海外進出とヘタな英語歌詞がパンクの衰退化を招いた!? ハイスタが後続バンドに与えた英歌詞の実力

――海外でも人気を博していたというハイスタだが、その英語はお世辞にもうまいとはいえない。それでも、ファンやフォロワーのバンドは今なお彼らを神聖化し、「ハイスタの歌詞は簡単でわかりやすいから刺さるんだ」と語る。そんな、ハイスタが与えた中学英語の衝撃と、その罪とは?

ハイスタの初期のアルバム2枚をプロデュースしたNOFXのファット・マイク(写真中央)。彼の協力がなければ、ハイスタの海外進出は考えられなかった。(photo by camilo gomez from flickr)

 2000年の活動休止から長い沈黙を破り、活動を再開したHi-STANDARD(以下ハイスタ)。前ページでも言及されてきたが、ハイスタを語る上で忘れられないのが、ファット・レック・コーズと契約し、海外進出を果たしていたことだ。だが、ともすれば“中学英語”と揶揄されるシンプルな歌詞は、海外で本当にウケていたのだろうか?

 当時のハイスタというのは、日本の音楽シーン全体を揺るがした存在であったことは間違いないだろう。ただ、海外進出に関しては、ハイスタを神聖化するファンが、尾ひれをつけて彼らの業績を過大評価しているようにも思えなくもない。まるで、昔を懐かしむ、おっさんのように……。

 そんな中、発売当日にハイスタの新譜を購入したという大学生もいたが、彼のような若い世代にとって、ハイスタとはどのような存在なのかを聞いてみよう。

「高校時代、周りのバンドはみんなハイスタの『My First Kiss』をコピーしていましたよ。別にハイスタの曲だっていうのは誰も知らないけど、『はじめてのチュウ』って英語だとカッコいいなって。でも、パンクを聴いている友人は、周りにはいませんでした。だから、パンクのおっさん化と言われてもしょうがない気はしますね。例えば、パンクの聖地たるライブハウス・東高円寺二万電圧(旧・高円寺20000V)は、今ではおっさんしかいないんですよ。おっさんバンドが客でおっさんを呼ぶ状態です」

 演奏する側も、聴く側も、おっさんしかいない。これこそが、横山健が危惧していた、“若者のパンク離れ”だろう。

 パンクが当時の少年たちの時を止めてしまったのか、それとも日本でパンクの土壌が成り立たなかったのか?

 そこで、ここでは現在までに続くハイスタの功罪──「ハイスタのシンプルな英語歌詞が、日本のパンクのフォーマットを作ってしまい、似たようなスタイルのバンドがどんどん生まれ、それが飽きられた結果、パンクの若者離れ・おっさん化を招いたのでは?」という疑問を検証したい。

 まず、ハイスタ・ファンは「海外でもガンガン売れた日本のロックバンドなんだ!」と褒めたたえる。果たしてあの英語で大丈夫だったのだろうかと、懐疑的に思ってしまうのだが、90年代にハイスタのインタビュアーとして指名を受け、親密な関係を築いてきた、パンク/ハードコアに詳しい音楽ライターの行川和彦氏はこう語る。

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