映画ビジネスを殺すのはテレビ局? 配給? それとも観客!?「製作委員会が邦画を殺した」は嘘? 映画ビジネスの集金システムを検証

――テレビ局や配給会社、広告代理店などが出資して映画を制作するために結成される製作委員会。映画の資金調達をするシステムだが、かねてより“映画産業衰退”の戦犯としてやり玉に挙げられてきた。だが、本当に戦犯なのか? その歴史や仕組みを見ることで、今の邦画ビジネスが直面する本当のほころびが見えてきた……!?

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 今年大ヒットを飛ばした『シン・ゴジラ』。ここ数年の特撮映画としては異例のヒットとなり、興行収入も70億円を突破した。『シン・ゴジラ』は、その作品性や興行成績もさることながら、東宝の単独出資、つまり製作委員会方式を採らなかったことでも注目を浴びた。

 現在、日本のほぼすべての商業映画には「製作委員会方式」が取り入れられている。経済産業省「映像製作の収支構造とリクープの概念」によれば、その割合は実に“99%”という。

 なお製作委員会方式とは、多数の企業が映画作りに参与し、共同で製作・興業を行うこと。主に映画配給会社、テレビ局、出版社、広告代理店、映画制作会社、映像ソフト販売会社、ゲームメーカー、おもちゃメーカー、レコード会社などがこの製作委員会方式で映画を製作・流通させ、昨今の商業映画を支えているといわれている。ほかにも、朝日新聞など新聞社、日販グループなど書籍流通業者、俳優・タレントを抱える芸能プロダクションも、製作委員会に名を連ねるケースがある。

製作委員会がないともはや映画はできない

 さて、前述した『シン・ゴジラ』の成功と前後して、映画業界にとある論争が再燃しつつある。それは「製作委員会が、邦画のレベルを低いものにしている」というものだ。例えば、産経新聞は、「『今の日本映画はレベルが低すぎる』に多くの意見…どうしたらいいか考えてみた」という記事を掲載している。

「商業映画の対極に位置するインディペンデント(独立系)映画には面白いものが多い。それは製作委員会と違い、作り手の思いがストレートに映画になっているからだ」

「(製作委員会方式には)企業の意向を反映するために脚本の一部を変更したり、意中のタレントを出演させるという“ごり押し”もあるという。かくして監督の思惑とは違う作品に仕上がってしまうのである」

 このような批判、つまり、デメリットを指摘する声にはいくつかタイプがある。象徴的なのは、利害関係がある複数の企業が集うことで、作品への干渉が増え、映画のクリエイティブの質が低下するというもの。また、多数の企業が“合議制”でものごとを進めるため、臨機応変さや意思決定のスピードに欠けるという批判だ。

 さらには、ビジネス的に“ウケそうな企画”に偏るあまり、知名度のある原作を使ったり、人気が高い(これは、実力があるということとイコールではない)アイドルをキャスティングすることが増え、結果的に有象無象の映画作品しか量産されないという指摘も。加えて著作権的な観点からは、利害関係の不一致が、映画の流通を妨げる要因にもなっているとの声も上がっている。いずれも、映画作りの現場で誰かが経験した事実や、近年の映画の内情を踏まえた批判なのかもしれない。

 ただ今年、『シン・ゴジラ』以上の成功を収めた『君の名は。』は、製作委員会方式を取り入れている。また、過去に成功した数々の作品も、基本的には同方式を取り入れていた。

“製作委員会=悪”という批判は、果たして的を射ているのだろうか? 映画ライターのよしひろまさみち氏は、製作委員会の本質について次のように説明する。

「製作委員会は、端的に言えば、出資を募るための手段。映画に投資したい各企業が、製作委員会を設け、そこに出資を行う。それは日本の映画産業だけではなく、どこの国にもある仕組みです。もちろん、ハリウッドにもある。最近では、クラウドファンディングで個人から資金を募るケースも散見されますが、こちらは個人から投資を募るものですよね」

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