エルサレムのイチゴ

【日記/88】今週のアルジャジーラ〔イラク〕

毎週金曜日に更新している「今週のアルジャジーラ」。先週(私の中で)満を持して専用マガジンを作った。

今週のアルジャジーラ

「今週のアルジャジーラ」は来週からは日記マガジンに入れずに、こちらの専用マガジンでのみ更新していこうと思う。というか、関係ないけどnoteのマガジンて100記事までしか追加できないのだ。あと12記事書いたらこの日記マガジンも1回区切ろうかななどと考えている。

それはいいとして、今週私が気になった記事はこちら。

Iraqi Christians return to ISIL's wreckage

イラクを扱うのはこれで3度目である。

【日記/65】今週のアルジャジーラ〔イラク〕
【日記/68】今週のアルジャジーラ〔イラク〕

1度目はISILに占拠された都市モスルについての記事、2度目はそのモスルをイラク政府軍とクルド人民兵組織が奪還しようと作戦を進めている記事を扱っている。そして3度目の今回は、イラクのキリスト教徒が、ISILが去ったあとの町に戻ってきたという記事だ。

イラク政府軍は、昨年末にカラコシュという都市をISILから奪還している。カラコシュやバルテラという都市は、イラクのキリスト教徒が住む町であるらしい。モスルから南東に30km前後のところにある町だ。

しかし、ISILが去ったとはいえ元どおりの生活が戻ってくるわけではない。町は荒廃し、ISILが残していった即時爆発装置がいつ爆破するかわからない。安心してなんか全然暮らせない、というわけだ。

全体のモスルの様子はどうなっているかというと、日本語の記事だけど、以下を読んだ。イラク政府軍はモスルの東半分をISILから解放、ようやく五合目といったところらしい。今後も「今週のアルジャジーラ」では、定期的にイラクの様子を追っていきたい。

イラク部隊、モスル東半分を奪還 首相が発表

ここからは前回の続き。時は流れて、1881年。場所は突然変わって、ウクライナで「ポグロム」という反ユダヤ運動が発生する。ウクライナは当時ユダヤ教の一大中心地だったらしいのだが、ここで都市下層民や農民が社会への不満を爆発させたのか、ユダヤ人を大量虐殺してしまう。そして生き残ったユダヤ人たちはポグロムを避けるため、この時期からパレスチナへの移住を開始する。なお、ポグロムは1903年にもロシアとポーランドで発生している。

2008年に私はチェコのプラハを旅したのだけど、プラハにもユダヤ人居住域があって、それはプラダとかシャネルがあるハイソな通りを一歩奥に入るだけなのだけど、一歩進んだだけで空気がさっと暗くなるから驚いた。プラハではポグロムは発生しなかったようだけど、しかし同じ東欧地域だから、当時この場所に住んでいたユダヤ人たちも、きっと怯えていたに違いない。

脱線すると、作家のフランツ・カフカはプラハ出身のユダヤ人だ。カフカの遺稿の中には、「俺もパレスチナに移住したほうがいいかな? でも、俺ヘブライ語できるかなあ……」なんてぼやいた日記が残っていたなんて話を聞いたことがある。

(※プラハにあったユダヤ教シナゴーグ。ダビデの星マークが見える)

そして、1917年。あの悪名高い「バルフォア宣言」をイギリスが発表する。これが今もなお続いているイスラエル−パレスチナの闘争の火種であり、中東問題の諸悪の根源でもあるのだが、ようは、イギリスが「戦争が片付いたらパレスチナの地にユダヤ人の国(イスラエル)を作るの協力しますよ」と約束してしまうのである。ユダヤ人は、イギリスというビッグな味方ができて万々歳だ。

しかしイギリスは汚いので、このバルフォア宣言の裏で、フサイン=マクマホン協定、そしてサイクス・ピコ協定というのも結んでいた。フサイン=マクマホン協定というのは、当時オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域の独立を約束したもので、サイクス・ピコ協定というのはフランスとロシアとの密約。オスマン帝国の支配地域を分割統治しようという内容のものだった。つまり、ユダヤ人とアラブ人とフランス・ロシアにそれぞれバラバラな約束をしていたという最悪のことをやっていたのである。

そして、1939年にはナチス・ドイツによるホロコーストが始まる。私はエルサレムでホロコースト博物館(ヤド・ヴァシェム)という場所を見学したのだけど、ホロコーストはイスラエルという国の建国・維持の強い強い動機となっていることがわかった。

どういうことかというと、嫌な言い方をすると、施設にめっちゃ金がかかっていることがわかるのだ。最新鋭の設備、清潔さ、従業員数の多さ、それでいてなんと入場無料。イスラエルがこの施設をかなり力を入れて管理し、「私たちこんな大変な目に遭ったんです!!!」というのを内外にアピールしているのがわかる。もちろんホロコーストが20世紀最悪の悲劇であることは間違いないのだけど、それはイスラエル軍が国連の勧告を無視しパレスチナ人の居住域に侵入していることの説明にはならない。

というわけで、次回は第二次世界大戦が終わったくらいから続きの話をしたい。

شكرا لك!