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【日記/82】玉ねぎがこわいって、先生が

「俺はね、昔から、玉ねぎがすごく怖いの。玉ねぎっていうか、玉ねぎ形のものがね。だから、切り刻んで料理に入ったりしているぶんには平気。でも形が怖いから、タージ・マハルとか、球根とか、そういうのも全部怖いの」

……と、語っていたのは、高校のときの体育の先生である。

その日は外で運動するのではなく教室内で座学をする日で、若かりし我々は確か、保健の授業にてコンドームの装着方法などを学んでいた。今思うと、なかなか真面目な学校である。そして、そのとき先生が唐突に始めたのがこの「玉ねぎの形が怖い」という話であった。

「コンドームは先っぽが長いからいいけどね、もしあれがもう少し短くて玉ねぎの形をしているものだったら、俺はゴムを装着しない不届きな男になっていたかもしれないね。だって、怖いんだよ。でも、玉ねぎの形が怖いって、お前ら意味がわからんだろう。俺もなんでこんなに玉ねぎの形が怖いのか、わかんないんだよ。前世で何かあったのかなあ。でも、俺は物心ついた頃からずっと、玉ねぎの形が怖くて、タージ・マハルとか、球根とか、ヒヤシンスとか、そういうの全部だめなんだ。つまりね、何がいいたいかっていうと、お前らちゃんとコンドームをしてセックスをしなさいねってこと!」

先生がそういうと、教室は笑いの渦に包まれた。先生のキャラによってはあたりが静まり返りそうなきわどい発言だが、その先生は真面目かつ陽気で、男子にも女子にも好かれているタイプのまったく嫌味のない教師だったので、この日の授業もそのまま問題なく終了した。

あれから10年以上の時が経っているけれど、私はこの、体育の先生がした「玉ねぎの形が怖い」という話を、とてもよく覚えている。だけど同級生は皆忘れてしまったのか、たまの再会で「ねえ、M先生の玉ねぎが怖いって話、覚えてる?」と問いかけても、だれも首を縦に振らない。「え、そんな話、した?」と、私の問いかけは周囲の怪訝な表情とともに次の話題へと流されてしまう。

同級生のだれも記憶していない先生の話を、私がこんなによく覚えているのは、先生にとっての「玉ねぎ」のようなものが、きっと私の中にもあったからだろう。

自分はなぜか、物心ついた頃から、「等間隔のリズムを刻む機械」がものすごく怖かった。「等間隔のリズムを刻む機械」って何かというと、たとえば、小学生の女子が好む「ローラースタンプ」みたいなのがそうだ。フタをぱかっと開けて、スタンプ面を紙につけてコロコロ転がすと、線状に同じ柄を描くことができる。

他、船のモーターみたいなものも実はすごく怖い。等間隔のリズムでぶるんぶるんしているものだ。シュレッダーも怖い。自動のシュレッダーが怖いので、自宅で使うのは絶対に手動のものだ。職場で自動のシュレッダーを使わなければいけないときは、怖いので、書類の処理を後輩に任せていたりした。何も事情を説明せずに後輩に押し付けていたので、彼女からは「たいして仕事ができるわけでもないのに雑用ばっか押し付けてくる嫌な先輩」と思われていたかもしれない。しかし説明したところで、「シュレッダーが怖い」ということを彼女に理解してもらえたかどうかはわからない。「等間隔のリズムを刻む機械」を前にすると、その中に自分の体の一部が巻き込まれてしまう気がして、怖いのである。

こういうのってだれにでもあるものだと思っていたのだけど、知人にいざ話してみると、けっこう笑われる。まあ当然だ。「玉ねぎが怖い」「シュレッダーが怖い」なんて意味不明だろう。本人にだって理由がわからないのだ。考えられるのは、前世の因縁くらいである。

そんなわけで、高校生だったあの保健体育の授業の日以来、私は玉ねぎを見ると、コンドームを連想するようになった。コンドームを見るとタージ・マハルを、タージ・マハルを見るとシュレッダーを連想するようになった。

世界は円環なり。私の脳はそうしてすべてのものをつなげている。2017年が私にとってもみなさんにとっても、素晴らしい一年になりますように。

شكرا لك!