海

【日記/89】たった5分

運命、というものを強く意識させられた日があった。今からもう5年前くらいの話だ。

その日の夜は、狂ったような台風が接近していた。仕事を終えて定時を過ぎても、強風のため電車の運行が止まっていた。

家に帰ることができず、私は職場の人たちとお茶を飲んだりお菓子をつまんだりしながら、もう少ししたら電車が運行を再開するかもしれないというわずかな望みを胸に、時間が過ぎるのを待っていた。ゴミか、木の枝か、よくわからないものがときどき窓に「バチっ」と音を立ててぶつかっていた。

しかし、1時間ほど待っても、風は強まるばかりで、電車が運行を再開することは当分なさそうに思えた。そこで、家の方向が同じだった契約社員のAさんを誘って、私はタクシーで帰ることを提案する。Aさんはこの提案に乗ってくれたので、私は彼女と2人で職場を後にした。傘を差していても横殴りの雨で、職場のビルからタクシーまでのわずかな距離でも、私とAさんはずぶ濡れになった。時刻は、21時を過ぎていた。

けっこうな距離を、私はAさんとタクシーに乗って走った。が、もともと人付き合いのいいほうではないので、世間話を一通りした後は押し黙ってしまい、その後の私はずっとタクシーの窓にぶつかる雨粒を眺めて過ごした。Aさんも同じく、「雨すごいですねー」などと言いながら、運転手さんが流すラジオを聴いたりしていた。

方向が分かれるところで、Aさんはタクシーを降りる。ここから先は、Aさんのご家族が車で迎えに来てくれるという。

「また明日」と言って、私はAさんと別れた。その言葉には、何の裏も疑いもなかった。

翌日、私は珍しく寝坊をしてしまい、家を出るのが遅れた。

とはいえ、ダッシュで身支度をして駅まで小走りで駆けて行ったので、遅れは5分以内にとどめることができた。が、いつも乗っている電車が目の前で発車してしまい、常にギリギリで出社していた私は「やばい、今日こそ上司に怒られる」と戦々恐々とした心持ちで次の電車を待つことになってしまった。

結局いつもより5分遅い電車に乗って、職場のある駅で降りる。怒られることを覚悟した私は、走ることをやめ、いつものペースでちんたら駅から職場までの道を歩いて行った。

職場のあるビルに入ろうとすると、なぜか入り口付近に軽く人だかりができている。不審に思いつつ人をかきわけて中へ入ろうとすると、1階入り口のドアガラスが大きく割れており、破片があたり一面に飛び散っている。そばにいたおばさんによると、風で飛んできたどこかの飲食店の看板が直撃したらしい。大きな破片もあり、ビルに入ることをためらうような状況だ。私は水たまりを避けるようにして、恐る恐る破片の上を通り、どうにかこうにかエレベーターに乗って職場までたどり着いた。

「あれ、1階やばくないですか?」

着くなり、私は同僚に尋ねた。すると、「は? 何が?」と同僚。

「ガラスがばりばりに割れてますよ」

「え!? 5分前くらいに大きな音がしたと思ったんだけど」

「5分前? だれか管理会社に連絡してるんですか」

するとそこで、ずっと電話口でしゃべっていた上司が受話器を下ろし、口を開いた。

「Aさん、昨日の帰りにタクシー降りた後ご両親の車に乗って、民家の塀に突っ込んだって。肺に損傷があって、今××病院の集中治療室にいるらしい」

その後、いくつかのゴタゴタを手早く片付けて、私は上司に付き添ってAさんが入院しているという病院に向かうことになった。昨日の夜途中まで一緒に帰ったからという事情もないわけではなかったが、日頃のAさんの勤怠などを主に私が管理していたためだ。

タクシーに乗る。途中で上司に、「いちおう言っておくけど、あなたが責任を感じることはないよ」などと言われる。が、もしものことを考えると、私はだんだん血の気が引いていった。

病院に着くと、いわゆる「面会謝絶」というやつになっており、親族に会うこともできず、私と上司はお見舞いの花束を近くにいた看護師さんに預け、あまり意味のなかった訪問を終えた。


しかし後日、集中治療室にいたAさんとはなんとか一命をとりとめ、しかも生活が困難になるような後遺症は奇跡的にまったく残らなかったという一報を聞き、私は心の底から安堵した。Aさんは1ヶ月後、特に問題なく職場に復帰してくれた。



Aさんが無事だったせいか、この出来事は普段は忘れている。脳は、現実に都合がいいようにできているのだ。

だけど、何かがどこかで少し狂っていれば、Aさんはこの世を去っていたかもしれないし、私は5分前に飛んできた看板と割れたガラスの破片の下敷きになって死んでいたかもしれない。デヴィッド・フィンチャーの『ベンジャミン・バトン』みたいに。

いつどこで、何が狂ってもおかしくない世界に私たちは生きているのだと、たまに思い出してはゾッとする。

شكرا لك!