柿

【日記/77】今週のアルジャジーラ〔キューバ〕

毎週金曜日に更新している「今週のアルジャジーラ」。のんびりしていたらもう12月、2016年も残り1ヶ月を切ってしまった。先週分はこちら

12月になったとはいえ、まだ上旬なので、「今年一年の振り返り」みたいなのをやるには微妙に時期尚早かもしれない。が、「今年はなんか、すげーいろんなことがあったな……」とついぼやいてしまう。もちろん、私個人の話ではなく、世界的にすげーいろんなことがあった、という意味だ。フィデル・カストロ氏の訃報は、2016年に起きた象徴的な出来事の一つとして、後の時代に記憶されるのではないだろうか。

私にとってキューバは、「フィデル・カストロ氏が生きているうちに」訪れてみたかった場所で、今回の訃報を受けてそれは永遠に叶わない夢になってしまった。思うのだけど、旅行は生モノだ。指導者が変われば国は変わるし、政治や経済やテクノロジーの発達によって、都市の雰囲気はいとも簡単に移ろいでしまう。だからこそ、やっぱり気になっている場所にはできるだけすぐ、なるべく早く行ったほうがいいのだろう。今年私はスペインにモロッコにヨルダンにイスラエルにギリシャにインドネシアにと散々好きなところに行ったけど、キューバにも行けばよかったなあと、現在絶賛後悔中である。来年はどこに行こうかな。やっぱりポーランドのアウシュビッツかなあ。それとも大穴狙いでブータンかな。レバノンも気になる。私が大好きな愛すべき都市・ローマを再訪し、そのままイタリアを南に下りチュニジアに出るというプランも考えている。

……と、旅行の話は置いておいて、そんな私が今週気になった記事はこちら。

Cuba: Police detain artist celebrating Castro's death

今回話題にするにあたってキューバの宗教について調べてみたのだけど、キューバはカトリックの信者が多く、次いで多いのは無宗教やアフリカ系の伝統宗教らしい。キューバはアラブではないし、イスラム国家でもないので、「今週のアルジャジーラ」の意図から微妙に外れている気がするが、まあいいだろう。

アルジャジーラの記事が伝えているのは、カストロの死を祝福する作品を発表したアーティストを当局の警察が拘束したというもので、国家における「不敬罪」というものについて考えてしまう。そういえば今年は10月にタイのプミポン国王が亡くなっているが、タイにも「不敬罪」があるんだっけ。なんか今年は訃報が多かったなあと思うのは、私が年をとったからだろうか……。

「カストロのいるキューバへ」と夢を抱いていたものの、そういえばカストロについてはまだ知らないことがいっぱいあるぞということで、訃報を知った日に読み始めた本が『冒険者カストロ(集英社文庫)』だ。まだ読み途中だけど、読み終わったらどこかに感想を書こうと思う。

(※写真は、インドネシア・ジャカルタのカテドラル)

ところで、以下はちょっと余談なのだけど、みなさんはお気付きだろうか。キリスト教とイスラム教は、ともに起源を同じくする一神教だけど、実は両者には大きなちがいがある。

まずキリスト教だけど、キリスト教は、土着の伝統宗教と合体しやすい。イエスがイスラエルで始めたオリジナルの「キリスト教」を、現在最も色濃く受け継いでいるのは、私の考えでは正教だ。ギリシャ正教、ロシア正教、アルメニア正教、あの辺りがたぶんだけどいちばんオリジナルの「キリスト教」に近い。ヨーロッパのカトリックは、どちらかというともともと欧州にあった土着の宗教とキリスト教が合体したもので、イエスが始めたオリジナルのキリスト教とはちょっと別のものだ。

キリスト教は南米に渡ると、南米にもともとあった伝統宗教とやはり合体して、カトリックっちゃカトリックだけどちょっと変なカトリックになっている。メキシコではサンタ・ムエルテという死神を祀る思想があるし(これも一応分類としてはカトリックみたいだ)、ミャンマーなどアジアの辺境にも土地の精霊信仰と合体した変なキリスト教がけっこうある。

仏教やヒンドゥー教も、土地の伝統宗教と合体しやすくて、バリ・ヒンドゥーなんかはその典型だろう。そのうちブログに書こうと思っているのだけど、インドのヒンドゥーとバリのヒンドゥーのちがいに注目するとけっこう面白い。そして何より、日本人が信仰している「仏教」、あれもオリジナルの仏教とはやっぱり全然ちがうものだ。日本にもともとあった神道と合体して、なんか変な仏教になっている。「バリのヒンドゥーと日本の仏教は、だから似てるデショ」と旅をしているときバリ人にいわれたが、なるほど確かに、と思った。

しかし、こういった伝統宗教と合体してしまった、「土着のイスラム教」というのは、私が無知なだけかもしれないがまだ聞いたことがない。もちろん、サウジのイスラム教はガチ度が高く、インドネシアのイスラム教は比較的ゆるめ、くらいのちがいはあるが、その土地にもともといた神様とイスラム教が合体して変な神様になっているという話は寡聞にして知らない。シーア派、スンニ派、ドゥルーズ派とかはあるけど、それらは単なる政治思想のちがいかな? って気がするし、イスラム教はどこでもイスラム教だ。

伝統宗教と合体してしまうキリスト教、仏教、ヒンドゥー教、それからどこにいっても同じなイスラム教、ユダヤ教。両者のちがいはどこにあるのかというと、私は、「偶像崇拝がアリかナシか」という差がこれに関係しているのではないかと思っている。神様の偶像があったほうがイメージが具体的なので他の神様と合体しにくいんじゃないかという気がするが、実際は逆なのだ。具体的なイメージがないほうが、書物の言葉によって正確に内容が伝わるので、伝言ゲームとしての優位性が高くなるのかもしれない。

書く書く詐欺になってしまいそうだが、このことはやっぱりそのうちちゃんと調べてブログに書こうと思う。今回はメモ程度ということで、興味がある人がいたら覚えておいてもらいたい。

شكرا لك!