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【日記/72】ヤノマミと島

バリ島で読もうと思って国分拓の『ヤノマミ』という本を持ってきていたのだが、面白すぎてバリ島に着く前に全部読み終わってしまった。

ヤノマミは、ブラジルとベネズエラの国境近辺に、太古の昔から住む先住民族である。この本は、NHK取材班の国分さんとカメラマンの菅井さんが、そんなヤノマミと150日間森の中で同居し、見聞きしたことの記録だ。

ヤノマミは20世紀に入るまで文明と接触したことがなく、現在では鍋や石鹸など最小限の文明を取り入れているものの、なるべく伝統的な暮らしを保ちながら森の中で生活している。男性も女性も基本は全裸、プライバシーという概念がない円形の住居(もちろんセックスも丸見え)に集落全員で寝起きし、げっ歯類や猿を狩ったり、バナナを採取したりして食べている。一応一夫一妻制で、相応の年齢になったら決められた男女の間で契りを結ぶのだが、実際の性にはわりと奔放で、10人子供がいたらだいたい3人は旦那の子供ではない可能性があるという。シングルマザーも珍しくないようだが、基本的に子供は集落単位で育てることになっているらしく、夫と別れた女性も過剰に肩身が狭くなることはない。かと思えば、「もう結婚はこりごりだよ」といいながら40代独身で一人で暮らしている陽気な男性もいて、そういうところはなんだか日本の社会にもちょっと似ている。

この手のルポは民族を「集合体」として捉えてしまうことが多い気がするが、この本は「個人」にきちんと焦点が当たっていて、ヤノマミの中にもいろいろな人がいるのがわかるのが面白い。夫婦、シングルマザー、独身、長老、子供、頭のいい者、体力に自信がある者、陽気な者、寡黙な者、保守的な者、好奇心旺盛な者。ヤノマミの集落は実に豊かな社会だ。私の絶対に譲れない根本的な思想として、「社会にはいろんな人がいっぱいいたほうがいい」というものがあるのだが、この本によって、私は自分のこの思想をますます強めてしまった。生き方も、働き方も、性格も、思想も、社会はバラエティに富んでいたほうがいい。(ただ、実は痛いことをいうと、ヤノマミの集落には身体障害者がいない。この点については日を改めてまた書こうと思う。)

そんな『ヤノマミ』の中で、思わず鳥肌が立ってしまった記述がある。

それは、ヤノマミが国分さんたちに「お前らの国の歌を教えろ」と迫ったところである。要求された国分さんたちは「ふるさと」や「赤とんぼ」を披露するのだが、ヤノマミはふるさとにも赤とんぼにも、興味を示さなかった。

そんな彼らが、唯一「ちゃんと教えろ」「もっと教えろ」と食い付いてきたのは、沖縄の「島唄」だったという。

文化の本質は辺境にこそ残る、とはかのレヴィ=ストロースの言葉らしいが、ブラジルの辺境に生きる彼らは、日本の辺境の歌が理解できたのだ。これはすごい話だと思った。私は鳥肌が立って、ちょっと泣いてしまった。

で、「島唄」から島関連で無理やりつなげるのだが、前述したように私が今いるのはバリ島である。バリ島に辺境感はあまりないが、東南アジア最大のイスラム国家であるインドネシアにおいて、バリ島はなぜバリ・ヒンドゥーという独自の宗教観を保っているのかを、滞在中に考えてみようかと思っている。

バリは現在、雨季だ。といいつつなんだかんだで昼間は晴れているのだが、夕方以降にざっとスコールが来る。昨日は夜遅くまで出かけていたが、今日の夜は大人しく、雨と蛙の声を聞きながらガルシア・マルケスの『ママ・グランデの葬儀』を読む。 これはこれで、なかなか悪くない夜だ。


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