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【日記/6】成功者はさも真実を語るようにいうけれど

みなさんは、自己啓発書というか、ビジネス書のようなものはよく読まれますか? 私は、実をいうとまったく読まないわけではありません。昨年は、年間100冊くらいのうち7冊がそういう系の本でした。

ああいう自己啓発系の本って一部界隈ではものすごく嫌われていますけど、読んでみると特別に間違ったことはいっていないんですよね。もちろんなかにはクソみたいなうっすい内容の本もありますが、「いい」とよく噂される本に書かれている内容は、多くの場合わりと「そうだろうな」って納得できます。

ただ皮肉屋の私から1ついわせていただくと、内容自体に不満とか文句はないんだけど喋り方がムカつくことが多いんですよね。『嫌われる勇気』とかいい本だったと思いますけど、「まどろっこしいんじゃボケ」と読みながらイライラしてしまいました。味が美味いのは認めるけど盛り付けまでキレイにしてくれないと手放しで褒めてなんかやらないぞっていうことです(でもあの盛り付けが好きな人もいるんだろうからあくまで好みの問題)。

そんな自己啓発界隈でよく叫ばれるのは、「好きなことで生きていこう」というメッセージです。好きなことを仕事にしよう、とか。これ自体も、私は別に文句があるわけではありません。好きなことで生きていける人はそうしたほうがいいと思うし、私も好きなことで生きていきたくないわけではない。

しかし、論旨には賛成なんだけど「好きなことで生きていく」という字面? 言葉遣い? が文学的じゃないし情緒がないから嫌だ。私の恩師はよく「美しく、可愛く、シックで切ない世界に生きなさい」といっていたんですけど、「好きなことで生きていこう」を私が納得いくように表現するとこうなります。「好きだよ」といわれるより「月が綺麗ですね」といわれるほうが嬉しいタイプです。あと自己啓発系の本は本棚とかkindleの画面に並んだときに美しくないのも嫌だ。『7つの習慣』とか字面が悪いじゃないですか。『冬の夢』とか『楽園のこちら側』とか『夜はやさし』とかそういうタイトルにしてくれ。あと表紙というか装丁に凝ってくれ。

……というのはまあ冗談ですが、「自己啓発系界隈は別に中身のない妙なことをいっているわけではなく、むしろわりと真っ当で正しいことをいっていると思う」というフォローをした上で、本題に入りますね。

そういう界隈で“成功者”だといわれている人は、好きなことで生きていくためのノウハウや知恵をさも真実のように語るけど、私はそれはやっぱり真実ではないと思います。もう少し正確にいうと、その界隈では間違いなく真実なんだけど、その界隈を一歩出るとそれはたちまち真実ではなくなると思います。世界はキリスト教を信じている人とイスラム教を信じている人がいるみたいな話。

キリスト教を信じている人に対して、「神様なんていないよ」というのは馬鹿げています。神様の存在は確かに科学的に実証できるものではないけれど、科学というのも1つの宗教なわけで、1人の物差しでもう1人のことを測ろうとするのがそもそも無理なのです。キリスト教を信じている人の世界には確実に神様はいて、科学を信じている人の世界に神様はいない。その2つの世界が同時に存在していることは矛盾しません。世界には複数の相反する真実があって、どれも正しくまたどれも間違っています。

“成功者”はさも真実を語るようにいうけれど、それはその人の世界においては間違いなく真実であっても他の人にとってはまったく真実じゃなかったっていうことは容易にあり得るわけです。だから、私は「これこそが真実なのだ!」っていう話し方をしてくる人をやっぱりちょっと受け付けられません。自己啓発系界隈って「これこそが真実なのだ!」っていうテンションの人が多い気がします。でも真実だと思い込まないとそれは真実になり得ないから、そういうテンションで来るのもある意味致し方ないことだというのも理解してますけど。

まあいちばんの理由はやっぱり「文学的じゃないし情緒がないから」なんですけど、私は今後も特定の自己啓発書について何か書くことはないでしょう、その内容にどれだけ感銘を受けても。好きなことで生きていけたら幸せかもしれないけど、「好きなことで生きていくのが幸せだ」というのもまた複数存在する真実のうちの1つでしかないと思います。「好きなことで生きていきたいだろ? それ以外に幸せなんかないだろ?」ってテンションで来られると、沢尻エリカのごとく「別に……」ってかんじで私は引いてしまいます。自分も好きなことで生きていきたいとわりと思ってるにもかかわらず。

私、「世界には相反する複数の真実が存在する」っていうのを本当に信じてるんですよ。そしていつもこの同じ話をしていますね。よく飽きないもんだ。




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