【春画の近代史03・明治中期~大正期】“祈り”の対象――日清日露戦を戦う日本兵は春画を携え戦地へ赴く

天明8(1788)年頃『婚礼秘事袋』月岡雪鼎
「火除け」になるとされた月岡雪鼎には墨摺のこんな作品も。江戸中期の人である彼は「パロディの人」として知られ、「結婚指南書」的なものを装いながら、夫婦の交合場面を滑稽に描いている。(国際日本文化研究センター所蔵)

 明治維新の混乱期を切り抜けた日本は、1894(明治27)年の対清戦争、1904(明治37)年の対露戦争へと突入する。そのとき兵士の懐中には春画があったともいわれているのだ。

 春画には芸術やポルノといった意味合いのほか、ある種の信仰の対象としての側面もあった。あるときにはそれは、一種の「魔除け」のような意味も持つ。戦国期、当時の春画は、兜に入れておくと弾除けになると伝えられていたという。

「春画に描かれている性の喜びとあたたかい笑いが、生命の源でありパワーになると捉えられていたのでしょう。江戸中期から後期にかけて活躍した月岡雪鼎の絵は、火事を防ぐ火除けとして重宝されたりもしていました」(木下氏)

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