柿

【日記/66】今週のアルジャジーラ〔イエメン〕

毎週金曜日に更新している「今週のアルジャジーラ」。といいつつ土曜日の朝に更新しているのだけど、それは昨日の夜にすっかり忘れていたからである。

今週は、アイキャッチ画像をちょっと変えてみた。今までのが稚拙すぎた。今週以降はこの、「拡大しすぎていて一瞬何かわからないけどよく見ると柿」を目印にやっていこうかなと思う。あと、タイトルにその週で扱う国名を入れてみた。

今週取り上げて語りたい記事はこちら。飢餓に苦しむイエメンの子供の話題である。

Yemen war: 'My children are starving to death'

イエメンは中東のアラビア半島にある国で、隣接しているのはオマーン、サウジアラビア、それからアフリカ側に行くとジブチやソマリア、エリトリアがある。日本語の記事でイエメンの様子を伝えている記事だと、こんなのがあった。

栄養失調で弱る子供たち イエメンで起きていること

上のBuzzFeedの記事だと、現在のこの状況をもたらしている要因は、2015年2月にイスラム教シーア派武装組織「フーシ」が首都サヌアを制圧したことから始まる内戦だとされている。サウジアラビアに逃亡したハディ暫定大統領と、「フーシ」の争い。「フーシ」に援助をしているのがイランだという話もあり、サウジアラビアvsイランの代理戦争になっている。

では、2015年2月以前は、イエメンはどのような国だったのか。(ここからはもはやアルジャジーラの記事は関係ない)

イエメンはかつて、乳香がよく採れることで有名で、「幸福のアラビア」ともいわれる豊かな国だったらしい。7世紀にはイスラム教が伝わっている。

そんなイエメンに暗雲が立ち込めたのは16世紀で、オスマン・トルコの支配下に入る。以後はなんだかごちゃごちゃしていて、19世紀には南イエメンと北イエメンに分かれ、それぞれイギリス領、オスマン・トルコ領、となっていたらしい。1918年に、北イエメンはオスマン・トルコから独立している。

その後、イギリスから南イエメンを取り戻そうとした北イエメンはエジプトの協力を得るも、今度はエジプトの力が強くなりすぎてエジプトの衛星国になってしまう。そして南イエメンを取り戻すことは叶わず、向こうは向こうで反英独立戦争をやっており、「イエメン人民民主共和国」として独立、社会主義国家が誕生していた。しかしこの国家もソ連の崩壊とともに危機に陥り、1990年には、北が南を併合する形で、現在のイエメン共和国が成立する。だけど結局、長年分かれていた北と南は雰囲気も価値観もちがうので折り合いが悪く、以後ずっと不安定な情勢が続いているみたいだ。

と、ここまで書いておいてなんだが、歴史の話を面白く、コンパクトに読みやすく書くのってすごい難しいな。どんなに平易に書いてあっても、歴史の話はボーッと読むのに適していない。実際、私は複数の記事やWikipediaを見ながら上記のことをまとめたが、「読む」だけだと頭が追いつかない。自分の手で書いて、整理して、初めてどういうことなのかわかった。「そんなんわかっとるわ」という話だと思うのだけど、この「今週のアルジャジーラ」は完全に私が自分の勉強をするために更新していて、ただ人目があるほうがさぼらずに頑張れるからnoteで公開しているだけである。もちろん、私のお勉強がだれかが何かを考えるきっかけになったり、勉強に便乗してくれる人が現れたら嬉しいのだけど……。

とりあえず、そんなふうにして内戦状態にあるイエメンでは、国際的な援助も十分に行き渡っていないため、たくさんの子供が栄養失調になっている(というのがアルジャジーラの記事である)。しかし、記事中にあるAl-Tohaitaという地区がどこにあるのか、GoogleMapで探したけどよくわからなかった。

あと、イエメンがこれだけ大変な状況なのに、隣国のオマーンはなかなか平和な国らしく、観光で訪れる人も珍しくないみたいだ。かなり好きな雰囲気の場所なので、そのうち行ってみたい。

治安の心配なし!魅力満載のオマーンで中東・アラビアの雰囲気を楽しもう。

イエメンに、なんとか早く平和が訪れることを祈る。

شكرا لك!