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【8/8】「美しさ」で自己満足を追求することに意味はあるか?

近頃のわたくし、暇な時間があると……いや暇な時間がなくても、YouTubeのメイク動画をつい見てしまう。そして、メイク動画を視聴した中で同じような感想に至った人も少なからずいると思うのだけど、「知ってはいたがやはりそうだったかと気付かされた人生におけるたった一つの真実」ってやつが、ある。ありますよね?

「たった一つの真実」とは何か? それは、「メイクとは自己満足である」ということである。

仰々しく書きやがって、そんなん百億年前から知っとるわというブーイングがあちこちから飛んできている気がするけれど、いや、私は改めて見て驚愕したのだよね。

具体的には何を見て驚愕したのかというと、いちばんはアレ、ドラッグストアの安いコスメとデパコスを比較するやつ。「わ〜、何も変わらね〜!」と、感動すらしてしまった。デパコスのほうがラメが上品だ、色味が繊細だ? いやいやいやいやわかんないって。

もちろん異論はあるだろう。メイクしたては確かに一緒かもしれないけど時間が経つとプチプラは崩れ方が汚いのよとか、プチプラのアイシャドウは粉飛びするのよとか、プチプラのベースメイク系は色味が黄色すぎるのよとか。いや、全部その通りだ。全部その通りだが、すべて「言われてみればそんな気はしないでもない」レベルというか、第三者が見てすぐにわかるレベルか? といわれると疑問符がつかないだろうか。まあ、私の目と肌がバカなだけという説もあるけど(大いにある)。

しかし、私の目と肌がバカ説をとっても、「モテ(※恋愛だけでなく広く対人関係を含む)」のためだけに純粋にコスパを追求するなら、高い化粧品を買う必要はたぶんほとんどなくて、機能面を追求してもせいぜい中価格帯のマキアージュとかコフレドールを買えば十分な気がするのだ。ディオールだのイヴサンローランだのを買うのは自己満足でしかなくて、意味なんてない。そう、意味なんてない。

本当に? 本当に意味なんてないのか。ルックスにおいて自己満足を追求することは、自己満足以外の何者ももたらさないのか?

……と、いうのが今回のテーマである。

「コスパを追求した美人」はいない説

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