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【日記/21】ビッチの音楽

ビッチ、とは性的に奔放な女性を表す俗語である。いまさらそんなことクソ丁寧に説明しなくてもいいよ、と思われた方もいるかもしれないが、私の読者様は品位の高い方が多くいられると思うので、俗語に詳しくない可能性も考慮し、念には念を入れたまでである。

さて、表題の件だ。ビッチの音楽、と聞いてみなさまが頭のなかに思い浮かべるのは、はたしてどんな音楽だろうか? 西野カナを連想してしまった方がいたら、申し訳ないが本日はご退場願いたい。ビッチの音楽、といったらこれしかないだろう。ドミートリイ・ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番、ワルツ2である。


なぜこの音楽が私にビッチを連想させるのか、説明しよう。

1つには、ラース・フォン・トリアーの迷作、『ニンフォマニアック』で使用された曲だからである。『ニンフォマニアック』の主人公・ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、幼少時より性に目覚め、色情狂として破滅の人生をひた走っていく。このワルツ2が映画中のどこで使用されているかというと、まさしく男たちと行為を重ねる、そのシーンである。ジョーが求めるのは快楽のみ、情緒も愛も必要ない。愛は行為を盛り上げるスパイスにはなり得るが、それが主体になることはないのだ。ジョーは快楽を求めるあまり、やがて夫と幼い子供を捨てて家を出て行く。しかし、一見すると人道に反するように思える彼女の行為を、あなたは正当な理由をもって批判できるだろうか? トリアーを「挑戦者」に仕立てるのは、観るものの「良識」である、とはユリイカ2014年10月号にある評である。

もう1つ。ショスタコーヴィチのワルツ2は、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の冒頭で流れる音楽でもある。主人公のビル(トム・クルーズ)とその妻であるアリス(ニコール・キッドマン)は、友人に招かれたパーティーへ行く支度をしている。訪れたパーティーで、夫婦はそれぞれ別の異性に誘惑され、2人はそこからともに、淫靡な性の妄想と嫉妬に悩まされることになるのだ。

ビルの職業は医者だ。ワルツ2は、ビルが患者を診察しているときにも流れる。診察台の上で胸を露わにする女性、息子の診察を見守る母親、なんてことのない病院の光景も、ショスタコーヴィチの音楽は一変させてしまう。ワルツ2は、ジョーに似合う色情狂の音楽であり、またビルとアリスを日常から異端的な淫靡の世界へ誘い込む、麻薬のような音楽でもあるというわけだ。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番、ワルツ2の前には、だれであってもひれ伏さなければならない。高貴なるビッチに頭を垂れなければならない。愚民よ覚えておくがいい、人生で追求すべきはただ快楽のみである。良識を捨て、自らの本能に耳を澄ますがよい。ワルツ2は、あなたの耳元でそう囁き、最後の砦である理性の欠片を、ものの見事に取り払ってくれるであろう。

『アイズ・ワイド・シャット』のラストシーンで、アリスは「私たち大事なことを今すぐしなきゃダメ」と呟く。夫のビルは、「何を?」と問う。それに対してアリスが「ファック」、と返すところで、この映画は終わるのだ。そしてそのセリフのあとで流れるのは、再びこのワルツ2である。自身の遺作において、登場人物が口にする最後のセリフが「ファック」とは、キューブリックはこの現状を天国でどう思っているのだろう? 答えを知る者はいないが、「ファック」からのワルツ2は、なんとも優雅で流麗な運びのようにもかんじられる。

さああなたも、ワルツ2の囁きに耳を澄まし、本能に従い、ビッチの音楽を堪能してほしい。口のなかで転がすように、その手でそっと包むように。


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