『はだしのゲン』から『この世界の片隅に』へ…反戦を掲げない戦後派――戦争マンガは何を伝えるのか?

――映像化された『この世界の片隅に』が異例のヒットを飛ばしている。同作は戦後生まれの作者が“戦争の日常”を描いており、戦中派/戦後派によって戦争マンガの設定や視点は異なるようだ。本稿ではこうした系譜を見ていきたい。

 アニメ映画『この世界の片隅に』の勢いは、年が明けても止まることを知らない。もともとはクラウドファンディングで一般の人から資金を募ったインディーズ作品で、上映も当初は63館にとどまっていたが、SNSなどでの評判が客を呼び、上映館が累計200館以上に拡大。観客動員も今年に入って75万人、興行収入10億円を突破している。

声優に能年玲奈こと“のん”を起用したことでも話題に。

 太平洋戦争下の広島・呉を舞台に、絵を描くことが好きな少女すずが18歳で嫁ぎ、婚家の家族と送る日常を細やかに綴ったこの作品。原作の同名マンガはもともと「漫画アクション」(双葉社)に2007~09年にかけて連載されたものだ。

 09年に文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。また11年にはドラマ化もされており、すでに高い評価を得ている作品だった。今回の映画のヒットを機に再び脚光を浴び、書店では平積みで大々的に売られるようになっている。広く支持され続けるこの作品の魅力はどこにあるのだろうか?

「『この世界の片隅に』では、戦時下の日常生活が、淡々と丁寧に描かれていくのですが、ある日その日常が失われる日がやってくる。『失われてつらい』ということを声高に主張することは決してしないけど、それまで彼らの生活を細やかに表現しているから、喪失感が読者に伝わる。その表現力が素晴らしいのだと思います」

 そう語るのは、マンガ家でマンガ評論の分野でも活躍しているいしかわじゅん氏。確かに『この世界の片隅に』では、すずが義理の姉につぎはぎだらけのもんぺを叱られ、古い着物を戦時下に合うように作り直すさまや、食料の配給が滞る中で、野草や梅干しの種、大根の皮といった限られた食材を工夫して料理する様子が細やかに描かれる。そこから伝わってくるのは、戦時下においても人々はそれぞれの日常を懸命に生きていたという事実であり、続いていくはずだった日々のかけがえのなさだ。

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