂に終わるような気もする。というのも、京都はすでに歴史上最大の衰退の危機を乗り越えているからである。それはすなわち、明治維新後、天皇が公家たちと共に京都を去り、東京へと移っていった時のことであった。

 まずは、明治維新を見る前に、そもそも古代からの流れにおいて、奈良と京都はどのような宗教的意味を持っていたのだろうか? 宗教学者の島薗進氏に解説を願おう。

「奈良の平城京では特に聖武天皇の奈良時代に、国家を指導する教えとして多層的な仏教を統一しようという動きが盛んになりました。そのために僧・鑑真を唐から呼び寄せたり、東大寺に巨大な大仏を建立したりしたのです。奈良仏教の、統一された仏教を広めようというもくろみは、結局のところ挫折するのですが、大仏に象徴されるような相応の成果は残しており、それはもっと顧みる必要があると思っています」

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