エルサレムのイチゴ

【日記/85】今週のアルジャジーラ〔イラン〕

毎週金曜日に更新している「今週のアルジャジーラ」。昨年の9月に始め、当初は我ながら「5回、まあもって10回くらいで打ち切りかな」と思っていたのだが、意外と続いた。やってみたいと思う人1000人、やってみる人100人、続ける人1人みたいな有名な標語(?)があるが、「続ける」っていうのはほんとーに、ほんとーーーに大変だ。

というわけで、今週取り上げるのはイラン。イランの元大統領のラフサンジャニ氏が亡くなったという記事で、アルジャジーラでは今週この話題で持ちきりだったような気がする。

What does Rafsanjani's death mean for Iran?

元大統領のラフサンジャニ氏。82歳でこの世を去ったということだが、この人はいったいどういう人物だったのか。私も訃報を目にして初めて名前を知ったくらいだが、とりあえずインターネットで調べられたことをまとめてみると……。

生まれたのは1934年だ。イラン東部の出身で、1979年のイラン・イスラム革命の後に内務相に任命され、以後イランで要職を務めてきたという。

とはいえ、現職ではないのになぜこの人の死去がこんな大事になるのかというと、ラフサンジャニ氏は保守穏健派であり、欧米との核合意など国際協調路線を取るロウハニ政権の後ろ盾であったという。しかし人望の厚い人物だったようで、保守強硬派の支持者たちからも高い評価を受けていた。というか、最終的には穏健派、欧米との協調路線に転じたラフサンジャニ氏だったが、政治家としてのキャリアは強硬派としてスタートさせていたらしい。

ラフサンジャニ氏の死去によって、今後イランでは保守強硬派の存在感が増すだろう、という形でアルジャジーラの記事は締めくくられている。ヨーロッパもそうだしアメリカもそうだが、今後は世界的に保守派が力を持つ時代になるのだろう。

以下は、前回の続き。イスラエル(パレスチナ)を中心に中東の歴史をたどるということで、紀元前、そしてイエス誕生前後の話をした。

【日記/81】今週のアルジャジーラ〔シリアに幸あれクリスマス〕
【日記/83】今週のアルジャジーラ〔モロッコ〕

今週は中世の中東、およびユダヤ人の話をしようと思ったのだが、この時代のユダヤ人はヨーロッパなどに広く散らばっており、統一的な書き方をするのはなかなか難しい。しかしあくまで「中東」「パレスチナ」という地名で中世のことを考えると、大きな出来事としてはまず十字軍の遠征があげられるだろう。1095年、クレルモン公会議でウルバヌス二世がエルサレム奪回運動への参加を呼びかけた。以後、民衆十字軍に始まり解釈によるが8回くらい遠征を行っている。

第一回十字軍では、セルジューク朝トルコを見事打倒し、エルサレムを奪還、エルサレム王国を建国。その後、イスラム側の代表はアイユーブ朝に変わったりマムルーク朝に変わったりするが、エルサレム王国は最終的にはイスラム側の支配下に置かれることになる。

(※現在のエルサレム。大昔、この場所を巡って200年近く血なまぐさい戦争をやっていたのか……と思うと変な気分)

(※エルサレムで宿泊したドミトリーのロビー。いったん旧市街を出るとかなり現代的)

一方、ところかわってスペインでは、1492年にレコンキスタと呼ばれる運動が起きる。スペインもまたイスラム王朝であるウマイヤ朝やナスル朝の支配下に置かれていたが、この地をキリスト教国が奪還しようと試み、1492年、グラナダが陥落するのだ。そして、ここスペインでイスラム教となんとか上手く暮らしていたユダヤ教徒たちは、キリスト教に改宗するか、もしくはスペインを去るかの二択をせまられることになった。前者はマラーノ、後者はセファルディと、のちに呼ばれることになる。

流謫と残留 あなたはどっち派?

スペインを去ることに決めたセファルディたちは、ジブラルタル海峡をわたってモロッコへと赴くのだけど、これは私の2016年の旅のルートとそのまま重なる。来週は、中世の後半くらいから近代にかけての話をしてみたいと思う。

(※これはグラナダ、アルハンブラ宮殿。)

شكرا لك!