【無料公開中】『特攻の拓』のヴァイブスに共感! ラッパーが本当に好きな不良マンガとは?

 ヤンキーマンガやヤクザマンガといった不良マンガを、"外部"の人間がしたり顔で語ることはあったが、実際の不良にはどんなマンガが支持されているのか──。路上のリアルを歌ってきたラッパーたちに、グッときた不良マンガを挙げてもらうとともに、その中の名ゼリフ=パンチラインについても話を聞いた。

2015年に刊行された漢の自伝『ヒップホップ・ドリーム』にも、『特攻の拓』の影響が見られる!?

「俺にはコミック雑誌なんか要らない/俺のまわりは漫画だから」。ロックンローラーの内田裕也は、毎年、元旦にあたってそう歌っている。もともとは、頭脳警察の1972年のアルバムに収録されていた楽曲だ。一方、ラッパーのECDは92年のシングル「漫画で爆笑だぁ!」で「ジャマイカ音楽の国 ジャパン漫画の国/だけどフキダシなんかにゃ入りきらない そいつがそいつが ECDのラップ」と内田と同じようにマンガに対抗しつつ、次のヴァースでは「そーは言ってもやっぱり好き」「漫画とロックで育てた感性」と、その影響をはっきり認めている。そして、今、日本のヒップホップ・シーンに目をやれば、その”まわりは漫画”のようになっていることに気づくだろう。ただし、彼らはコミック雑誌ばかりを読んで、マンガを内面化させた末に、フキダシでしゃべるようにラップをしているのだ。

 そもそも、ラップ・ミュージックは大衆文化を内面化することで発展してきた。ヒップホップの始祖のひとりであるアフリカ・バンバータが少年時代に観た『ズールー戦争』(サイ・エンドフィールド監督作品、64年)という戦争映画で、大英帝国軍を追いつめるズールー王国軍に感銘を受け、後に”ズールー・ネイション”という自身のクルーを作ったことはよく知られた話だ。また、個性的なメンバーが顔を揃えているラップ・グループのウータン・クランは『少林寺武者房(原題”シャオリン・アンド・ウータン”)』(リュウ・チャーフィー監督作品、83年)というカンフー映画にインスピレーションを受け、その名前を決めている。キューバからマイアミへと渡った主人公がギャングスターとして成り上がっていく映画『スカーフェイス』(ブライアン・デ・パルマ監督作品、83年)をバイブルとしているラッパーも多い。

 もちろん、日本でもヤクザ映画を好むラッパーはいるものの、今シーンで活躍しているアーティストたちが幼い頃には、この国では大衆文化としての映画はすでに力を失ってしまっていたため、彼らが内面化したのは、やはりマンガ、それも不良マンガということになるだろう。例えば、日本のラップ・ミュージックを代表するハードコアなアーティスト、漢 a.k.a GAMIが最後まで読み通した本が『疾風伝説 特攻の拓』と『殺し屋1』だけであることはラップ・ファンの間では有名なエピソードだが、そのことを不良らしい反知性主義だと嗤いながら"良い話"として紹介する者に対しては、ページが独特の感覚を持つセリフやモノローグで埋め尽くされ、それが全27巻にも及ぶ、大衆性と革新性が見事に両立された古典と言ってもいい大作=前者を、お前は読み通したことがあるのかと問い詰めたい。

 ラップ・ミュージックにとって重要なのは、その表現がリアルかどうかだと誰もが言う。漢も暴力と金に翻弄された半生を赤裸々に記した自伝『ヒップホップ・ドリーム』(15年、河出書房新社)でそう語っている。しかし、すでに6刷が決まったという同書が面白いのは、まるで"漫画だから"だ。もちろん、そのことは、リアルさに欠けるという意味ではない。むしろ、現実の不良を誇張した不良マンガを、現実の不良が内面化し、それをまた不良マンガが誇張するという形でリアルは更新されていくのである。大衆文化のカッティングエッジたるマンガとラップ・ミュージックの幸福な出会いが、そこにはある。では、実際にラッパーたちはどのようにして不良マンガを読んでいるのか? 彼らの話を聞いてみることにしよう。

(文/磯部涼)

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