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【日記/29】私は写真が下手だからリア充になれない

さて、表題の件である。

最初にいっておくと、表題の「私」とは、これを書いている私のことではない。私の知人友人のことでもない。私が、「たぶんこんなふうに思っている人がいるんじゃないかな」と想像した、架空の人物である。「私」は私ではないが、とはいえ、私もこういったことを思い浮かべたことが、一瞬もないわけではない。つまり、「私」とはやっぱり私なのかもしれない。

昨今、Instagramなど、写真を投稿するアプリが活況を呈している。それは流行に疎い私の耳にも入ってくるほどで、先日は「おばさんはインスタをやらないで欲しい」と書いたOLの記事が炎上したりもした。イケてるカフェに「おばさん」が入ってくると、それはカフェの凋落の顕れであるなどという話を耳にしたこともあるが、おそらくはそれと似たようなことだろう。インスタはイケてるアプリだが、おばさんやおじさんが使い出すと、イケてる度が下がってきてしまう。先日のOLの記事は、「会社の上司やお父さんお母さんとつながりたくない、だから年長者はインスタをやらないで」という主旨で書かれていた気がするが、つながるとかつながらないとかの問題ではなく、ただ単に「インスタがダサくなるからやめて」ということが、彼女の主張だったのではないかと私は推測する。「お気に入りのカフェにおばさんが来たらやだ」といっているのと同じだ。

閑話休題。

さて、もう一度表題の件である。昨今、SNS上では「写真」が非常に重要な役割を担うようになってきている、と私はかんじている。どういうことかというと、私の敬愛する池澤夏樹氏が、その名を隠してハワイ旅行のエッセイを書き綴るのと、OLがキラキラした写真とともにハワイ旅行の感想文を綴るのとでは、どちらが「リア充度」が高いと人々は認識するであろうか、という話である。ちなみに、私は氏の『ハワイイ紀行』という紀行文を愛している。

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名を隠した池澤夏樹とキラキラOLとでは、もしかしたら現状、キラキラOLのほうがSNS上では勝るかもしれない、などと私は考える。みんなが憧れるのは、池澤夏樹よりもキラキラOLなのである。

……となると、問題は「いかにして写真をキラキラさせるか」という点が重要になってくる。その旅行が、その食事が本当に楽しいものだったか、美味しいものだったか、充実したものだったか、そういうのはもしかするとあまり関係なくなってくるかもしれない。写真がキラキラしていなかったら、それは楽しくない旅行だったのだ。写真がキラキラしていたら、それは素晴らしい旅行だったのだ。自分はともかく、他人はそう判断するようになる。そして、他者からの評価は、自分の内側の評価をいとも簡単に変えてしまうこともある。素晴らしいから他人に評価されるのではなく、他人に評価されるからそれは素晴らしいのである。

さて、そうなると、写真が下手な人間にとっては非常に厳しい未来がやってくることになる。だけど、私は過去に何度かいっているが、時計の針は逆にもどせない。「キラキラ写真を重視する旅行なんて本質的じゃないよ〜」みたいなことをいくらいったところで、これは仕方のないことなのである。未来がそう動くなら、こちらもそれ相応の対応をしていくしかない。

1つは、写真の技術を上げることだ。そしてもう1つは、未来に対する何か新しい方策を考えることだ。

ちなみに、私は写真が下手で、特にメシマズ写真を撮影することにかけては揺るぎない自信がある。みなさんは、いかがだろうか。

شكرا لك!