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【お悩み大全/1】お悩み大分類

今回この記事を初めて目にした人で、『お悩み大全』ってなんなんだよ、と咄嗟に思ってしまった方は、前回の記事を参照してほしい。前回はマガジンの概要を説明していたらけっこうなボリュームになってしまったので、今回が実質的な第1回だ。タイトルで「大全」「大分類」と、とにかく大きいことを強調してしまっているため、何か大きなことを書かなくてはいけないというプレッシャーと、私は戦っている。

さて、詳しくは前回書いているが、『お悩み大全』とは「人類のお悩みの辞書」である。

イメージとしては、1ページ目を開くとそこに「姑との関係が上手くいかず、夫に相談してもなだめられるだけで特に動いてはくれません。私はどうしたらいいのでしょう?」とかっていう「お悩み」が載っている。各「お悩み」に対する私の見解などは特に書かれていない。ただひたすらに、「お悩み」が延々と載っている。2ページ目を開くとそこには「好きな人がいて、何回か一緒に食事に行ってけっこういい雰囲気だったと自分では思っているんですが、最近LINEをしてもなかなか返ってこないんです。彼はいったいどういうつもりなんでしょうか?」とかって載っている。そういうのが本当に延々と続く、なんとも救いのない辞書である。

もちろん、そこらじゅうからお悩みをただかき集めてきて、そのまま順に載せていくだけでは、辞書としての体をなさない。だから、お悩みを載せていくにあたっては、各お悩みをいくつかのグループに「分類」する必要がある。今回は簡単にいうと、主にその分類作業を行なっていくことになる。


だけど実は、こうした際限のない「人類のお悩み」を、1ページにまとめて1ページで完結させる方法がある……と、私は思っているのだ。

私の考えだと、人間の悩みをすべてひっくるめて一言でいうと、「私以外私じゃないの」、これでだいたい説明がつく。恋人や家族や友人とのすれ違い、仕事での評価、さらには戦争、貧困、格差社会まで。根本をたどるとすべて「私以外私じゃない」ことが、人類の歴史が始まって以来、人類を苦しめている。だから『新世紀エヴァンゲリオン』では、人類補完計画のもと、人類をすべて一緒に、ようするに「私以外も私なの」の世界を創ろうとしたわけである。

「私以外も私なの」の世界は、人間のとても原始的な感覚に根付いている。生まれたばかりの赤ちゃんは、自分とお母さん、自分と自分以外の世界を、まだ区別することができないらしい。自分の身体の統一性をまだ把握できていない、という言い方もできる。それが、生後何ヶ月かして、赤ちゃんは何かの拍子に鏡に映った自分の姿を目撃する。自分が右手を握ると、鏡のなかの自分は左手を握る。だけどどんなに念じても、手に触れて動かさなければ、自分の隣にあるおもちゃは微動だにしない。その様子を繰り返し見ながら、赤ちゃんは初めて自分の身体の統一性を把握し、「私以外私じゃないの」ということを学習していくのである。私は専門じゃないのでよく知らないが、こういうのを哲学者のラカンは「鏡像段階」といったらしい。私が好きな下記のエントリは、前半でこの「鏡像段階」の話をしているのだと思う。

参照:お前は俺ちゃうんかい

しかし長く生きていると、「私以外私じゃない」ことは自明となってくるので、正面切ってこれに反論してくる人はおそらくいない。だけど、この「私以外私じゃない」という事実を受け入れることはなかなか難しくて、小さな子供から立派な大人まで、この「私以外私じゃない」という認識が不足しているせいで、人間関係においてトラブルを起こしてしまう人は未だにゴマンといる。

たとえば、他人が難なくこなせることを、自分は同じようにこなせないからといって、落ち込んでしまう人。普通に考えるならば、私以外は私じゃないので、他人にできることが自分にはできなかったとしても、不自然な点は何もない。だって、他人は私じゃないからね。

冒頭の話でいうならば、姑との関係に不満を抱いている相談者は、夫に仲裁に入ってもらって、この状態をどうにかしたいと考えている。だけど、夫が「自分の思うように」動いてくれないから、つまり「私以外の存在が私の思うようにならないから」、困っているのである。

「私以外も私なのでは?」「百歩譲って私以外は私じゃないとしても、ちょっと叩いたり引っ掻いてみたりしたら、やっぱり私以外も私になるのでは?」などという考えは、すべてとんだ勘違いである。だけど、私もこの類の勘違いを、未だにけっこうやる。

相手を自分の思い通りに動かそうとした結果、喧嘩になったり殴る蹴るの暴挙に出たりするケースは、子供でも大人でもままある。だけど、それくらいならまだ可愛いものだ。ひどいと、「爆弾落としたり毒ガス撒いてみたりしたら、この国の人たち、私にならないかな?」などと考えだす人が、この地球上には冗談抜きでいる。というか、政治や時代の条件さえ揃えば、私やあなたがいつ、そんな冗談抜きな人になってしまうかわからない。「私以外私じゃないの」は、やはり地球上の人類すべてに共通する苦悩なのである。

しかし、私を含めた全人類をフォローしておくと、「私以外ももしかしたらやっぱり私なのでは?」という勘違いをたまに起こしてしまうことは、ある程度しょうがないことだともいえる。なぜなら、私以外の私になった経験がある人などというのは世界は広しといえどもおそらく1人としておらず、したがって私以外は私じゃないという確証はない。これまでの経験から、そうである可能性が極めて高いということがいえるだけである。私以外の私になったことなどないから、何かの問題に躓いて答えを導き出したいと思ったときには、自分の考えや経験、見聞を参照するしかない。繰り返すが、それはある程度はしょうがないことだ。

というわけで、もし完璧な『お悩み大全』を作ろうと思ったら、実は何百ページにもわたって人々のお悩みを書き連ねる必要など一切なく、ただ1ページ目に「私以外が私じゃないの。私以外が私にならないの。」と記載しておくだけで万事OKである。恋人や家族や友人とのすれ違い、仕事での評価、さらには戦争、貧困、格差社会まで、人類の悩みの多くは「私以外私じゃない」ことに起因している(と、私は思っている)。その証拠に、この「私以外私じゃない問題」は、過去に様々な哲学者が挑んできた命題でもあるのだ。

参照:本当に「私以外私じゃないの」か?東大の哲学教授・梶谷真司先生に聞いてみた

しかし、「私以外私じゃないの」だけで『お悩み大全』を終わらせてしまうのも味気ないし、私は哲学者ではないので、この問題について延々と考え続けるのもちょっと無理がある。そこで私は、人類のお悩みを、便宜的に3つに分類することから始めてみることにした。

その3つが、今回のトップ画像にもなっている、上の「お金」「人間関係」「健康」である。昨年ブログにも書いたのだけど、私は人間の「お悩み」というのは、上の3つのどれかに必ず属するものだと考えている。「お金」と人間関係の複合型とか、「健康」と「お金」の複合型とか、3つのすべての問題が絡んでいるとかっていうケースもあるだろうが、とにかく要素としてはこの3つだ。

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