大女優への登竜門か、それとも消費財なのか? キャンギャルの歴史で再考!広告としてのグラビア写真

――80~90年代には女優への登竜門としても機能した、繊維メーカーやビール会社の水着キャンペーンガール。気づけばビール会社は水着のキャンペーンガールを起用しなくなり、キャンペーンガール出身の女優も出てこなくなった。その変化の背景を探りながら、グラビア水着写真と広告の関係を探っていく。

東レがHPで公開している歴代のキャンペーンガール。80年代半ばまでは外国人と思しきタレントが選ばれている。

 コンビニに並ぶオヤジ系雑誌の定番ネタ「大物女優の若かりし日のお宝水着写真」。写真集に関してはこちらの記事に論を譲るが、この手の企画でキャンペーンガール出身の女優の写真を目にした読者も多いだろう。90年代頃まではキャンペーンガールとして名を上げて女優にというルートがひとつの主流だった。だが、なぜその文化は廃れたのか?また、水着と関係のない業種の広告に水着キャンペーンガールが起用された理由とは? 当企画では、キャンペーンガールの歴史を追いながら探っていきたい。

 まず、日本で最初に“水着キャンペーンガール”として注目された人物としては、前田美波里が挙げられる。彼女は、1966年に資生堂のサマー化粧品CM「太陽に愛されよう」のモデルとして大胆な水着姿を披露。ポスターが大量に盗まれる社会現象が起こった。

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