エルサレムのイチゴ

【第25回】今週のアルジャジーラ〔エチオピア〕

今週も無事金曜日。というわけで、「今週のアルジャジーラ」を更新する。

ところで、引かれるのを覚悟で言うが、私は観葉植物をよく枯らす。水やりもちゃんとしているし、日当たりにだって気をつけているのに、それでもけっこうよく枯らす。「こんな奴のところで生き続けたくない……」と植物の生気を奪ってしまっているのだろうか。が、ごくまれに、水やりも日当たりもなーんも気にせず放置しているのにスックスクスックスク育つ植物もあって、こういった根性ある奴に対してはときどき「お前、気が合うな……」などと話しかけたりしている。先週また1つ観葉植物をご臨終させてしまったので今日新入りを買って連れて帰ってきたのだが、はたして君はどちらかな。(ちなみに、植物の種類は関係ない。同じアイビーでもすぐ枯れるアイビーとスックスクスックスク育つアイビーがいる。これには本当に「相性」みたいなものがあるのではないかと思っている。)

さて、私が今週気になった記事はこちらだ。

Death toll soars to 82 in Addis Ababa rubbish landslide

登場する国はエチオピア。首都アディスアベバ郊外にあるごみ集積場のごみ山が崩れ、82人が亡くなったという記事である。

ここに出てくる「コシェ集積場」というのは私は初耳なのだが、たぶんフィリピンのスモーキーマウンテン的なところだったのかなあと思う。周辺地域からのごみがここに集められ、そしてそのごみの中から廃品回収を行なって生計を立てている人々がいて、彼らが事故に巻き込まれたのだろう。当然のように、ごみ集積場を中心にスラム街が形成されている。市長は事件を受けて「不法住民を移転させる」と語っているらしいが、はたしてそんなにスムーズに行くだろうか。

ごみ集積場というと、私は一つ思い出すものがあって、それがフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に登場する「灰の谷」だ。「灰の谷」はニューヨークの中心部マンハッタンと、その郊外ロングアイランドの間にある廃棄物処理場なのだけど、この「灰の谷」は華やかなマンハッタンのそばでとてつもない存在感をもって描写されている。光の裏には常に影が、栄光の足元には常に闇があることを思い知らされる。スラム街ができたり、ホームレスが住み着くのも、華やかな都市と都市の間の影のような部分だ。お金持ちの成功者は影から目をそらす。だけどそれは確実にそこにある。

これはただの私の世界観の話なのだけど、私は世の中のかなりの部分は自分ではコントロールできない「運」の部分で決まっていて、自分で努力できる「徳」の部分は割合的にかなり少ないと思っている。もちろん、だからといって「努力してもムダだから頑張らなくてもいーや」みたいな思考に行くとだめなのだけど、私が今ここでこうして普通に働いてのんびりnoteを書いていられるのは、私の力ではないと思っている。私がたまたま日本の、娘を大学にやれる余裕があるくらいの一般家庭に生まれることができたからこうなっているだけであって、私は自分の力で生まれる家を選べたわけではない。生まれる前に神様が何か一つ采配を変えていたら、私は今頃フィリピンかエチオピアのごみ山で怪我をしながら廃品を集めていたかもしれない。こういうこと、けっこうリアルにそう思うんだけど他の人はどうなんだろうなー。

「だれかを批判したくなったら、こう考えなさい。すべての人が、お前と同じような恵まれた環境にいるわけではないのだと。」

これは『グレート・ギャツビー』の冒頭に出てくる、ニック・キャラウェイの父の言葉なのだけど、この言葉から小説が始まっていることに、私はいつも胸がぎゅっとなる。ニックは小説の中で29歳から30歳になるのだけど、私も30代は改めてこの言葉を胸に、生きていきたいなあと思うのであった。

いまいちまとまりがない上に短いけれど、今週はここまでまた来週。「今週のアルジャジーラ」は無理せず続けることに価値があるのである〜。


شكرا لك!