勤務先のビルに悪徳商法の業者が入っていた話

前職時代の話である。

ある日いつも通りに出勤すると、会社のビルの入り口に、見慣れない看板が立てかけられていた。むむむと思ってよく見ると、「ニュー・オーガニック」とある。「添加物は一切不使用、自然素材で作られたナチュラル製法のふっくら美味しいパンです」。ちょっと手作り感溢れるその看板には、確かになかなか美味しそうなパンの写真がある。ほほう〜と思った。

何だ、上の階にパン屋ができたのか。けっこう美味しそうだし、気が向いたら帰りがけに買ってみようかしら。今振り返ると、ビルの4階にパン屋っておかしいだろと思うのだが、そのときの私は非常にのほほんとしていたので、まじで「自分の職場がある上の階にパン屋ができた」と平和に考えていたのである。

その後、異変に気付いたのは、「上の階にパン屋ができ」てから、約半月くらい経った頃だっただろうか。

勤務中にお手洗いに行こうと思い立ち上がると、職場の外の階段を、エプロンをした30代半ばくらいの男性を先頭に、60〜70代くらいのおじいちゃんおばあちゃんたちが、ゾロゾロと、えっほえっほと駆け上がっていくではないか。人数にして、30人くらいいただろうか。エレベーター使ったら……と思ったが、みなさん足腰が丈夫でお元気なのか、ときおり隣の人とにこやかに談笑しながら、ゾロゾロと階段をのぼっていく。なんだなんだ。パン屋じゃないのか。このときの異様な光景は、今も私の瞼の裏に貼り付いて離れない。

「緊急会議を開こうと思う」

上司の呼びかけによって我々職員が集まったのは、毎日のように大量のおじいちゃんおばあちゃんが吸い込まれるように4階にのぼっていくのが日常的な光景と化してしまった、ある日のことだ。

発端となったのは、ビルの入り口に立てかけてある例の看板である。目立たせたいのはわかるけど、大きくて邪魔なので、うちに来るお客さんや業者の方から「どかしてもらえないか」という苦情が来てしまったのだ。基本的に頭の中身が空っぽな私は、「勝手にどかしちゃえばいんじゃないですか?」と無神経丸出しな発言をしたが、上司(女性)は「だめ! それに怖いでしょ! 一言断ってからじゃないとパワーストーン買わされるかもしれないでしょ!」との意見である。そして、「誰か、うちの誰かが上の階の人と話をしないと。看板をちょっと端によせていいですかって許可をとらないと。でも怖い……立場的には私が行くべきなんだけど超怖いよおおおお」と頭を抱えていた。

上の階でははたして何が行なわれているのだろうか。毎日のようにおじいちゃんおばあちゃんが集団で階段をのぼっていく光景は異様そのものではあるが、まだこの段階ではそこで悪徳商法が行なわれているという確証はない。本当にパン屋かもしれない。自然素材で作られたナチュラル製法のふっくら美味しいパンを売っているだけかもしれない。もしも真実というものがあるのだとしたら、それは自分の目で確かめなければならない。

気が付いたときには、「あ、それなら私が行きます」と実にフランクな申し出をしてしまっていた。上司には、「まじで!? 超ありがとおおお」と感涙される勢いで感謝された。しかし、隣の席の同僚は私の何かを察したらしく、「この人、目が輝いてますよ!」と一言。

ああ、そうなのだ。私は、いつだって非日常空間を求めている。もしもそこが本当に悪徳商法が行なわれる現場であったのなら、そこにいる人々が何を考え、どんな言葉で交流しているのか、この目で見てみたいではないか。高鳴る胸の鼓動を悟られないよう、私はクールに席を立ち上がって一人、職場をあとにする。後方からは、「洗脳されないでくださいね〜」「壺買っちゃだめですよ〜」という同僚の力ない声援が聞こえる。「ファイトー! 死ぬなー!」という上司の掛け声も聞こえる。調子のいい人たちである。

日々おじいちゃんおばあちゃんが駆け上がる4階へ続く階段を、私もえっほえっほとのぼる。がやがやとうるさいイメージがあったこの階段も、一人でのぼるとそこにあるのは静寂である。「万が一、一時間以上もどらなかったら助けに来てください(笑)」と冗談を言い残してきたが、4階にたどりつき、上司の声も同僚の声も完全に届かなくなって初めて、私は少しだけ緊張を覚えた。

4階には、実に殺風景な光景が広がっていた。中央にある白いドアに、「ニュー・オーガニック」という貼り紙がしてあるだけである。しかし、ドアに近づくと、中から人の話し声が聞こえる。私はドアをノックする前に、中から漏れ出てくる会話に、しばし耳を澄ませることにした。

聞こえてくるのは、若い男性の声である。「みなさーん、これね、本当にいいお水なんですよ。海洋深層水といいまして」水!? パンじゃないのか。

「ふかーい海の底からとってきたお水なんです。地図を見てください。ここは南極ですね。南極の、ふかーい海の底から……」

男性がこんな感じで演説を続け、ときおり、おそらくおじいちゃんおばあちゃんと思われる人々の拍手が混ざる。「とにかく、すごいお水なんです!」ぱちぱちぱちぱち……といった調子である。聞き取りづらいが、話の途中で何か冗談をいっているらしく、拍手ではなく大きな笑い声が湧き上がることもある。これは、まずい。まじでガチで本気の、催眠商法をやっていらっしゃる。

今ドアをノックしたら、話を遮ることになるし、そしたらなんか恨まれそうである。「全然平気ですけど(笑)」みたいなスカした感じで職場を出てきたが、直前になって私はびびってしまった。しかし、ここで「やっぱ怖かったです……」と中の人と交渉せずにもどっては、大のオトナが何をやってるんだという話である。意を決して、私は白いドアを叩こうと、拳を握った。

と、そのとき、よりによってなぜこのタイミングでと思うのだが、ドアが向こうのほうから開き、私の心臓は縮み上がった。中から現れたのは、いつか見た、エプロンを付けた30代半ばくらいの男性である。そして男性の後ろには、熱心に海洋深層水の説明をする男性と、例によってたくさんのおじいちゃんおばあちゃん。開いたドアとその先にいる私のことはみなさん眼中にないようで、男性は説明を続けるし、おじいちゃんおばあちゃんも拍手をしたり大笑いを続けている。

「何かご用ですか?」とエプロンの男性は私にたずねる。我にかえって、「あの、ワタクシ下の階の職員ですが」と私は切り出す。「1階の入り口のおたくの看板がですね、うちのお客様からするとちょっと邪魔かなー的なアレでして、少し端によせちゃったりとかしてもよろしいかなとご相談に来たのですが」しどろもどろである。

それを聞いたエプロンの男性は、「あ、全然問題ないですよ! すみません、どかしちゃってください! てか、僕が今どかしてきますね!」と実に感じよく、快活に答えてくださったのだった。

妄想たくましい私は、ヤクザのいる奥の事務所に案内されていろいろな洗脳をされた上、100万くらいのパワーストーンを買わされる未来を想定していなくはなかったので、男性が私と一緒にエレベーターに乗って1階に降り、一緒に看板を引きずって移動してくれたとき、ほっと胸をなでおろした。よかったよかった。これにて一件落着……か?

「ほんと、すみませんでした! また何かあったら言ってくださいね!」とエプロンの男性は威勢よく言い、4階にもどっていった。勝手なイメージだけれど、悪徳商法に関わっている人って、もっと鬱々としていて目が死んでる感じかと思っていた。でも、エプロンの男性は、ごく普通の感じのいい人で、覇気のなさと目の輝きのなさでいえば、私のほうがよっぽど死んでいる。

自分の職場にもどると、上司と同僚に「無事生還したぞ〜!!!」と讃えられた。「別に普通でしたけど……」とドアをノックする直前に一瞬ひるんだことを調子よく忘れ、私もいつも通りの業務を再開した。それから約3ヶ月後、4階の「ニュー・オーガニック」は、看板とともに跡形もなく消え去っていた。(※1)


「お年寄りって、足腰が丈夫で頭がしっかりしている人でも、さみしいのかなあ。うちのばあちゃんも、友達に誘われて、布団を買わされる会場に行っちゃったことがある」と後日、私の彼氏が言った。私は祖父母と同居したことがないのでお年寄りのことがよくわからないのだけど、彼氏はベタベタのおばあちゃんっ子なのである。

彼氏のばあちゃんを誘ったお友達は、会場でノリノリになって、ウン十万する羽毛布団をポンと購入していたらしい。それを見ていたら何だか珍しく気分が高揚して、彼氏のばあちゃんもうっかり契約書にサインをしそうになった。だけどいざサインをしようという直前になって、部屋で寝っころがりながらポケモンをやっている当時小学生の彼氏の姿が目に浮かび、「孫が、家で待っているので、帰ります!」とお友達と業者を振り切って、彼氏のばあちゃんは一銭も払うことなく、無事におうちに帰還したという。

「究極のボケ防止、究極のアンチエイジングは、孫を育てることである」──という話を聞いたことがある。自分の子供ではなくて、孫、というところが確かに、何がしかの本質を突いているような気がする。私は母方も父方も祖父母はともに他界しており、おそらくあまり長生きの家系ではないのだろうと踏んでいるのだが、彼氏のばあちゃんは90歳をこえてなお、お元気バリバリだ。

「ニュー・オーガニック」の、あのエプロンの男性は今頃どこで何をしているかなと、私はときどき思い出すのだった。

(※1)悪徳商法を行なう業者はどこか物件を借りる際、足がつかないように短期間で移転を繰り返すらしい。


【以下は有料ですがたいしたこと書いていません】【投げ銭制おまけです】テーマは【声】

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