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【9/19】はじめての海外旅行:台湾のこと

20歳になったばかりの私は、とても焦っていた。一刻も早く、処女を捨てたいと思っていた。

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……と、いうのはあくまでものの例えだけど、しかしまあ心境としてはまったく同じである。

20歳になったばかりの私は、まだ日本から出たことがなかった。だから、一刻も早くパスポートを作って、この国から数日でも数時間でも、出なければいけないと思っていた。「なぜ?」と聞かれても答えなどない。若さとはそういうものだ!

32歳の今となってはぜんぶで19か国を旅してしまい、上には上がいるとはいうものの、これだって少なくない国を訪れているつもりである。でも、20歳の私は、それまで家族で海外旅行になど行ったことはなかった。父の仕事の都合でシンガポールに7年間住んでいたことがあるわけでもなかった(これは特定の誰かのことではありません)。高校のときにオーストラリアにホームステイしたこともなかった。2007年──まだTwitterもInstagramもない時代だったけど、mixiしかない時代だったけど、同級生が休学して世界一周の旅に出たり、インドでボランティアをしてきたりした話を耳にしては、「私も早く日本から出なければ」という思いばかりが募っていった。

「焦ってテキトーなことをする」というのは、人生におけるどんな場合でも、おすすめはできない。海外に行ったことがない20歳の私はあわててHISのカウンターに行き、台湾の航空券とホテルを予約した。台湾という国に思い入れはまったくなかったのに、はじめての海外旅行でその国を訪れることを決めたのは、単純に値段が安かったからである。まさしく「誰でもいいから抱いて」の心境だった。早く処女を捨てて、私もみんなと一緒にセックスの話がしたかった……と、いうのはあくまでものの例えだけど、早く海外旅行処女を捨てて、私もみんなと一緒に海外の話がしたかったのである。

ちなみに、海外旅行ははじめから一人だった。仕事をしている32歳の今だってブエノスアイレスにまで一緒に行く友達が見つかるのだから、大学生なんか暇だし台湾に一緒に行く友達くらいいくらでも見つかるだろと思う。が、当時の私は今の105倍くらい内気だったので「私と一緒に行きたいと思ってくれてなおかつ日程を合わせられる人なんてたぶんいない」という思いが先行してしまったのである。振り返ると、最初から一人だったのは、よかったのか悪かったのか。とにかく、私は一人で成田空港まで行って、一人で出国手続きをして、一人で飛行機に乗り、一人で台北の空港に降り立ったのだった。

これまでさまざまな場所の旅行記をブログなどで書いてきたけれど、これは文章としてははじめて書く、そんな「はじめての海外旅行:台湾」の思い出だ。

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(※まあ、写真はなくなっちゃったのでバリ島だったりシンガポールだったりなんですけど)

そういうわけで「はじめての海外旅行:台湾」だけど、どこか行きたい場所があったわけではなく、とにかく日本を出ることが目的だったので、九份とか行ってないんだよね。1人で行ったは行ったけど、1日は現地の観光ツアーに申し込んで、バスで市内をまわっていただけである(全旅程は2泊3日)。「へー」と思って申し訳程度に写真を撮っていたが、「へー」としか思っていなかった。故宮博物館で白菜を見ても、「白菜は白菜だな」としか思っていなかった。

ごはんも、一人だったのでロクなものを食べなかった(まあこれは今でもそうだ)。屋台で得体のしれない惣菜を買う勇気もなく、コンビニでおにぎりを買ってホテルで食べたら激マズだった。どうしようもないバカ舌でどんなものでも美味しい美味しいとありがたがって食べる私が激マズというのだから、これはまじで相当な激マズだったのではないかと思う。おまけに、「慣れない場所は歩きやすい靴で行け」という小学生でも知っている鉄則を失念して真新しいパンプスで来てしまっていた私の足は、数日間で靴擦れだらけになった。よくこれで海外旅行が嫌いにならなかったなと我ながら感心するくらい、いい思い出がない。何かないのか、現地の人とのハートフルなエピソードとかなかったのか。

現地の人とのハートフルなエピソード──「高い茶を買わされそうになった」くらいである。観光バスで台北の街をまわる1日ツアーに参加していたことは先に書いたとおりだが、そのツアーの質がとても低く、観光名所と観光名所の間にやたらお土産屋に立ち寄らなければならなかったのである。ただ立ち寄るだけなら買わなきゃいいのでまあいいけど、ある場所では机と椅子が並べてあって、席に座って「この茶がいかに素晴らしいか」とおっさんが講釈を垂れるのを聞いていなければならなかった。しかも、その茶がバカくそ高い。まわりのツアー参加者がしぶしぶ茶を買わされるのを横目に、鋼鉄の意志を持って「買わない」とおっさんを突っぱねた私、なかなか根性のある娘だったのではないかと思う。催眠商法のような異様な空気に包まれた会場を後にして、しかもその後に食べたのが先に書いたコンビニの激マズおにぎりである。よくこれで海外旅行が嫌いにならなかったよな、ほんと。

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長らく私が台湾のことを語らなかったのは、ひとえに、この初体験の思い出がダサすぎるからだろう。動機もダサければ、エピソードの1つ1つもダサい。一人で行ったわりにはツアーに参加しているし、美味しいものも食べていなければ、綺麗なものを見て心を震わせることもしていない。現地の人々と語り合って知見を深めることもしていない。海外処女を捨てた私はただ、靴擦れだらけになった足を引きずって日本に帰ってきただけだった。焦ってテキトーな男と寝るとロクなことがないよと、20歳前後のお嬢さんたちに言って聞かせたい。

それでも、初の著書を出すことをきっかけにこの台湾の思い出を書いてみようかなという気になったのは、「ダサかろうとなんだろうと、とにかく私の旅行はここから始まったから」だ。かっこいいエピソードが1つもなかろうと、とにかく私がはじめて訪れた国は台湾だった。

あまりにもダサいので語るのに10年以上かかってしまったけれど、さすがにダサさにも時効があるだろう。19か国を訪れたからこそ、私は最初の旅先である台湾について、誇張することも見栄をはることもなく、ちゃんと語ることができるようになったのだという気がする。それと、人に語って感心してもらえるようないい思い出は特にないけど、靴擦れしている足を引きずりながら街中の読めない看板たちを眺めて、「もっといろいろな世界を見てみたい」と思ったのだけは確かだ。

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ちなみに台湾のあとに海外に行くのは、その約1年後、チェコとオーストリアである。理由は、チェコ映画を卒論のテーマにしてしまったので、ゼミの先生に「行かないとだめ」と怒られたから。別に日本にいたって論文は手に入るんだし行かなくてもいーじゃんめんどくせえなと思ったが、先生が「絶対にだめ」というので、しぶしぶバイトをしてしぶしぶお金を貯めてしぶしぶ行った。

この時点では、私は海外旅行がまだそんなに好きではない。私が「チェコ好き」という妙なハンドルネームでブログを書き出すのも、もっともっと後のことだ。人生は何が起こるかわからないな、と思う。


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