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【日記/92】巻き込まれビリティ

私には、巻き込まれビリティがない。

巻き込まれビリティとは私の造語だが(というか造語じゃなかったらびっくりだ)、その名のとおり、周囲の状況に巻き込まれるアビリティのことである。しかし、私にはその巻き込まれビリティがないので、周囲が嵐のようにぐるぐる吹き荒れていても、一人茶柱のようにボケっと突っ立っているのである。これが本当に茶柱だったら縁起物だが、私はまったく縁起物ではないので、これではただの障害物である。実害をもたらすわけじゃないのでいいではないかとも思うが(むしろ限りなく無害だ)、たとえば、私以外の人間関係が不倫や揉め事で激しくトラブっていた前職の職場で、私一人がそのことにさっぱり気づいておらず、一人そ知らぬ顔で黙々と作業を進めていた……なんてことがよくあった。(トラブっていたことをいつも後になって第三者から知らされるのである。そんなにしょっちゅう揉める職場もどうかと思うが。)

他にも昔、こんなことがあった。

20代前半の頃である。当時付き合いだした彼氏がふと、「そういえば最近、ゆきちゃん(仮名)から電話がかかってこなくなった」とぽつりとこぼしたことがあった。

ゆきちゃんとは、当時私や彼氏と同じバイト先で働いていた女の子だ。少し情緒不安定なところがあり、私の彼氏に夜中に何通もメールを送ってきたり(当時はまだLINEというツールはなかった)、よく電話をかけてきては「もう死にたい」などと漏らしていたそうである。

最初は親身になって相談にのっていたものの、だんだんとゆきちゃんが重荷になってきた彼氏は、夜中に電話やメールで叩き起こされ、若干不眠気味であった。私はけろっとした顔で「え、電源切ればいんじゃないの」などと助言をしたのだが、彼氏は高校生の頃片思いされた女の子に家の前で待ち伏せされた経験などがあり、女の子を無下に扱うことに恐怖心があるという。

今だったら私も、加害は男性→女性だけでなくその逆も十分にあり得るというポリティカル・コレクトネス的な発想を身につけている。だからもう少し気の利いた助言を考えるところだが、当時は女性→男性の加害があり得るなんて発想は、拙い私の頭になかった。だから、今思うと本当に彼氏が不憫でならないのだが、せっかく相談してきてくれたのに「ふーん、大変だね」などと言いながらストローの袋をフッと吹いて遊んでいたのである(ファミレスで)。

しかし、あれだけ鳴り止まなかったゆきちゃんからの電話が、私と付き合ってから約一ヶ月でぱたんとなくなったらしい。「電源切ったからじゃないの」とたずねると、特に携帯の電源を切るなどの対策は行なっていなかったらしい(怖いから)。「あなた、ゆきちゃんに何か言った……?」などと不安がるのだが、私はもちろんゆきちゃんには何もしていない。

結局、突然ゆきちゃんからの連絡が途絶えた原因は不明なままで(バイトにはちゃんと来ていた)、この一件はうやむやになった。まあ、移り気な20代前半、女子大生である。何か偶然が重なったのだろう。

……と、他にも例はけっこうあるが、私は何もしていないのにめんどくさい出来事を遠ざけてしまう「巻き込まれないビリティ」もしくは「茶柱野郎」体質なところがあり、長年それは自分の不思議な長所だと思っていた。だって、めんどくさいことになんか巻き込まれないほうがいいじゃないか。

しかし最近、あまりにも茶柱が過ぎるというか、端的にこれは短所なのではないか、と思う機会も多くなってきた。海外旅行で中東やアフリカに出かけてもあまりトラブルに遭わないし、日常生活ではなおのことである。トラブルが本当に起きていないのか、トラブルはあるのに気づいていないのか、もしくはトラブルを都合よく解釈してきれいさっぱり忘れているのか、その判断もつかない。何にせよ、曲がりなりにも文章を書いている人間として、これではあまりにも雑である。いつも自分のペースを保ちすぎてしまう。もう少し、周囲に翻弄されて台風のごとくぐるぐるしてみてもいいのではないか、と思えてきた。日常生活はともかく、特に旅行などでは、トラブルこそが醍醐味だったりするのである。予定調和などクソくらえだ。「チェコ好きさんが出向く先では必ず何かが起こる」くらいのほうが面白味がある。コナン君だって、殺人がおこらなければ話が成立しないのだ。

なので最近は「巻き込まれビリティ」「翻弄され力」がないことがとにかくコンプレックスで、他人にそのことを指摘されるとまじで泣きそうになるくらい悔しい。縁起物である茶柱をガチで目指すか、巻き込まれビリティを身につけるか(しかし、どうやって?)──春、私は岐路に立たされているのであった。


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